【徒然】会社を設立して一年が経ちました!
noteを書くのもご無沙汰です。本日、新会社である株式会社ShinwaACを設立して一年が経ちました。
この一年は本当に色んなことがあって、まだうまく文書に書けない部分もあるのですが、今日の設立一年の想いは残しておきたい、そんな一心でnoteを開いています。
実はこの一年、目まぐるし過ぎて記憶が薄いところもあるので、振り返りながら進めてみます。
新会社設立の経緯
そもそもは親子喧嘩をきっかけに出島(アトツギによる新会社設立等)を検討、というあまり前向きでないところからスタートしたんですね。このnoteを書いたのが約1年8ヶ月前なので、そこから8ヶ月掛けて会社設立に至りました。
準備期間は何をしていたか少し整理するとこんな感じでしょうか。
・家業の過去数値の棚卸・分析。
・新会社設立目的の明確化。
・社長(父)への新会社設立承諾。
・新会社設立後の資金計画、数値目標の設定。
・補助金の検討。
・借入金の検討。
・アトツギ・起業家100人に会いに行く企画
きれいに整理するとこんな感じですが、道中はそんなにすんなりいってません(笑)
社長はあまり新会社設立に乗り気ではありませんでしたし、その説得に複数回話し合いを重ねました。私としてはその必要性を強く訴え、最終的には承諾してもらったものの、「伝わらねぇなぁ」と多分お互いがお互いに思っていたでしょう(笑)
補助金も最終的には市の創業補助金を活用したのですが、そこに至るまで県の補助金活用の検討とか、市の補助金も助成されるタイミングの認識齟齬(珍しく怒った)とか、どれも一筋縄ではいきませんでした。
会社設立後もてんやわんや
設立の登記が完了した後も、感慨に浸る暇はありません。
国や県、鑑定士協会等の登録が済まなければそもそも仕事が出来ません。立ち上げたのに仕事が出来ないのは困ると、この時期はとにかく書類関係を書きまくっていた記憶があります。
手続きが済んだら次は売上を立てるための行動に移ります。そもそも11月の設立を選んだのは、年末年始に掛けての繁忙期に売上とキャッシュを確保するためでした。
但し、立ち上げ当初で決まっていた仕事は実は一つのみで、当てにしていた仕事も流れたり、入金まで期間があったり、今にして思えばかなり博打でした。冷静に考えれば止めておくんでしょうが、当時は勢いが勝っていたのだと思います。精神が肉体を凌駕するというやつです。(言いたいだけ。)
なんだかんだと幸運も重なり、最初の3ヶ月くらいをどうにか過ごしていきました。ちなみにこの3ヶ月くらいの記憶が一番曖昧です(笑)
初めて×初めてはカオス
このカオスっぷりは“初めて経験することの掛け合わせ”も大きな要因だったと思います。
まず、会社立ち上げが初めての経験です。思った以上に書類関係は多いし、日々の経理も自分でやらなければなりません。それだけで結構な時間を取られます。あとは、とにかくキャッシュフロー。100話で心が折れるスタートアップの話でもありましたが、毎日残高とのにらめっこです。ウサギさんに共感の嵐(笑)
月末に来る社会保険料は労使折半と分かっていても、ガッと引かれる感じがあるし、先に書いた創業補助金も入るまでがとてつもなく長く感じられました。(法人税もきっつい笑)
会社員時代も家業時代もキャッシュフロー残高に危機を感じながら仕事をしたことは正直ありません。そういうことに頭を悩ませずに、仕事に集中させてもらえる環境を作ってもらっていたのって、本当にありがたいことなんだと感じました。
繁忙期が去った後は、ようやく一息つく反面、来月の仕事はどうしたらいいのだろう?売上は本当に立つのだろうか?借入も返していけるのか?2人目もまだ生まれたばっかりなのに?と寝る間際に反芻し、動悸が続いた時期もあります。
業務の初めてもそれに拍車を掛けました。私はこれまで在籍していた鑑定会社は民間の仕事が主でした。それが、国の地価公示評価員、国税庁の路線価業務、県の地価調査評価員、裁判所の競売評価員と公的な仕事が増えてきました。
新しい仕事が増えれば、インプットも必要になる。けど、その他の細かい業務も自分でやらなければならない。専門家としてのインプット時間の確保と、経営者としての経営に関する仕事、あとは細かい業務、いろんなものに挟まれながらもがいた一年間でした。(尚、これは今ももがいてます笑)
2期目の始まりと大きな転機
今日で会社立ち上げ自体は一年ですが、決算月は6月なので既に2期目に入っています。
1期目は当初計画の売上は1.5倍、利益はトントンの計画が、結果として上振れまして会社にも幾らかキャッシュを残すことが出来ました。
這ってでも黒字にする!というのが1期目のテーマだったので、まだまだ数字的には大きくなくとも一つ結果として残せたのはホッとしました。
(先にもちょっと書きましたが、法人税の納付もしっかり経験させて頂きました。ちょっと遅れて納付するから、これも気持ち的に痛い(笑))
さて、1期目が終わった頃、社長と話をしました。ここの詳細はまた書ける日が来たらと思っていますが、結論だけお伝えすると、私はしばらく新会社に集中することになりました!
家業には未だ在籍もしていますが、今はとにかく新会社を強くすることが私のミッションとなります。2期目を機に、10月からオフィスも秋田市で運営するチャレンジオフィスあきたに移し、家業の業務も引継ぎ、本当の意味で独り立ちです。
次の一歩をどう踏み出すか
いろんなところでお話させて頂いていますが、私のキャリアは常に家業を前提としていました。それが今は家業から離れたことで、自身のキャリアというものを今一度問われているように思います。
秋田に来て3年が経ち、不動産鑑定士としても5年目、年齢は37歳で30代ももう3年を切っています。
無限の可能性を追い求める、というフェーズではないにしても、今一度経営者としても、専門家としても、家族の一員としても、どう歩むのかを考える時期だと思っています。
ちなみに、鑑定士としてのキャリア形成では、村木信爾先生の「地域における不動産プロフェッショナルの役割とそのキャリア形成について」の講義を参考にしています。
村木先生著書の「不動産プロフェッショナル・サービスの理論と実践 仲介取引における価値共創のプロセス」も同様の論点はありますが、より鑑定士目線なのでまた見返したいと思います。(e研修でまだ配信されている…はず)
これをやります
ここからのキャリア形成については時間を掛けて固めていこうと思いますが、まずは足元でやると決めたこともあります。私はさして器用でもなく、結果が出るまで時間の掛かるタイプだとも思っているので愚直に真摯にやっていきます。
①来た球を打つ
ありがたいことに案件自体は途切れず頂いています。仕事は信頼の積み重ねだと考えていますので、頂いたご相談、案件に真摯に取り組んでいきます。実践の中にこそ学びがあると思うので、インプットも徹底的に。
②結果を出す
具体的には今期もきっちり黒字にします。立ち上げから趣旨はちょっと変わっていますが、会社として運営している以上、黒字には徹底的にこだわりたいと思います。
③鑑定士メンターをつくる
実は不動産鑑定士になって以降、先輩鑑定士がいないという状況で仕事をしてきました。専門家としてのレベルアップがどの道に進もうと必須なので、メンターとなる方を見つけたいと思っています。
④やわらかい繋がりを構築する(100人企画の再開)
本業にダイレクトに関係しない繋がりも重要と考えています。そもそも不動産は経済活動と結び付くものなので、様々な業種・地域・年齢の方と出会うことは大切だと思います。スタートから趣旨が変わり、ちょっとどうしようかなと思っていた100人企画も再開しようと思います。
⑤新サービスを模索する
いろいろとご意見はあるかと思いますが、私は鑑定の仕事はとてもやりがいがあります。一方で、鑑定がとても限られたサービスであるのも事実かと思います。秋田という地方都市において、不動産にまつわる課題は数多くあります。ここに鑑定士の知見を以って、何か提供出来るものはないか探していきたいと思っています。
とひとまず5つを足元の目標とします。人生何があるか分からないもので、私も今後自分がどういう方向に向かっていくのか全く分かっていませんが、道中楽しみながら引き続き頑張っていこうと思います。
会社も2年目に入りますが、皆さまこれからもどうぞよろしくお願い致します。ちなみに今日は新卒時代の同期たちとの同期会もあり、東京に来ております!これもまた新たな刺激になりそうです!それではまた!