【タスキ】秋田に戻って事業承継します②仙台での仕事の話
今月末で最終出社となる今の仕事。かれこれ5年弱勤務させて頂きました。思えば2回目の論文試験に落ちたタイミング。受験生で未経験という中で上層部に推して頂いた当時の上司には感謝しかありません。
そんな仙台での仕事、5年弱の期間の中で最も多く携わったのは再生関連でした。
入社当初は震災絡みの仕事が多く、債権買取に伴う清算価値の算定に鑑定評価が使われていました。要は再生するかどうかのジャッジとして鑑定評価を使うイメージです。
2014年の秋入社だったので震災からは3年半以上経過していましたが、被災地の復興はどこも道半ば。
再生の中でも鑑定の立場というのは一部の業務に過ぎないのですが、実際に被災地を目にする機会を得たのは貴重でしたし、更にそんな中で奮闘する2代目3代目の姿を見る機会も多く刺激になったものです。
後半は震災絡みではなく、通常の再生が多くなりましたがこちらもなかなか厳しいものがありました。
各県の支援協議会からの案件やコンサル持ち込み等様々でしたが、鑑定評価を使う時はいわゆる抜本というケースで多くは第二会社方式が取られていました。
第二会社方式というのはざっくり言えば、ダメになった事業を清算して、生き残りが掛けられる事業だけ移して新しい会社としてスタートするというものです。
再生局面で鑑定を入れる時はリスケ(借入条件の緩和)で対応出来ないことが殆どのため、厳しい局面にさらされている企業を多く目にしました。
通常は経営者が退任するため、父親からバトンを受け取ることが出来ない後継者も見ましたし、創業当時の事業を潰して、ポテンシャルのある事業だけ残していくというのもたくさん目にしました。
そんな中で私が強く思ったのは、ビジネスはシビアだという至極当然のことです。けど、こういう仕事をして初めて分かったことがたくさんあります。
先に書いた震災絡みの仕事もモニタリングをしている機構の担当者から聞けば、その8割は再生計画を下回り、保有資産をどんどん売却しなくてはならないというケースも珍しくありませんでした。
私の担当する案件でも、再生のストーリーが描かれスポンサーも水面下で決まっていたのが、最後の最後でひっくり返り、スポンサーは撤退、企業は破産、従業員も全員解雇という事例もありました。
ビジネスは結果であり、市場は正直であり、残酷だということを思い知らされました。
こうした経験から、後継者は自分の意志を持ち、自分で会社の舵取りをするという覚悟が求められると私は思うようになりました。
後継者は既存事業がある中で入社することが殆どだと思いますし、私はそうです。スタートアップのように事業立ち上げ期にゼロからスタートするのではなく、新規事業の立ち上げで見ても既存リソースを使えることも多いと思います。
既存事業の存在がやりづらい面もあるかと思いますが、ここまで事業が継続していた実績というのはプラスの側面に働くことも多いと実感しています。
だからこそ、後継者はそれに甘んじてはいけないし、結果を出さなければいけないと思います。
そんな想いを踏まえて今後どう動くかについて次回記載していきたいと思います。