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石塚伸宏
2019年10月27日 13:09
少し早いですが入社2ヶ月の振り返りをば。今月に関しては「成果にダイレクトに繋がるか分からなくともまずは動いてみよう」というのをテーマに動きました。結論から言うと、足を使わないと見えてこないことって山ほどあるよねーってお話です。机上でうんうん唸ってても何も始まらない。書を捨てよ、街へ出よう。とまでは仕事柄言えませんが(書は大事)、まず街に出ること、大事、絶対。いろいろと策は打ってるんですが今
2019年8月13日 14:51
事業承継の大きな論点として「先代」の存在があります。私で言えば父ですが、母という人も義理の父・母という人も、その他血縁関係、または全く血縁関係のない人もいると思います。私は幼い頃から自分が父親っぽくないことに悩んできたというか、コンプレックスを感じていました。私の父は見た目はみのもんた氏に似ており、職人気質の昭和の親父という感じです。白黒ハッキリ付けるタイプで、物事ズバズバ言います。あと、
2019年8月1日 17:39
「家業は継ぐけど、特別秋田が好きな訳じゃない。」これは私の若い頃の定番フレーズで、いろんな人に言っていたような気がします。大学から東京に行き、社会人になってからより強めのトーンで言ってました。「閉鎖的で新しいものを嫌う風潮が嫌だ。」そんなことも言ってました。でも、最近思うようになりました。自分は秋田そのものがどうこうではなく、その当時の思い出に引っ張られていたのではないか?と。
2019年7月25日 20:38
【タスキ】僕は中小企業の三代目として生まれたこれ書いてから3年弱になるんですね。8月末に秋田に戻って9月から家業である屋外広告業の事業承継を始めると共に、同時並行で不動産鑑定部門の立ち上げに入ります。ここ最近は後継者の動きや事業引継ぎが随分ポジティブなものとして捉えられるようになった気がします。私もオンラインサロンに入っているアトツギU34とかは投稿を見るに本当に多様なバックグラウンドを
2016年9月21日 21:52
僕の父親が社長を務める会社は秋田市にある従業員8名程度の小さな会社だ。創業したのは祖父で、それまでウチは農家だった。元々は人の仕事を手伝っていたのが、自分でやった方が上手くいくと始めたのが今の会社らしい。創業から今年で52年目。祖父が20年、親父が継いで32年目だ。そして、僕は創業から20年、祖父が倒れた年に生まれた。祖父はクマ目下出血で倒れ、倒れてからは一度も意識を取り戻さず