生殖記を読んで
なんでこんな本がかけるんだろうか。
朝井リョウがこういうことを思って生きている人なのかは分からないが、そう思っていないと書けない文章だと思った。
まさに私の日常で抱えている問題でもある。
会社に成長を求められ、成長に全く興味のない私はいつも蚊帳の外、外れもの感を感じて、ここにいてはいけない感を感じて退職を決めた。
会社に限った話ではなく、生きる意味も見いだせなくなっている今、この本には驚いたというか朝井リョウはどんな人なのかと興味が湧いた。
生きる意味などないと分かっているが、一般的に病気や事故で早く死なない限り、あと何十年も続く毎日。
生きる意味を必死に見出そうとしていた頃もあったが、最近はそんなものはないと諦めた。
死ぬまでの暇つぶしでしかないとそう思ってしまうようになると、会社で働く意味も、資本主義の中で生きる意味もハッスルカルチャーに必死に喰らいつく必要も分からなくなってしまった。全てがおままごとに見える。
そうやってやってくるのが虚無。
何をやってもどうせ死ぬまでの暇つぶし。
虚しさ。
空っぽさ。
必死に追いつこうとするもの、追いかけるものがなくなると、虚しさが追いかけてきた。
鬱になったからだろうか。
虚無にならないように、必死に趣味をかき集めて、時間を埋めて、その繰り返しの日々。
虚しい。
そんなことを重ねた。