目の前にある面白さを追及する
最近思ったことがあります。
それは、自分らしさって、自然と努力や工夫をしてしまうことの中にこそあるのかもしれないなあという気づきです。
例えば、僕は幼少期から高校までサッカーをしていました。その時の経験を踏まえて考えてみます。
高校時代には、インターハイ出場も果たし、そこそこの成功体験と成績を残しました。3歳から15歳まで、それこそ10年以上の月日を費やしてきたわけですね。サッカー自体は凄く好きで楽しかったですし、今でも遊びでサッカーをすれば凄く楽しいです。
それでも今サッカーを仕事にしようとは思えないのは、なんでなんだろうと考えてみました。
その結果たどり着いたのが、「試合に勝ったとか、全国大会に出られるかとか、あんまり結果を気にしていなかったなあ」という気づきです。
だから高校時代も、周りのレギュラーメンバーはみんな自主的に朝練をしている中、「朝は弱いから~」と言って、朝練に行ったのは3年間でたった3回でした。
でも、幼少期に自主練をしなかったかというと、そんなことは無いんです。
小学4年生か5年生の頃、リフティングの練習に熱中し、毎日家の前でリフティングの練習をしていました。
最初は10回を目指し、50回、100回とできるようになっていき、気づけば小学生ながらにリフティングは、1000回ぐらいまで達成できるようになっていったのを覚えています。
何が違うんでしょう。
僕にとって大事なのは、自分の中にある面白いことや、熱中できることをひたすら追及していくこと、だったんだと思います。
その瞬間その瞬間、どれだけ自分が良いプレーができるか、目の前の相手との1対1に勝てるか、目の前の瞬間にこそ大きな意識が向いていたように思うのです。
だからインターハイで負けたときも、それほど大きな悔しさを感じることは無かったように思います。
そう考えると、今の教育という仕事に熱中したのも良く分かるんでよね。
目の前にいる子どもたちが、その瞬間に心を動かし葛藤している。そして、それを乗り越えようと試行錯誤している瞬間が目の前で見られるわけなんです。
僕にとってはめちゃくちゃ面白いわけですよ。
だからこそ、その瞬間をどうすれば起こせるのかをひたすら追及し、教育の方法、在り方、言葉のかけ方を自然と学び始めるんです。
ああ、あの瞬間、こういう言葉をかけておけば良かった。その方が、あの子は自分で前に進もうとしたかもしれない、、、
こんな風に、目の前の面白いと思える環境を創っていたいんでしょうね。
だから、自分が関わっている中で、目の前の子どもたちの心が動いていないとなんだか凄いモヤモヤするんです(笑)
この考え方をもって、どこまで会社として社会に価値を広げるか、、、。
ある意味チャレンジですね~