親父が泣いた記念日

記憶する限り、親父が涙を流しながら泣いているところを見たコトがない。

祖父母が亡くなった時も、妹が結婚式を挙げた時も、目をうるませるコトはあっても明確に「泣いた」と感じるようなコトはなかった。

8/3のコトだ。

1週間の弾丸帰郷を敢行した妹が、甥と姪を連れて帰る時だった。甥と姪を外に出したところで、妹が突然泣き出して親父に抱きついた。おそらくもう永くない親父に会えるのはこれが最後になってしまうかもしれない。そんな思いがあったのだと思う。「またね!絶対次も会うんだからね!今度は旦那も連れてくるから!」と泣きながら妹が言うと、うんうんと頷きながら親父が涙を流した。一度離れた後にもう一度妹が泣いて抱きつき、別れを惜しんでいた。

それを見ていて「ほら!約束したんだからな!できるだけ栄養とろうな!」と僕も声をかけた。

そしてそのまま僕は付き添いで新宿まで妹たちを送っていった。特急の指定席についたところで甥と姪に「またね」と握手をし、最後に妹とも「あんま心配すんな」と握手して新宿を離れた。

この先、親父を看取るとして、おそらく母や妹はそれどころじゃなくなるはずで、そうなると長男たる自分が矢面に立たなきゃいけない。一番悲しみや最期の別れを穏やかに過ごしたいはずの喪主がせわしないのを何度も見てきた。そうなると僕は泣いている場合ではない。そしてたぶん泣く立場でもない。

のだが、肉親の死を身近に感じるようになり、親父の涙を見て、なんとも言えない気持ちになってしまった。それは自分は親父に涙を流してもらったコトがない、という嫉妬心なのか、同姓の父子特有の感覚なのか、妹と親父が泣いていて僕がそのタイミングを逃してしまったコトなのか、そもそも僕は泣く気がないのか。

新宿からの帰り道、そのモヤモヤが何なのかがわからず、通り道に住んでいる友達にダメモトで連絡をしてみた。とにかく誰かに話を聞いてもらいたい、というだけだった。話しながら咀嚼するとかではなく、ひとまずこの勘定をアウトプットしてみようと。そしたら意外にもOKがきて、合流してごはんを食べた。

タイミングなのだが、その友達も「実は今ガンの検査結果待ちだ」という。口内炎が2ヶ月治らず歯医者にかかったら口内炎ではなさそうで、一度検査を受けた方がいいというコトで大学病院にかかったのだという。その結果待ちというコトだった。「「告知しますか?」ってチェック欄あってさ、いやだけど聞かないとだめじゃん?」と笑っていた。自分たちも年齢的にそういう段階にきているのだなと思う。

そうやってお互いの話をして、スッキリした。

話しながら感情が溢れたら、もしかしたら泣いてしまうかもしれないと思っていたけど、そんなコトもなかった。感情の正体は結局わからないけれど、そんなものを知る必要もないのかもしれない。とにかく吐き出して吐き出して、それでなんとなく解決した。

それにしても昔に比べて他人を頼る機会が増えたような気がする。自力でどうにかしなきゃいけないという思いが強かったのだけど、「できないコト」が年を重ねてわかってきたからか、人に話すコトに抵抗がなくなった。いい距離感の友人が居てくれて良かった。

そして、ここにこうやって書き出すコトも感情整理の一環になっている。

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