お天道様は見ていない。バチも当たらない。
仕事の話を出されて、いくつかのジャブを打っておいたけど結局仕事にならなかった、という話があった。よくある話だし書面で取り交わしたわけでもないから、普通は気にしない。のだが、その案件を僕の近辺の人がやっていて急に腹が立った。
というのがちょっと前の話。
そんなわけでTwitterもフォローを外す…までは別にしなかったけどミュートにはしておいたわけだが、さっきブロ解(ブロック→ブロック解除を行うと、相互フォローが自動的に外れる)されているコトを発見した。
そっちが先に不義理しておいて先にフォローを外すとは何事ぞ!
…というのはまあ自分勝手な理屈だろうけど、心情的には「振るつもりでいたら先に振られた」みたいな感じで、どうにもモヤモヤする。ちなみにnoteも相互だったけどご丁寧にフォロー外れていたので心置きなくこれを書いている。
「口約束ほど守られるべき」と思っている。
何の契約書もない状態だからこそ、お互いに欠いてはいけない義理がある、と思っている。向こうの言い分を加味しないとすれば、不義理な人はあちらさんだ。言葉を選ばないのであれば、僕からしたら「悪い人」。
だからといって、わかりやすいバチなど当たらないのだ。
そもそも悪事を働いたら自分に跳ね返ってくる、というのは被害者側の願望であって、必ずしもそうとは限らない。みんな多かれ少なかれ誰かに迷惑をかけているんだから、それが全部きっちり返ってくるようなら、もうちょっとみんな不幸になっているはずだ。冤罪のまま刑務所で人生を終える人がいて、殺人者が天寿を全うするのが実際の世の中だ。
「お天道様は見ている(だから悪いことはするな)」という先人の教えは、抑止力になれど、そのあとの「バチが当たる」までは保証されない。だから自分で「悪いことや良くないことはやらない」と心に決めて動かなければならない。
…と、今、言葉を選びながら書いてるけど、何も考えずに文句を書くならば、
猫の世話ばっかしてねーで言ったことくらいちゃんと守れ!!!
だ。
こう書いても、僕に当たるバチは保証されない。たぶん。