無職日記86 退院
■前回までのあらすじ
手術終わった親父からLINE!
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手術から約2週間経った水曜日。珍しく親父からLINEが入った。なんぞやと思い開くと「明後日退院になった」とのコト。おお決まったんだね、と返すや否や、今度は母親から同様のLINEが来た。朝イチに車で迎えに行けるかどうかの確認だった。行けるよ、無職だから。
そしたらそれからほどなくしてまた親父からLINEが入った。
「退院が明日に変更になった」
え?急に??「大丈夫だけどどしたの」と返すと「ベッドが足りないから早く退院しろって」とのコト。まあ入院前のロビーの混み具合を見ていたのでその感じはなんとなくわかる。しかもベッドを空ける時間は朝の10時らしいので、また朝早くに車を出すコトになった。そんでまた同じ内容のLINEが母親から入ってきた。わかったから連絡系統は一本化してくれ。
というワケで翌日、朝早くに車を出して親父を迎えに行った。9時に到着して、荷物をまとめる。親父が着替えた後、またロビーで待機。ベッドは空けたけど今度は薬の説明と引き渡し、先生の診察が残っている。親父が診察している間に荷物を車に積み込んだりして、結局待機時間含めて午前中まるまるかかった。高額医療の申請をしていたけど、領収書を見るとまあまあな金額になっていた。逆を返せば保険ありがとうという感じだ。
というワケで、実に2ヶ月振りに親父が自宅へ帰宅した。出っ張ってた腹は引っ込んで、足の筋肉も落ちて骨がつかめる程になっていた。あと心なしかM字ハゲが進んだように見える。死んだじいさんにそっくりだった。
けど、生きて帰って来られた。膵臓がんなんて見つかった時にはアウトのパターンが多いと聞くけど、そんな中、手術までいけたのだからラッキーと捉えるの一番良いと思う。ここからまた薬の投与や食事の制限などがかかるけど、そこらへんは僕もサポートしていきたい。
当初は11月の親父の誕生日には自宅に戻れないかも、と思っていたのだけど、何とか帰って来られた。せっかくなので、誕生日当日は夫婦水入らずで過ごしてもらった。
誕生日当日、親父にLINEで「おめでとう。長生きしてね」と入れた。
「はい」
とだけ返ってきた。そっけねえな。
おわり。