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異動に際しての備忘録

今の職場も、あと5回来たら終わり。3年しかいなかった(いられなかった、と言ったほうが正しい。なぜなら公的な事情での異動だから)けれど、一区切りということで少し振り返ってみる。

転居と子どもの入学のため、近くの職場を希望していた。保育園は至れり尽せりで、母の強力な味方になってくれるのに対し、小学校も学童もそんな役割は果たしてくれない。けれども、大人の目を離れた低学年ぼうやには危険がつきものだから、とにかく近くに行きたかった。そうして決まったのが今の職場。

最初は馴染めない職場だと思った。若い人の輪にも入れず、ベテランの個性もよくわからない。学年の結束の強さは良いけれど、後から入りにくい雰囲気があった。わたしはすみっこの席ではじめの2年間、なるべく一人でできる仕事を選んで地味に働いた。もちろん、多忙な人を支える役割を買って出た方が助かることもわかるけれど、多忙な人のこだわりに振り回されそうな予感がしたし、それは嫌だった。

最後の年はその学年から離れることができ、別の学年に入った。ここでの人間関係は以前よりも開放的で、居心地良く過ごせた。けれども、取り組みに特殊なものがあり、その対応には少し苦労があった。職場だけでなく、外部の人と協力するものだったため、やりにくさがあったのと、生徒のモチベーションも一様でないためにうまく取り組ませることが出来なかったから。

外部の方の協力も最初から最後まで寄り添ってくださるものではなかった。ある時は教員顔負けのご講義が延々と続くかと思うと、またある時は内容のスカスカのワークシートのデータのみペラリと送って来るだけ、果ては音信不通で何の返しもない時期すらあったりして、一貫しないのだった。生徒も概ねついて来なかったが、一部の心ある生徒の協力で何とか発表等の大舞台を乗り切り、形を整えた。この取り組みからは、外部人材の活用とか言われているけれどたいした報酬もない状況で、お願いできることは少ないということを学んだ。

3年振り返ってみて、嫌なことも楽しいことも正直言って薄かったな、と思う。それは、コロナのせいだったかもしれないし、職場の事情にもよるとは思うけれど、充実はしなかった。代わりに低学年の、幼児から少年に成長したわが子の姿をよく見ることが出来た。それは、1歳になるまでの育休に次ぐ密度で見てやることが出来たと思う。職場に多くのストレスを抱えることなく過ごせたことはありがたかった。

次はそうはいかないので、高学年になっていく子どもの成長に期待しながら公私共に充実させていきたいと思う。