心がまとまらない。
故郷に帰り、状態の良くない父に会った後今もまだ心がまとまらない日々が続いています。
先日のほうが、父の死をも覚悟して行ったので消耗したのでしたが、年末年始の休みと重なったので、しばらく何にもしない日を過ごすことで心の回復を待つことができました。けれど、今回は戻った次の日から仕事。騒々しくエネルギーの溢れかえった日常とのギャップの中で、何とか周囲に合わせているうちにだんだんしんどくなって来ました。気がまぎれるというよりは、気持ちを無視しているような変な状況になって来ました。仕方なく、今日の午後は休みをとりました。今日なら午後に授業がないため、あまり影響なく休めるのです。わずかに仕事を頼まれましたが、今回ばかりは申し訳ないけれどもお断りしました。今は周囲に流されるべきではなく、自分の心を優先しなければ再起に時間がかかる気がします。
生徒はみんな優しく、パワフルです。今の職場で1年が経過して、毎年この時期に起こるやや寂しい、感謝のこもった気持ちに今年も浸りました。今年の子たちは全体的にわたしのトークを楽しみにしてくれる子が多く、そして真剣に取り組んでくれていました。進路の決まった子達が多少崩れてしまいましたが、それでも何とか最後まで大人の対応を頑張ってくれたような気がします。楽しかったですし、これからの活躍が楽しみな子達です。
でも、今は父のことで頭がいっぱいです。美味しいものを食べても、もうこんなものが食べられないんだなあと思うし、過去に父と行った場所、もういくことが出来ない場所を思い出したり、大昔に父を悲しませた言葉などを思い出したりして後悔したり、懐かしんだりしています。そして、今何ができるんだろうと考えます。面会謝絶の今、顔を見せることすらできません。遠くで、祈ることぐらいしかできずにいます。悲しくて泣けてきます。
この数日でわたしが考えたのは、こんな悲しい苦しい気持ちを子どもにはなるべく味わせたくないということです。いずれ死んでお別れするのだから、迷惑をかけることは避けられない。でも、できるだけ子どもが若いうちでなく、ちゃんと大人になるまで頑張りたい。今、しっかり歳を重ねたわたしですら、胸が張り裂けるような気持ちなのだから、たとえばわたしが20年前にこんな気持ちになっていたらどうだったかと考えると今とは違う感じ方をしただろう、そしてそれはそれはしんどいことだっただろうと思うのです。遅い子どもなので、わたしが父の年齢で父のような大病人になってしまうと、三十代前半のまだ自分のことで精一杯な子どもに迷惑をかけることになります。それは避けたい。むしろその年齢ぐらいまでは現役で仕事をしていたいと思います。
家系的には、わたしもバッチリ同じ病気のリスクを抱えています。今まで健康診断で指摘されたことはないですが、次は指摘されるかもしれません。予測される病気は、予防して若いうちに子どもに負担をかけることがないように努力をしようと思います。それが、わたしの子どものためにできる二つ目のこと。(一つ目はもちろん教育をつけてやることですが)食事、気をつけることにしました。運動は大嫌いですが、なるべく生活の中に体を動かすことを取り入れることにしました。それから、宵っぱりですが、寝る時間もこれから気をつけたいと思います。
そして、父のこと。
残された時間の中で、何ができるかわかりませんが少なくとも会えるチャンスは全て逃さず、全て帰ることにしました。新幹線で2時間の故郷。近いとは言えないけれど、お金さえ出せばすぐに帰れる距離です。仕事もあるけれど、仕事を優先するばかりに両親に寂しい思いをさせてきましたから、先の短い今は、父を優先したいと思います。
文章を書きながら、少し心がまとまってきました。
noteは自分の心と向き合う機会を作り出してくれます。