最近のいろいろ
しばらくnoteを開きませんでした。
心の中を文章にして眺める余裕がなかったからだと思います。
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仕事が継続できることは、幸せなことなのだと思いました。
同期がいます。採用年同じ、初任校同じ、年齢一つ違い、家庭を持ったのは1ヶ月違い、子どもも同い年。彼女は、この春離職したと聞きました。長く会っていないので、状況は分かりませんが、長く悩んでいることのいくつかを聞いていました。そして、心配していました。
中年と言われる年になった今のわたしにも色々な苦労はあります。亡くなった父には何もしてあげられなかった後悔があります。子どもは中学受験で、彼なりに頑張ってはいますが、たくさんのサポートが必要です。仕事は充実していません。仕事はいつまで経ってもまともにできません。わたし自身の体も若い頃に比べれば不調があります。そんな中で、離職の話を聞いて、心に小さな穴が空きました。冷たい風が吹き込み、悲しくなりました。
自分の人生はなかなか思う通りに進まない。勢いで突き進んでいた若い頃、偶然が重なって今が出来上がった頃、それから10年が経過した今。仕事は何とか続けられ、この春からは久々の担任を持ちます。役割が大きく変わって戸惑いますが、楽しみでもあります。楽しみと感じられるのは多分幸せ。彼女もままならないことが重なって、離職が最善の選択だったのでしょう。賢明な女性ですから、何らかの形で経験を活かし、新しい道を見つけていくんじゃないかと思っています。
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子どもは何とか半年の間、一番上のクラスにしがみついています。ただ、最近は国語の読解が取れていることや理社の先取りを重点的にやって余裕があることで、全体の順位をギリギリキープしているだけ。算数が厳しいのです。先日の復習テストはクラス昇降がないものですが、4科63とやや足りませんでした。クラスキープと志望校を変えないため、常にサピで65を目指しています。
今日は一日算数デーとして、算数だけ重点的にすることにしました。そもそも算数は嫌いではないので、何とか復調したいと思います。父の葬儀や春期講習初日からのインフルエンザ罹患、さらには拗らせて数日後に再度発熱したことなど、なかなか集中できない状況があります。4月初めに実家に帰るつもりでしたが、子どもの不調で諦めました。今日は体調が回復したので、有料学習スペースで勉強中。よく頑張っています。
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父の四十九日が近づいて来ました。あの世に去っていく時だとされています。何となく近くにいるのではないか、ふと父の声が聞こえたりはしないかと耳を澄ませたり、思わず父への言葉を呟いていることもありました。けれども、やはり何も声は聞こえません。身近な家族がこの世を去れば、あの世はもしかしたら少し身近に感じるかもしれないと思っていました。けれど、生きている限り、死は近く感じられないということがわかりました。父は夢にさえ、出て来ません。脳が忘れかけた記憶を整理しようとするときに夢に現れると聞いたことがあります。夢に出てこないということは、意識の上にまだ十分に存在しているということなのかもしれません。