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さよならはしたくない、けれど。

この度の北陸地方の地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

新年おめでとうございます。旧年中はこのnoteの存在に支えられたことが多くありました。本年もよろしくお願いいたします。

年末に父の急な手術があり、実家のある遠方に赴きました。
父はもう随分昔から糖尿病を患っています。今の私の年齢の時には完全に糖尿病患者でした。生活習慣が悪いせいであり、そして放置してしまっていたせいで、12年前から末期的症状の一つである腎不全のため、人工透析を始めました。その後も血流の障害による心臓の機能低下や壊死、網膜症などいわゆる糖尿の末期的症状が全て現れました。年々悪くなる状況でしたが、療養型病院の渾身の治療のおかげで小康状態を得て10ヶ月前に退院をすることができました。念願の一人暮らしにとても喜んでいましたが、2ヶ月前、心臓の手術のために再び入院をすることになりました。

今回は1週間ほどの入院で済むと聞いていました。あまり心配をしていませんでした。でも、弱り切った父の身体にはこの手術が思いの外厳しく、さまざまな悪い症状を起こしました。先月半ばに先生の説明を聞くために弟が遠方から父の元へ出向きましたが、私は学期末の多忙にかまけて見送りました。その時の弟からの報告が予想を遥かに超えたもので、次の機会には必ず行こうと思っていました。思いがけなく弟から急な大手術の連絡が来ました。私は、すぐに新幹線のチケットを買い、ホテルを予約して夜のうちに遠路はるばる父のもとに出向いたのでした。

片足の太腿での切断ということでした。これまでにも足指はいくらか切断されていましたが、なんとか歩くことができていました。でも、もう歩けません。前に会ったのは桜の頃。退院できたので、退院祝いのつもりでした。父はたくさんは歩けないけれど、広いホテルの中を車椅子で移動し、見頃の桜の庭を堪能し、豪華なホテルのご飯に舌鼓を打ちました。子どもは父の車椅子を押して歩きました。なかなか危なかしかったですが、父はとても喜んでいました。それから10ヶ月。また一段階辛いステップを上がったような気がしています。9ヶ月ぶりに父の顔を見ました。脳梗塞で意識障害と言語障害があるとのことでしたが、私が来たのを悟り、笑おうとしました。ただそれだけでしたが、来て良かったと思いました。もう栄養も食事から摂れない、歩けない、そんな状況でも私ができることの一つが出来た気がして心から嬉しくなりました。そして悲しくなりました。

手術は成功したとのことで、医師からの説明を受け、重い心で家に帰りました。緊張が一気に緩んで頭痛がひどく、またさまざまなことが思い出されました。

それから5日が経過しました。病院から何も連絡は来ません。父は目を覚ましたのか、病状はどうなのかさまざまな不安が行き来します。でも、家にいると、心配して泣いてばかりもいられませんし、夫も子どもも気を使ってくれていることもわかるのでありがたく思っています。どうにか日常生活は送れています。帰ってから医師の養老孟司さんと小堀鴎一郎さんの対談『死を受け入れること』を何度も読みました。たくさんの死を客観的に見つめてきた人は、死をどのように捉えるのかを学びました。死は二人称のもの、すなわち周りの人たちのものという言葉が印象的でした。自分の死を自分は見ることはないのだから、死の受容は周りの問題であるということ。確かにそうで、父の残りわずかな命の中で泣いたり悲しんだりするところを見せたくない、少なくともわずかでも元気を伝え、今ここにあることを良かったと思って欲しい、そう考えれば自分の問題である死の受容は何とか自分の中で収めたいと思うようになりました。

手術はするべきでなかった、手術のせいなんだと母は怒っています。弟もどうやら同じ意見。でも、手術をした医者を責めるのは少し違うと思います。もともと父の体はちょっとつついてもバラバラになるリスクがあった、それでも命を救うことを第一に考えたゆえに手術を受けた、受けることを自ら選んだのだから、その結果が悪い方に振れたからといって責めることはできないのではないか。そう伝えました。その上で、どうしてもお医者さんに責めたいなら責めるしかない。私も疑問を感じたからお医者さんに尋ね、丁寧な説明を受けた上で納得しました。だから、納得のいかないところは尋ねるしかないのかもしれません。

学ぶ、悟る、受け容れる、思いやる・・・多くのことを一度に人生から課せられ、そして修行のプロセスであることを実感しました。人生は修行のようなもの。私の思いからすれば、父とはまだ、さよならをしたくない。でも、そもそも生きることも死ぬことも、自分の意思でなんともできることではない。だから、私の気持ちや気持ちからくる行動だけは、自分の意思で少しでも状況を整えたい、そのように思います。