見出し画像

新幹線で2時間の距離

スキー場に来ました。
子どもがずっと来たいと言っていて、まさに2年ぶりのスキーをするためです。けれど、わたしはひどく風邪を引き、スキーは自粛。子どもと夫のみ滑りに行き、わたしはレストランでのんびりお茶を飲んでいます。

父の転院で帰省して一日置いてすぐの遠出なので、無理はしないことにしました。発症したのは昨日で、父の転院時は風邪を引いていることに気づかなかったので、うつしていないか心配です。でもお互いにマスクはしていたし、なるべく近寄らないようにもしていたので、大丈夫なはずと信じます。仕事柄、常にウィルスにさらされており、ハイリスクです。

父は、今回はわたしと弟の2人が付き添って来たことに気づくことができ、笑顔が見えました。この間は母も来たのですが、認識できなかったので今回は良かったと思いました。でも、明らかに状況は悪くなっていました。転院先はとても処置が的確で、前も非常に悪くして入ったところを、一人暮らしできるまでに回復させてくださいました。今回、再び同じ病院に戻って来て、前よりもずっと悪いのですが、少しでも回復の希望を持ちたい、父にも持ってほしいと思います。そして、わたしにできることは顔を見せることだけ。何とか万事繰り合わせて、2週間に一度は顔を見せにいこうと思っています。

わたしが「お父さん、来たよ。わかる?」と尋ねると、お隣の患者さんが「はい。」と返事をしてくれたのが印象的でした。「ごめんな、患者さんと違うねん。うらやましいなあ」と笑顔で声をかけながら、カーテンを引いた看護師さんにも優しさを感じました。父はもう「はい」「いいえ」さえ言葉にできません。でも、笑顔になったということはわかっていると思います。わかるうちに今生きていて良かったと思う瞬間を作りたい、もしかしたら自己満足かもしれないけれど、どうしてもそうしたいと思いました。風邪を治して、2週間後に帰省できるように仕事と子どもの勉強を調整しようと思います。

父の人生の3分の1は病気との戦いでした。40代後半から完全に糖尿病になり、段々病院と離れられなくなったのが50代半ばぐらい。今は70歳。10年余りは人工透析もあり、大きな手術も何度も乗り越えてここまで来ました。生きるということの意味を考えさせられます。もう回復することはなく、じわじわと体の外側から腐ってくる、内側も機能が失われていく、そういう状況の中で、何故生きていかなくてはならないのだろう、自分の命ではあるけれど、そこに意志を入れ込むのは間違っているのかもしれない。命を繋いでもらっている以上、医療に委ねている以上、自分の命はもう自分のものではないのかもしれない、とふと思うのでした。命を繋いでもらっている間は、せめて会いにいこうと思います。新幹線で2時間の距離なんですから。