居場所を求めて
とある地方の出身で、その地方においてはまあまあの女子大と大学院を修了したわたしは、さらなる学びと自由の場を求めて、移住を決めたのでした。けれども、周囲に知っている人は誰もおらず、進学した大学院は想像していたような場でもありませんでした。方言すら馬鹿にされ、研究でなく人格にダメ出しされ、なんだか居場所がないなと思いました。
居場所はどこにあるのだろう?当てもなく暗闇を歩いているような毎日でした。研究をしていれば展望が開けるわけではなく、むしろ極めるほどに長い長いトンネルが待っていそうでした。
様々な出会いと別れを繰り返しながら、わたしは自分の居場所を探していたのでした。それは、場所でも人でも仕事でも良くて、ただそこにいてもいい、と思える場所。思ってもらえる場所。見つからなくて、真っ暗な中をヒールを引きずりながら歩いている、ひとりぼっちでお金も仕事もなくて、若さを無駄遣いしている自覚がありました。
入学したからには、ちゃんと修了しなくちゃ意味がない!その思いで今からは考えられない困難を乗り越え、必死で論文を書いて修了しました。苦学生のわたしは仕事は常に必要で、アルバイトをたくさんしましたが、その延長線上にある教職しか自分のできる仕事はなさそうでした。これも推挙してくださる奇特な先生のおかげで、定職とすることができました。そして、その頃出会いがあり、結婚を待たずに赤ちゃんを授かり、月満ちて子どもが誕生しました。
あの頃、居場所を渇望していた感覚は、今はありません。きっと望んでいた居場所は、見つかったんだと思います。夫と子どもが待ってくれている場所。研究は辞めたのは、そこに居場所がなかったから。充足感は一生かけても得られないことに気づいたから。
若いのは、苦しいです。若さをなくして、平穏を得たと思います。平穏の素晴らしさを知ったのは、居場所を求めて苦労した若い頃があったからだと思います。良い経験をしました。