「日本人とユダヤ人」講読
野阿梓
第十二講 ロープシン(1)
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文庫版の第十章「すばらしき誤訳「蒼ざめた馬」――黙示録的世界とムード的世界――」には、
「五木寛之氏の『蒼ざめた馬を見よ』はその題名をロープシンの『蒼ざめた馬』からとっており、この『蒼ざめた馬』はその日本語訳の扉に摘記されているように『ヨハネ黙示録』六章六節からの引用で、この『ヨハネ黙示録』の馬は『ゼカリヤ書』の四頭の馬(これでは戦車をひいている)がもとになっているのだから、表題に関する限り黙示文学の刑統にあるといえる。しかしロープシンは、日本語に訳されたとたん、黙示文学の系統からばっさりと断ち切られている。従って五木氏の小説にはもちろん、黙示文学的要素は全くない」
――とあります。
V・ロープシン「蒼ざめた馬」は、日本では一九一九年(大正八)年に青野季吉訳「蒼ざめたる馬」の名で冬夏社より刊行されてから、三二(昭和七)年に別な人の訳「蒼褪めたる馬」(春陽堂刊)が出たのを除くと、長い間、翻訳がなかったようですが、六七年に現代思潮社と晶文社からほぼ同時期に刊行されました。実に半世紀ぶりに近い。国会図書館のOPACで調べた結果ですから確かでしょうが、なぜ半世紀も放っておかれたのか不思議です。
もっとも私が先に読んだのは、福岡県立図書館所蔵の、最初に出た青野季吉訳版でした。この図書館は日本で最初に出た青柳瑞穂訳「マルドロオルの歌」を駒井哲郎の銅板画で飾った豪華本やコクトーの「山師トマ」、また第十講の8で言及した「人間の文学」叢書があったりして、かなり七〇年前後の私に良い読書環境を提供してくれました。その後、「蒼ざめた馬」は他に三種類ほどの訳が延べ一〇冊ほど出ています。いずれも現在すべて絶版品切です。七〇年代の政治的青年たちにはバイブルのように読まれた本ですが、今となっては百年前のテロリストたちの心情に現在の若い人が共感するのは無理だろうな、とも思います。
今、私の手許には現代思潮社版とそれが七五年に角川文庫で再刊されたものがあります。
正直なところ、よく大正時代にこれが出版できたと思います。旧刑法は明治一五年に施行され改正された刑法にも規定された大逆罪(天皇以下皇后、皇太子に対して危害を加える犯行への罪)は、社会主義者の幸徳秋水らに対して適用され、いわゆる「大逆事件」となって十数名の人間が刑死あるいは獄死したのが、一九一〇年(明治四三)年の出来事です。今ではその大半が冤罪だったと判明している惨たらしい事件でした。それから十年も経っていない。そのたった九年後に、いくら他国の話とはいえ、日本とも関係浅からぬ帝政ロシアで、皇帝とも近しい人間をテロの対象とした、しかも実話を元にしたという作品が翻訳されて、よくぞ発禁にもならずに広く読まれた、というのが驚きです。
確かに、その間、当のロシアでは革命が起きて、帝政は滅び、レーニン率いるソ連が誕生しているのですが、大逆罪は天皇爆殺を企図した、いわば「未遂事件」ですが、ロープシンの作品は現実に起きた「成功したテロ」を描いた小説で、その違いは大きい。為政者としては、おそらく弾圧したかったのではないか、と思われる内容です。当局としては、革命によって、あっけなく崩壊してしまったロシア帝国や、その版図を受け継ぎながら理解しがたい共産主義という観念が実体をまとったソ連という国家に関心を抱いていて、痛し痒しながらも、あえて看過したものか、とも思えます。
それにしても当時、大正デモクラシーという自由主義の風潮があったとはいえ、そもそも、よくぞこれを翻訳・出版しようと決意したものだ、と感心します。訳者の青野季吉は初期はプロレタリア文芸評論家として活躍し、後に第一次日本共産党に入って実践活動をした人です。氏の「文学五十年」(筑摩書房 五七年刊)によると、この英訳本を見せて翻訳を勧めたのは、早稲田大学の友人だった直木三十五だったそうです。一読感興を得て、半月ほどで訳出した青野が直木に原稿を持っていくと十五円を払ってくれた、とあります。当時、初版は千五百部だった由です。冬夏社は直木がやはり早大の鷲尾雨工と経営していた出版社でしたが、その後、関東大震災で倒産したようです。震災は大正一二年の出来事で、その後すぐ一三年に随筆社から「蒼ざめたる馬」は、ほぼ同時に黒田乙吉訳「黒馬を見たり」と共に出ているので、それなりの需要があったのだ、と思われます。冬夏社は他にツルゲーネフ全集やハブロック・エリスの「性の心理」選集などを刊行した、良心的かつ先鋭的な出版社だったようです。
また青野季吉と並んで黒田乙吉ですから、これも青野氏の別ペンネームかと思ったのですが、全くの別人で、一八八八(明治二一)年生まれ、大阪毎日新聞の記者となり、一九一七年モスクワ特派員としてロシアの二月、十月革命を報道した人だそうです。一九七一年死去。八八歳。黒田氏はロシア語が出来たようですが、青野氏はロシア語を学んだという形跡がないため、文庫版にあるように、たぶん英語からの重訳だっただろう、と思われます。
「蒼ざめた馬」は、とてもこれがテロリストの書いた小説の処女作とは思えぬ、テロ場面の動的描写から人間的な種々の心理を内省する静的描写、その動と静の対比が美事で、詩情をたたえる文章が美しい作品です。とりわけ末尾の哀切にみちた叙情的で静謐な数行は、ひと頃、私は暗誦するほど愛読したものです。実際には、当時の私は、あまりにも幼稚で世間を知らず、実際に思想のために赤の他人を殺害するテロ行為の実態をよく理解もせずに、それと表裏一体となって描かれる感傷的文章にのみ目が行き、この作品のロマンティシズムに酔い痴れるほど現実世界を見ていませんでした。不眠症で外との関係を失くしていたとはいえ、まともな神経ではなかったのは確かです。
とはいえ、それを超える何かが、この作品の中にあったのも事実でしょう。訳者は異なれども、六〇年代後半から七〇年代半ばにいたるまで、この書は、当時、政治を語る青年たちにとって、何ごとか明確なるメッセージを確実に伝えたのです。
逆に言えば、サヴィンコフらの闘争が、いっそプリミティヴな爆弾テロだからこそ、日本の学生たちの心を捉えたのかも知れません。銃社会のアメリカでは、「いちご白書」の直後から民主社会学生同盟の先鋭分子は機関銃で武装していました。一方、日本では、司直から「武器」の扱いを受けない角材で殴り合っていたのです(六八年の佐世保エンタープライズ号寄港事件の裁判過程で「用法上の凶器」と判断)。その中でも少しヒロイズムが過ぎる、と周囲の新左翼過激派から多少とも軽侮の念をこめて言われていたブント赤軍派は、火炎瓶では物足りず、鉄パイプ爆弾などを大量に製造し、六九年十一月に大菩薩峠で五十数名が逮捕される結果となります。
他方、機動隊は数々の「全学連」との闘いで武装化を強め、ジュラルミンの楯や催涙ガスを詰めた放水などで、表向きはまだ角材で街頭闘争を行っていた彼らを凌駕していきます。内ゲバでは、鉄パイプで相手を殴打し死亡させることもありました。当時、父の周囲にいた学生さんの話では、機動隊が防御用に使っているジュラルミンの楯の水平投げを背中に受けて、下半身不随になった友人がいる。などと聴いたことがあります。
警察は、武装強化するのに対して、たとえば赤軍派は、大菩薩峠事件で一斉検挙された後は組織として再建できず、幹部がバラバラに飛行機をハイジャックし北鮮へ飛んだり(よご号事件)、重信房子らはパレスチナへ移り日本赤軍を名乗る。国内に残ったメンバーは主義思想を違える京浜安保共闘と合作し、連合赤軍を名乗り、革命をやり切るために心身を鍛え直すと称して山岳ベースを作り、その過程で「総括」という名の私刑を行なって悲惨な大量殺戮事件を引き起こす。など、四分五裂の状況に陥り、さらに革マル派と中核派の内ゲバに顕著な内争に明け暮れるようになる。そして、最初は同情的だった一般市民から遊離して、排除されていく。
六九年から七〇年にかけては、来たるべき七〇年アンポ闘争に向けて様々な国内の政治結社が離合集散し、なにか核となる理念を追い求めていた時代です。たとえロマンティシズムの産物だ、と批判されても、「蒼ざめた馬」に在る「革命」と「死」は当時、実体をおびた何ものかでありましたし、政治の中での「愛」と「信仰」は、クリスチャン以外の人が読む聖書の内外で、青年たちに何らかの決意を促す、あるいは突きつける問いかけでした。
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以下に引用する文中、「河」とあるのは、当時のロシアの帝都ペテルブルグのネヴァ河で、主人公はテロ活動のため、身分をいつわり、英国人「ジョージ・オブライエン」になりすまして、ブロークンな英語で押し通し、ロシア帝国内務省の特高警察(オフラーナ)の追跡をかわしつつ、ようやく目的のテロ行為を完遂するのですが、同時に付き合っていた人妻の夫から決斗を挑まれ、それを射殺します。片方では大義のために帝国の重臣の生命を奪い、他方では個人的な欲望のために、ただの殺人を犯す。その瞬間、彼はその人妻への欲望を失ない、同時に革命の大義も揺るがせるのです。テロというギリギリの現場に立って、精神的に追いつめられた主人公は、この私的な殺人行為によって、ついには革命の主義も愛も信じられなくなり、もはや生きる意味すら喪失してゆき、おそらく自分の拳銃で自殺することを暗示させて、物語は静かに終わります。
青野訳はおそらく英訳からの重訳でしょうが、そのロマン主義的なフレーズは、それが恐るべき帝政時代のテロリズムを描いた作品だということを忘れさせるほどパセティックで悲哀にあふれており、大正デモクラシー以来、多くの若い人々の心を奪いました。むろん、私も例外ではありませんでした。後にSFを書きだした私は、銀河帝国と闘うテロリスト、レモン・トロツキーという人物を造形し、それは名前に反してロープシンの影響を強く反映しています。
「ほがらかな、そして愁わしげな日だ。河は太陽に輝いている。私は、その広大ななめらかさ、深い静かな水の床を愛する。憂鬱な入日は海の中に死んで、紫の天空が燃えている。水の飛沫に悲哀がある。樅の梢は靡いている。樹脂(きやに)の匂いがする。星が出て秋の夜が落ちた時に、私は私の最後の言葉を云おう。私の拳銃は私と共にある」(旧仮名旧漢字は現代仮名遣いに変えています)
国会図書館のデジタルコレクションに、この青野季吉訳「蒼ざめたる馬」の書影が一般公開されて読むことが出来ます(※1)。他に黒田乙吉訳「黒馬を見たり」(随筆社 二四年刊)の書影もあります。冬夏社の本は概ねデジタル公開されているようです。随筆社の方はよく判らなかったのですが、国会図書館のOPACでは大正一三年に刊行された本しか記載がなく、ロープシン以外の刊行物はモーリス・ルブラン選集(つまりルパン選集)と「随筆」という雑誌だけです。この会社に直木が関わっていたのかどうかは不明です(震災後、彼は大阪本社のプラトン社で川口松太郎らと「苦楽」誌の編集をしていた、とありますが、プラトン社は東京支社があった由ですので、同時期に複数の在京の出版社に関与した可能性はあります)。なお、国会図書館の書影を元にAmazon からキンドル版が一一〇円で廉価販売されています(※1―1)。
※1)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/962553
※1―1)https://www.amazon.co.jp/dp/B06XK9VMKW
V・ロープシンは筆名で、本名ボリス・サヴィンコフは一八七九年に現ウクライナのハリコフで貴族の子息として生まれました。父はポーランドの首都ワルシャワの判事、母は著名な作家だったという知的で裕福な家に育ちますが、世紀末にマルクス主義に熱中し、組織を転々とし、逮捕、流刑の果てに、穏和な共産主義に幻滅し、ナロードニキ(人民主義)の過激派「人民の意志」派に傾倒し、〇三年にはテロリズムを容認する社会革命党(通称SR=エスエル)に入党し、そのテロ実行部隊である戦闘団の長として、実際に内相プレーヴェやモスクワ総督セルゲイ大公らの暗殺を指揮します。セルゲイ大公は皇帝ニコライ二世の伯父でもあり、皇帝の摂政として、いわば帝政ロシア内の最高権力者でした。彼らの次の標的は最早ニコライ二世皇帝しかありません。
しかし、あえて今、冷たい言葉をかけるとすれば、おそらく皇帝を暗殺したところで帝政ロシアは微動だにしなかったでしょう。ロシア帝国の崩壊は第一次大戦の敗色を突いた革命によってもたらせられたのです。テロリズム(暗殺)という手段では、カリスマ的な独裁者による国家といった特殊な例外を除けば、その国体を変えることはない、というのが冷酷なる現実です。しかし当時、そんなことは誰にも判りませんでした。サヴィンコフら純粋な若者たちは、革命の大義に身を挺し、文字通り生命をかけて、テロ活動に突き進んでいったのです。
今では、アメリカを初めとする先進国にとって、「テロリズム」とは、パレスチナのインティファーダや九・一一に顕著なように、主に「持たざる人々」=旧第三世界の人々にとって、アメリカ、ロシア、中国といった二十一世紀型の新しい「帝国」への最後に残された抵抗手段を意味しており、二十世紀初頭のそれとは大きく距たっています。しかし、だからといって、サヴィンコフたちの闘争が全く人類史の中で無意味だったとは私には思えません。その闘争の中での葛藤は、今なお有効な問題だと思います。
セルゲイ大公暗殺の際には実行部隊のチーフだったカリャーエフが、大公と一緒にその家族の子供たち(甥や姪)が馬車に乗っていたため、独自の判断で最初の計画を中止しています。カリャーエフはサヴィンコフの幼なじみでもあり、同じ流刑地から脱出して主義と行動を共にした盟友でした。しかし、「テロの大義のためでも、自分は子供を殺せない」、というカリャーエフに言い返せる同志はいませんでした。まだ共産主義的テロリズムでさえ揺籃期にあった時代の出来事です。とはいえ、それをして現在の眼から見て、「ナイーヴだ」と評するのは間違っているでしょう。そこには、根源的に圧政に対して闘う人間にとって、テロリズムは許されるのか、政治的殺人つまり暗殺は、どこまで犠牲者の範囲を許容するのか、といった人間的な倫理の限界を問う、いつになっても変わらない普遍的な問題が内包されているからです。
このカリャーエフの挿話は「蒼ざめた馬」では細部が省かれていますが、このモチーフを、後年、カミュが「正義の人々」(四九年刊)という戯曲に書いています。二度目の機会に大公爆殺に成功したカリャーエフはその場で抵抗もせずに捕えられるのですが、彼を獄中に訪ねる大公夫人との息づまる対話は、人間にとって「正義」とは何かを鋭く問いかけるイデオロギーとヒューマニズムの葛藤を描く名場面です。私は学生時代、この対話場面だけ切り取って全編仏語で話すフランス語の芝居を語学サークルの発表会で演じたことがあります。カリャーエフの刑死が伝わると、彼の恋人でふだんは穏和主義だったドーラが自らテロリズムに身を投じる決意を固める場面で劇は終わります。
この当時のテロは、ダイナマイトで作った手製爆弾を投じて爆殺する、というもので、実行犯本人まで死ぬ危険性がありました。それ以前に、手製なので、製造中ないし運搬中にも爆発する可能性もあり、文字通り命がけの行為でした。しかも逮捕されたら死刑はまぬがれません。サヴィンコフの部下で、テロに参加した若者たちは、それまで一度も人を殺めたこともない、ごく普通の学生や労働者ばかりです。カリャーエフは、プレーヴェ内相暗殺にも関わったことがありますが、普段は皆から「詩人」と綽名されるほどの文学青年でした。「蒼ざめた馬」では熱烈なキリスト教徒であるワーニャのモデルとなっています。
「蒼ざめた馬」自体、ドストエフスキーの影響を色濃く受けた文学趣味にあふれており、ロープシンの名での詩集なども有りますから、革命に挺身しなかったら、サヴィンコフ自身もロシアの詩人になっていたかも知れません。とまれ、ワーニャは主人公の道を「スメルジャコフの道だ」と批判するのですが、彼自身もキリスト教的愛とテロによる殺人の理論的整合性を取れないでいます。ワーニャはイワンの愛称なので、スメルジャコフから「カラマーゾフの兄弟」を想起すると、彼は「大審問官」を唱えたイワン・カラマーゾフに相当するのか、あれこれ考えてしまいます。
3
私は、学生時代、仏語のフランス人教授の家にサークルの皆と遊びに行った時のことを思い出します。その際、教授は、日本人は、わりと普通に自分のことを簡単に「無神論者だ」という風に言うが、これはフランス人から見ると非常に奇異に見える。と言われました。
フランスは確かにカトリック大国ですが、それと無関係ではないが、少し違う。フランスだけではないだろうが、欧米で「無神論者(仏語=athee(アテ))」と言えば、それはなにか非常に特殊な思想であり、その人間の背景には只ならぬ何ごとか感じ取ってしまう。そういうものだ、と。だが、日本人は、当時の私もそうでしたが、ただ特定の宗教に染まっていないだけで、あるいは、ただ幼少時には親に連れられて行っていた神社仏閣への参拝などを物心ついてから止めてしまった。といった、とても簡単な理由で「自分は無神論者だ」というようなケースが多い。これは、しかし、宗教(カトリックを含めたクリスチャン)が圧倒的に多い欧米では、かなり異様に見える、というのです。
むろん、欧米諸国や、あるいはイスラム社会でも熱心に教会やモスクに通い、信仰の篤い人は全体の一部であり、大半の人々は、それほど強い信仰心はない、とは思われるが、それと「無神論」とは全く違う。だから自分たち西欧人は、日本人が「わたしは無神論だ」と言うのには、非常に強い違和感を感じる。そういう意見でした。
その場は、いろいろな議論で結局、結論は出ませんでした(よく憶えていませんが、海外に行ったら、「自分はブッディストだ」と言っておけば、それなりに外人も納得するだろうから、そう言うのが無難だろう、といった話に落ち着いたように思いますが、むろん、これでは何の解決にもなっていません)。しかし、おそらく、日本人を外から見る欧米の、あるいはムスリムの人々からすれば、日本人が軽く「ボクは無神論でね」と口にする光景は、世界の常識には反するものなのだろうな、という印象を持ったことは強く憶えています。特に、落第して五年間もいた高校時代をミッション校で過ごした私は、日本人のクリスチャンと接触があった経験からも、その先生の発言は非常に印象的でした。
私は当時、語学サークルにいました。そこでは英独仏の三カ国語がチームに分かれ、語学の自主学習をしていました。そしてカリャーエフを描いたカミュの戯曲やコクトーの「山師トマ」を戯曲化して、自ら演出し演じたりもしましたが、信仰と殺人行為の葛藤については、それほど深くは考えませんでした。
当時、私の実家には父の蔵書にサルトル全集一揃いがあり、それの「聖ジュネ」や戯曲「悪魔と神」を読んだり、母がカミュの「ペスト」を読んでいたりして、自分でも「異邦人」や戯曲「正義の人々」などを読みましたが、ロープシンに熱中したわりには、あまり深く実存主義や不条理文学、といったものを考えなかった記憶があります。いや、むしろ、そういったことを考えた記憶がまるでない、と言った方が正確でしょうか。
戦後の日本でそういう文学や思想が「流行」した時期はすでに過ぎ去っていたこともあるでしょう。しかし、当時の私は、ようやく不眠症と「巧く付き合う」術を見つけて、なんとか不安神経症から抜け出したばかりであり、とうてい、そうした思想的な主題と向き合えるには、思考が幼すぎたのだ、と思います。
どだい、カリャーエフをモデルにしたワーニャが、神とその愛について、「汝殺すなかれ」という教えと、テロリズムの間で烈しく葛藤するシーンを見ても、クリスチャンではない私には、あまり心に響くものがなかったのです。革命前のロシアは、いや、今でもそうかも知れませんが、正教会の大国で国民の大半がクリスチャンでした。ドストエフスキーの作品を読めば、彼らがどれほど骨がらみで宗教に染まっているかが判る。しかも、それは通常の西欧におけるカトリックやプロテスタントではなく、ギリシャ正教です。どこがどうとは言えないが、どこかが西欧のキリスト教とは異なっている。だが、日本人である私は、高校時代から「悪霊」や「カラマーゾフ」「罪と罰」その他の作品を乱読してきましたが、彼らの血肉となった宗教への熱をさほど肌で感じたことはなかったのです。いくら乱読期とはいえ浅薄な読書と言わざるをえません。
ロシアは、一度、この後でソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦)という社会主義国家となり、「宗教は民衆のアヘンである」というマルクスの言葉(※2)を共産主義=無神論との思考により、それを弾圧した歴史がありますから、次の世代には、私と同じような人間もいたかも知れない。だが、少なくとも、ロープシンが生きた世界では、ロシアでは「蒼ざめた馬」の主人公でさえも、ワーニャに代表されるキリスト教的倫理規範と、テロリズムの殺人肯定の間で、葛藤しないわけにはいかなかったのです。そしてワーニャは、ロープシンによって造形された、人一倍、正教会の信仰篤い人間でした。葛藤と懊悩がないはずがないのです。だが、思想的に、あるいは人間的にも未熟だった当時の私には、まだ、そこまで考えが至らなかったのです。
※2)マルクス「ヘーゲル法哲学批判序論」にある「宗教を作るのは宗教ではなく宗教を作る人間である……宗教は、精神が排除される社会条件の精神であり、抑圧された存在、無情な世界の魂のため息であり、それは民衆の阿片である」と記していますが、彼の親友でもあった同じユダヤ系のハインリヒ・ハイネに「宗教は救いのない、苦しむ人々のための、精神的なアヘンである」との言葉があり、さらにノヴァーリスにも同様の言葉があります。敬虔なモラヴィア教会のクリスチャンであったノヴァーリスにせよ、三十歳頃、ユダヤ教からプロテスタントに改宗したハイネにせよ、無神論者のわけはないので、これら全てが宗教を麻薬だと批判しているのでないことは明白です。ハイネの親友だったマルクスは、その言葉を真逆に剽窃して、ネガティヴなキャンペーン的言辞として利用したことになります。
4
「蒼ざめた馬」の主人公ジョージは、そうした雑多な素人集団である戦闘隊員をまとめて、方針が揺らぐ党と現場の狭間で政治的にも闘い、また特高やスパイに尾けられては巻き、一方、隊員のエルナと情交し、他方、人妻のエレーナとも秘密裏に逢い引きを重ねている。倫理感が壊れかけた人物像です。革命の大義のためには身を挺する覚悟を固めていますが、それにしては、あるいは、それゆえか、どこか道徳的に頽落した生活を送っています。途中で唯一人、現場のテロを経験したことのあるフョードルが警官隊に囲まれて射殺され、やむをえず彼は指揮官でありながら現場工作員の一人として街頭に出る。しかし結局、大公暗殺はワーニャによって成し遂げられます。
しかしながら、最終的に、テロは成功して、人妻の夫は決闘によって排除し、全てを手に入れたかにも見える主人公は、逆に革命の信念も愛も、何もかも失なうのです。青春のすべてを革命の大義に捧げた彼は、ほぼ同時期に二つの殺人に携わります。ひとつは使命であるテロで大公の生命を奪い、またもう一つは情欲の果ての決闘で不倫相手の夫の生命を奪うことでした。その夫は寝取られた妻のことで主人公と会うのですが、決闘という大時代な(しかし、この時代の人々にとっては馴染んだ)方法によって結着をつけようとするジョージに対して、拳銃を構えようともせず、いわば無抵抗に、彼に殺されてしまうのです。
テロが成功した後、通常なら犯行現場であるモスクワを離れるべきなのに、まだ主人公が残っているのは、この危険な情事のためだったのかも知れない。しかし、政治的な敵である総督は爆殺し、いっときの陶酔に酔うことが出来た彼も、まったく無抵抗に殺された人妻の夫の殺害では、その人妻への愛着を失なうのです。夫を射殺した後、彼は舵を失なった船が海上をさすらうように、霧にけぶるモスクワをあてもなくさまよいます。何かが彼の中で壊れたのです。倫理観を喪失した彼は、ついに情痴による殺人により、彼を引き留めていたテロ=革命の大義すら判らなくなり、自分の在る現実感を喪失してしまう。おそろしい虚無感に満ちた場面です。
深夜、ジョージは、この二つの殺人が一体、等価であるのか否かを自問自答します。彼はキリスト教の信仰と革命のための殺人に引き裂かれたワーニャを思い出します。ワーニャは獄中から手紙を寄こし、特にジョージ宛ての言葉を付け加えています。「ぼくには後悔もないが、義務をはたした喜びもない。血がぼくを苦しめる。それでぼくは死が贖いにはならないことを知る。だがぼくはまた知っている。「わたしは道であり、真理であり、命である」と(ヨハネ書第十四章第六節)」と。
しかし、とうに信仰も捨てた無神論者の主人公には、ワーニャの言葉も引用されたイエスの言葉も無力で虚ろに響くだけです。その日は、「事が成就した」喜びに満ちて幸福だったのも、つかの間、落ち着いてくると、何もかも虚無に沈みます。そうして、空っぽの人間となった主人公は革命のための殺人と情欲の結果の殺人とが等価なのか、同志エルナとの愛とよこしまな人妻との愛欲が等価なのか、そもそも一体自分は何のために人を殺すのか。何もかも判らなくなるのです。人妻エレーナの夫を射殺した一週間後、彼は、ペテルブルグに潜伏中だったエルナが警察隊に包囲され自殺した知らせを新聞で知ります。しかし、その事実は、ジョージに何の感興ももたらしません。現実から逃避するために、おそらく彼は全ての感情を消してしまった。そして……そして彼は、自身の自殺を暗示して物語が終わるわけです。
小説にはそこまで描いていませんが、読者としては、いろいろと考えます。不思議なことに、ジョージの不倫相手の夫は、まるで決闘の場面に際しても銃を構える気もない。彼はロシア軍の将校らしいので、銃を扱った経験がないはずはない。それなのに無防備に撃たれる。いわば主人公は無抵抗の人間を(訓練を受けたテロリストとして)射殺したも同然なのです。
しかし、同じことは、当時の摂政として帝国の最高権力者だったセルゲイ大公にだって言えます。確かに彼は非常大権をもって特高や警察、さらには軍隊を使ってジョージたちテロリストを追っていました。テロリストは捕まれば極刑が待っている。それほどの権力を持ちながら、しかし、これといった警備もなく首都の大通りを馬車で通行するセルゲイは一個の人間であり、無抵抗な存在です。別な顔では圧制者の筆頭かも知れないが、爆裂弾をかかえたテロリストの前では、単なる無防備な老人にすぎない。それを殺した……その二人とも殺したジョージは、一体、この二つの殺人が、等価なのか、それとも違うのか、判らなくなっていくのです。
むろん、これは小説上の「作為」であって、現実のサヴィンコフの戦闘隊において、彼が、例えばカリャーエフの恋人を寝取ったりした事実など全然ないし、紀律の厳しいテロの実行部隊の長として、テロ活動中に、自ら危険な不倫行為など以ての外なのですが、意想の中の出来事としては、そういう想像も可能です。それがサヴィンコフとしての現実と、ロープシンとしての小説世界を距てる倫理的断絶でもあります。
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