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「日本人とユダヤ人」講読


             野阿梓


   第十講  ヒルレル(4)

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私の世代だと、もうそれがゲートウェイだった海外SFの代表作として、アイザック・アシモフの「ファウンデーション」シリーズがあります。「銀河帝国の興亡」(五一ー五三年)といった題名は、ギボンの「ローマ帝国興亡史」から採られたようですが、その題名の類似性からも明らかなように、ここにはクリスチャニティの尊大ぶった知への専有ぶりが見て取れます。

すなわち、ギリシャ哲学の叡智は、ローマ帝国でキリスト教が国教化され、各地に修道院が建てられ、そこにアリストテレス等のギリシャの知=書物がアーカイヴされていた。ローマ帝国が蛮族に倒されて中世暗黒時代が訪れたが、闇夜の一灯のごとく、人里離れた修道院でひたすら修行の道を歩んだ修道士たちの営々孜々たる努力によって、細々と、だが堅実にギリシャの知は保存されてあり、それがやがてルネッサンスとなって花開いた……。
私がSFを読み始めた六〇年代当時はそんな「神話」が信じられていたのです。

同じように、アシモフは、この知の神話を遙かなる遠未来に投影しました。茫漠たる版図を誇る銀河帝国によって宇宙全体に広がる人間社会が一万二千年にわたって統治されている。それが突然の衰退の兆しを見せはじめる。その時、放っておいたら数万年もの暗黒時代が訪れるはずで、希代の碩学ハリ・セルダンは警告します。彼は、銀河帝国上層部と掛け合い、人類の破滅を回避するために、中世修道院の図書館のような人類の叡智を全てアーカイヴする知的基盤(ファウンデーション)を銀河の果ての惑星テルミナスに造り、そこで名目上は「銀河百科事典」の編纂に当たるメンバーを集結して、可能なかぎり暗黒時代を短縮せしめる計画を樹てます。それが「ファウンデーション」シリーズであり、物語は、数百年のスパンで銀河帝国が衰勢した後、誰がその主導権を握るか、というような奪権闘争を中心に、ファウンデーションとは何か、セルダン計画の真の意味は何かを問う。気宇壮大、波乱万丈のスペースオペラの開幕です。

――といった欺瞞に満ちたクリスチャンの好みそうな「物語」が、こうした空想科学小説(=SFの当時の呼び名)というようなサブカルチャーの意匠の背後にすら、在ったのです。
実際、七〇年頃の私たちに、アシモフら大人たちも、別に私たち子供を騙すつもりはなく、そう信じて語っていたのであろうし、私たち子供も、なんら疑うこともなく、そういう中世修道院にアーカイヴされた知の「物語」を信憑していました。
だがしかし、それは全て欺瞞だったのです。キリスト教を称え、西洋社会を優位に保つための虚飾にみちた仮面でしかありませんでした。いったい誰がこんな偽わりの神話をこしらえたのか知りたいものです。

ちなみに、私が高校の頃に使っていた教科書の「山川世界史」(七三年刊)では、

「(ビザンティン帝国の説明として)またギリシア文学を受けついで、多くの著述がのこされたが、それらは独創と生気にとぼしい。帝国の文化史上の意義は、スラヴ民族を開化したほかに、古代の文化遺産をまもって西方に伝え、ルネサンスに寄与した点にある」(八四頁)
「(ルネサンスの説明として)イタリアにいちはやく古典研究がおこったのは、古代ローマ文化の伝統がのこっていたことや、オスマン=トルコの攻撃を受けたビザンティン帝国の学者がイタリアに移り、ギリシア文化を紹介したことによるのである」(一四三頁)

――とあります。教科書までが、この欺瞞のニセ神話に加担している!

私は選択で世界史を選んだし、この箇所にはアンダーラインまでしているので、読んだことは確かですが、記憶と合致しません。どこかチグハグなのです。私は確かに、どこかで誰かに、そういう中途半端な説ではなく(東ローマがオスマントルコに滅ぼされたのはルネサンス開花の後ですし、独創と生気のない文化しか造りえなかったビザンティン文化がどうしてルネッサンスの原動力たりうるのか?)、カトリック修道院の伝説を聴いた憶えがあるのですが、どこで知ったのかは、今となっては思い出すことが出来ません。しかし、私と同世代の知り合いなどに訊くと、「うん、たしかに自分もそう習った」という人はいるので、いずれかの時点で、そういう謬説が流布したのでしょう。
(どなたか、この件について、ご存じよりの方があれば、ご教示願えれば幸いです(※))

※)付記:この話かどうか判りませんが、その後、ご指摘があり、また自分でも言われたら思い出しましたが、ウォルター・ミラー・ジュニアという人の「黙示録3174年」なる長大な作品が、正しく、このカトリック的欺瞞をそのまま未来に転写したかのような作品でした。核戦争後に人類の叡智が危機に瀕し、ニューローマの教皇から密命を受けたリーボウィッツは砂漠に建てられた修道院に人類の知をアーカイヴする計画に着手して……。といったストーリーで、ほぼ伝説の修道院の知の拠点物語を踏まえています。米での出版は一九五九年で、日本での刊行は東京創元新社から七一年でした。なお、作者は、SF作家にしては珍しく、カトリックです)。

黙示録3174年Jk

そして、これがいかに臆面もない西洋中心主義的な欺瞞の「虚構の物語」だったかを私たちが知るのは、かなり後になってからでした。今では、よっぽど奇妙で偏頗な教育を受けた人間でない限り、そのような西洋優位のホラ話を真に受けはしないでしょう。

実際はこうでした。アリストテレスの知は、本当は、欧州の鄙里の修道院なんかではなく、多くはアラブ圏のイスラム教徒の学者たちによって翻訳されていました。薄暗い修道院などではない、燦々と陽が降りそそぐ地中海沿岸の大都市の図書館に全てアーカイヴされていたのです。

その一つは、アレキサンダー大王が建てた(多くの同名の都市のうち唯一残った)エジプトのアレキサンドリアであり、そこには地中海沿岸で最大のディアスポラ・ユダヤ人のコミュニティが栄え、同時にキリスト教の総主教座がおかれました。イスラムの台頭とともに、それもやがてアラブ圏に組みこまれ、一時はアル・イスカンダーリアと呼ばれ、古代ギリシャに淵源するヘレニズム文明とイスラム文明とが融合し、イスラム科学の華として一五世紀まで続く文明の揺籃が生まれたのです。

さらには、九世紀のアッバス朝のカリフ・マームーンがバグダッドに建てた「知恵の館(バイト・アル=ヒクマ)」と名付けた「大図書館(Grand Library)」がありました。それはササン朝ペルシャの図書館システムを継承し、ありとあらゆるギリシャ語の学知をアラビア語へと翻訳する拠点でした。為政者としてのマームーンは短命に終わりましたが、彼の始めた翻訳ムーブメントはその後継者に引き継がれ、イスラム圏の学者の多くがバグダッドへ流入し「知恵の館」で学問を修め、翻訳し、議論を続けました。数学、医学、天文学、そして言うまでもなく哲学。アリストテレスの知は、ここに集結してアラビア語に翻訳されたのです。

知恵の館03

当時の三大図書館として、アレキサンドリア、バグダッド、それにビザンチン(コンスタンティノープル)の三都市のものが代表でした。前者の二つの図書館に所蔵されていたギリシャの知が、一二世紀以降、アラビア語からラテン語へ翻訳され、西洋に逆輸入されます。一三世紀のスコラ哲学、特にトマス・アクィナスなどが、それを受容して西洋文明へと原点回帰したことは、今となっては、わりと知られた事実でしょう。

そしてこれこそが、ルネッサンスを産んだ原動力です。ギリシャの知をアーカイヴしていたのは、イスラムという西洋社会にとっての「外部」の明知でした。断じてヨーロッパのキリスト教修道院の薄暗がりなんかではありません。一時期、イスラムはイスパニアを支配しており、そこにはまた多くのユダヤ人がいた。だからこそレコンキスタで奪回された歴史があったことを思い出して下さい。

一四九二年は新大陸アメリカが「発見」された(この言い方も尊大なもので、実際には以前からずっとあったものを、たまたまコロンブスが「見た」だけです)年であるが、同時にイスラムの支配するグラナダが陥落し、ヨーロッパからイスラムが駆逐された年でもあります。しかしイスラムが立ち退いても、その文化は残ったのです。

私の長男は平成生まれのゆとり世代ですが、なんの抵抗もなく、こうした知見を受容している、と言っていました。聞けばすぐにマームーンの「知恵の館」の名前を思い出しました。しかし、七〇年前後の私たちは違ったのです。ルネッサンスの起源に関して、誤った知見を教えられ、クリスチャニティ=西欧に偏した誤謬の歴史を教えられて、それをそのまま鵜呑みにして信じていました。だからこそ、アシモフが架構した遠未来の壮大なスペースオペラである「ファウンデーション」すなわち「銀河帝国」の虚構も、すんなり受け容れてしまったのです。

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ところで、アシモフは、その後、ファウンデーションは実は二つあり、片方が壊滅しても、なお希望をつなぐ目的で、セルダンが密かにふたつ目の拠点を造っていた、という設定にして、第一ファウンデーションと第二ファウンデーションとの政治的暗闘が繰り広げられます。一時は、その位置を突き止められたかに見えた第二ファウンデーションは、しかし、それは本当の第二ファウンデーションではなかった、という結末で、大きな謎を残した物語の途中まで描いたところで、いったん作者は筆を擱きます(五三年)。

しかし、それから三十年ほど経った、八二年になって新ファウンデーションのシリーズが始まりました。ただの続編ではなく、アシモフは他にロボット三原則で知られるロボットもののシリーズもあるのですが、どうやら彼はその二つのシリーズを融合させて、そのままでは整合性がない二つの世界を統一しようとしました。

しかしながら統合シリーズ第四作の「ファウンデーションの彼方へ」を八四年に翻訳されたものを読んで私はそれを壁にぶつけました。当時、関わっていた「SFの本」という半分同人誌のような雑誌に書評を書き送って掲載されたのを憶えています(今は、テキスト化して拙サイトに上げています)。

一言でいえば、まるで読むに耐えなかったのです。六〇年代だったら、まだ納得していたかも知れない政治力学の論理などが、ことごとく幼稚で、八〇年代の思潮には、もはや抗堪しうる強度を持っていなかった。「アシモフ、老いたり」と私は思いました。その後、シリーズは間にロボットものを挟みながら第七部「ファウンデーションの誕生」がアシモフの死後に刊行され、完結するのですが、私はもう興味を失なっていました。
最終的に、(ロボットものが遠未来の地球の話なので)ファウンデーションにも地球が登場するのですが、その趣向にもまた、私はこれといった意義を見いだせませんでした。その後、別の作家たちが続編を書いているのですが私は未見のままです。

ネットに上げた拙論を借りていえば、八〇年代の時点で、すでに、銀河帝国という(ファウンデーション・シリーズをも支える)虚構は、かなりバカバカしい紙芝居であって、ほとんどそれを書いている作者たちも信じていないような代物であるのだけれど、あらゆるSFが、(それがたとえ未来を描いていたにせよ)秀れて現代小説である以上、昨日という鏡で今日を(架空の)明日に映す意義において、一抹のリアリティを与えられる。
しかし、それにはそれなりの、またそれだけの構造の厚みと仕組みの細緻さを要求するのであって、それには新シリーズはあまりにも論理の強度が脆弱に思えました。すでに八〇年代に流行していたフランス発の現代思想にそまっていた私には、そうしたアシモフの子供っぽい理屈遊びが物足りなかったのです。
SFは、そのストーリーの部分で、紙芝居でも構わないと私は考えていますが、その背後には、紙芝居でさえ真理を映すだけの部厚い論理構築がないとダメなのだと、まあ、その当時は生意気にも、そういうことを考えていたのです。若気のいたりです。

一応、かつては愛読したアシモフをSF者として弁護しておくと、この物語には、いわゆるエイリアン(宇宙人/異星人)が一人も出てきません。突然変異体(ミュータント)の異能者は登場しますが、それも「人間」の裡です。
つまり、銀河宇宙は同質的均一性を保ち、人類だけが支配している世界なのです。否、白人だけが支配している世界と言ってもいい。そうは書かれていませんが、当時の読者は、未来の人類とは、キリスト教社会の延長線上にある人々だけだ、と受け取ったでしょう。そこにはユダヤ教徒もいないし、イスラムもない。黒人も黄色人種もヒスパニックも存在しない。いびつなまでに均質な、のっぺらぼうな西洋社会だけがある。それが「銀河帝国」の実相なのです。アシモフはソ連生まれの亡命ユダヤ人です。それなのにそういう世界を、しかも真面目に描いている。一体なぜ?

しかし、どうしてそんなことになったのか、というと、これには、ちゃんとした理由がありました。当時の掲載誌「アスタウンディング」誌の編集長だったウィリアム・キャンベルという人が根っからのWASPであり人種差別主義者だったことから、人類(ただし白人に限る)は、いかなる異星人より優越で勝れている、といった信念をもっていました。ユダヤ系のアシモフは、この思想には抵抗があったのですが、強い権限をもった編集長には逆らえません。それゆえに、アシモフは、この思想を逆手に取って人類だけが銀河宇宙を支配している、まるで純粋培養のような世界を構築したと言います。

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これによって、結果論ですが、物語全編をおおう影の主役ハリ・セルダンの「心理歴史学」の学術的体系も理論的に補強されることになりました。後の「スタートレック」のように人類にも様々な人種がいて、それ以外にも言語も文化も外観も異なる知性を持った異星人が併存しうる宇宙では、単一の人類だけなら通用するかも知れない「心理歴史学」は、おそらく機能しなくなるでしょうから、物語が根底から崩れます。日本では「宇宙大作戦」として放映されたスタートレックは、アメリカでは「銀河帝国」が完結して十数年たった六六年に放送されています。
ともあれ、アシモフは、意図的に、そういう均質な世界構築をして、しかも当時はそれが「正史」であっただろうギリシャ文明からローマ帝国と、ルネッサンスが直結する物語を組み立てたのです。

だからこそ、アシモフも、当時のキリスト教の思潮、というか文化圏の「常識」に従って、物語を構築したのだ、と思われます(彼が実際に着想を得て、書き始めたのは四一年のことです)。ローマ帝国はそのまま銀河帝国に転化され、その繁栄の絶頂で、一人の思想家が現れて、不吉な予言のように「銀河帝国はいずれ近いうちに衰退し崩壊する」と言うのです。ハリ・セルダンという心理歴史学を唱える彼は、個々の人間の心理や行動の動きは予測不能だが人類全体のそれは、ある程度の範囲内で予測可能だ、とした上で、銀河帝国が滅ぶ前に、手を打たないと、その後の内乱に始まる数万年規模の暗黒時代が想定される。それを食い止める方法として、帝国の上層部の査問会(ここの描写はイエスとピラトのそれを連想させます)において、セルダンは中世の修道院のような知のアーカイブの場を提唱するのです。それが来たるべき避けられない暗黒時代を少しでも短縮する唯一の方法だと彼は主張します。その場とは「銀河の端」に位置する辺境惑星テルミナス(ターミナス)です。その星にファウンデーション(知の基盤)と名付けられた人類の知を結集し、暗黒時代の期間にアーカイブし、来たるべき再生の時にはそこが知の拠点となるだろうという希望を託すのが、「ファウンデーション」シリーズの開幕でした。

時あたかも、世界は米ソ冷戦時代に突入し、イスラエル建国がなされた中で、物語は書き進められました。冷戦は第二次大戦が終わってすぐ四五年に始まっていましたし、イスラエル共和国が樹立されたのは四八年でした。四九年には中国大陸の内戦は毛沢東が主導する共産党が勝利し、蒋介石の国民党軍は台湾に駆逐されます。翌年には中ソ友好同盟が結ばれてユーラシア大陸の半分が赤化します。スプートニクが打ち上げ成功するのは五七年になってからで、この物語とは関係ありませんが、このショックはアメリカ人にとって物凄く、それ以後のアメリカのSFは、のきなみ第三次世界大戦で核戦争により世界が崩壊する話一色にそまります。初期のSFマガジンを読み返せば、その当時、アメリカ人が、どういう精神的ストレスに苛まれていたか、よく判るでしょう。

しかしながら、ここでは、アシモフの二つのシリーズについてのこれ以上の考察は措きます。
この先まで書くと未読の人にはネタバレになるし、なによりも、そこに本論の要諦はありません。では、一面ではミステリ作家でもあったアシモフの、本当の第二ファウンデーションはどこか、といった、あるいはガイアと呼ばれる地球と銀河帝国とのつながりは何か、といった一見、華々しい推理合戦の裏面で、いったい何がファウンデーション・シリーズでは策まれていたのか。そこに焦点を当てて考察してみたいと思います。

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今になって思い返すと、まず、テルミナスが何を意味していたか。それを私たちはもっと考えるべきでした。銀河帝国の帝都はトランターという名の惑星ですが、この構図はローマ帝国です。だとしたら、ローマにとって、テルミナスとは一体どこなのか。ローマ帝国の首都は当たり前ですが、ローマです。では、帝国としての基盤を確固たるものにしたローマ帝国にとって、一番重要で、しかもローマの対局にある僻地とはどこか。アレキサンドリア? ビザンチン? 否、キリスト教を国教化して、ローマは、それまでの共和制で引きずっていた都市国家(ポリス)から、決定的に名実ともに帝国になったのです。だとしたら、ローマと対局の土地にあり、ローマにとって最重要な場所は、エルサレムでしょう。すなわちテルミナスとはエルサレムであり、地方でいえばイスラエルになります。しかし、編集長に迎合して世界は西洋的(ユダヤは除く)均質性が保たれていたため、いわばエルサレムはその名前を剥奪された格好で、のっぺらぼうの存在としてテルミナスという架空の名前を名乗る世界になります。

その頃には、アシモフはSF界では著名な作家として認められていましたが、当時のSFとは、主に扇情的な表紙のパルプ雑誌に掲載され、俗悪で子供だましの小説だ、というのが世間的評判でした。なので、決して「文学者」として認められたわけではありませんでした。

アメリカには日本のような純文学と大衆文学の区別はない、とされていますが、実際には有ります。ハイブロウで紙質の良いハイクォリティマガジン(たとえばエスクァイア誌やザ・ニューヨーカー誌など)に掲載されるような作品が、一応、アメリカの純文学です。対して、SFやミステリ(ハードボイルドなど)が載っていたパルプ雑誌に掲載されている作品が大衆(娯楽)作品と見なされます。本でいえば、十九世紀から続くダイムノベル(ダイム=一〇セントで買える安っぽいペーパーバック)の系譜があり、多くの初期SFはこうした形態で出版されています。
アメリカのSF界では、ハインライン、クラーク(英国作家一九一九年生まれ)、アシモフ(一九二〇年生まれ)が御三家(ビッグスリー)と呼ばれていますが、それぞれ年齢も異なり、ハインラインは一番年長で(一九〇七年生まれ)、編集長のキャンベル(一九一〇年生まれ)より年長でした。そのためか、彼が一番早く、パルプフィクション・ライターというカテゴリーから抜け出し、四七年に「サタデー・イヴニング・ポスト」誌に「地球の緑の丘」を連載し、パルプ・ゲットーから抜け出しています。

地球の緑の丘01

とはいえ、アシモフも、その当時、SFとノンフィクションの印税で食べていける展望はあったのです。しかし、アカデミズムの世界では彼は残念ながらオリジナリティがなく、一編の論文も書いていません。その方面での栄達はだから見込めませんでした。私は彼の自伝を読んだことがありますが、ボストン大学医学部で生化学の教官として職を得ながら、論文の業績がない、という理由で解雇される寸前まで追いつめられる場面が興味深かった記憶があります。米の大学ではテニュア(終身在職権)という教授職があるのですが、それを有していたのに馘首されそうになった、というのですから尋常ではありません。アシモフは自分はオリジナリティがないから論文は書けないが、学生に授業するプロだ、と主張するのですが、いかに学生に教えるのが巧くとも、「Publish or Perish(論文を書くか滅びるか)」と言われる大学の教員としては、研究はしない、論文を一つも書かない。という立ち位置でテニュアを持つのは、どうだろうか、と思ったものです。アカデミズムの世界は実力主義ですから、業績がないと真っ当な研究者とは見なされません。授業、研究、そして学内政治の三つが揃って、初めて大学教員なのです。

アシモフ自伝01

高校を飛び級で卒業し、十五歳でコロンビア大学に入学するほど早熟な天才だったアシモフがパルプ誌にSFを書いたのは、そのジャンルが子供の頃から好きだったせいも無論ありますが、彼の家は裕福ではなかったため、お金を稼ぐ意味も大きかったと思います。しかし、それを一生の仕事とは彼は考えていませんでした。少なくともSF作家で食っていくつもりは全くなかったのは確かです。
しかし、最初に指導を受けた関係から、彼は年長である編集長のキャンベルには頭が上がらなかったのです。そのことが、アシモフのSF作品にある種のモラルの枷を課したのは事実でしょう。バイセクシュアルだったクラークや自由恋愛主義だったハインラインの作品と較べると、アシモフの作品には、性愛という主題がほとんど見られません。早熟な天才ゆえ、早くに書きだしたせいだ、との説もあります。しかし、思想がラジカルでも私生活は保守的な人は珍しくありませんから、そういった主題に関心がなかっただけではないか、と思われますが、七二年に刊行された「神々自身」では、従来のアシモフ作品に欠如している、と言われた「エイリアン」と「セックス」について主題化されています。また政治的にはリベラル派だった彼は、ユダヤ系であるのに、十三歳にしてバーミツヴァを拒否して、無神論の立場を取っています。とはいえ、いくつかの局面で、彼は彼自身のスタンスを問われてもいます。それはともかく、「ファウンデーションの彼方」で描かれた軍事国家と化したテルミナスの姿は、ほとんどイスラエル共和国と同じです。

現実にイスラエルが最初の六日戦争で勝利し、軍事国家として周囲の億を超えるアラブ諸国の中で覇権を唱える光景は、当時、アシモフも、まざまざと目撃していたはずで、エルサレム=テルミナスという隠された意匠があったとしたら、当然、その影響は色濃く作品に反映せざるを得ません。

そう思って見れば、いよいよ衰退した銀河帝国に覇権を唱えようとする第一ファウンデーションことテルミナスは、敵意にみちた群雄割拠する宇宙世界の中でイニシアティヴをとるために艦隊派遣も辞さない好戦的な姿勢を見せます。これは六日戦争を経て、アラブに取り囲まれて、なお常在戦場の気構えで対峙しているイスラエル共和国を連想させないではおかない。だとすると、テルミナスがエルサレムの暗喩であることは確実です。現実世界の昏い様相は、如実に物語に影を落としています。

ところで、ユダヤ系アメリカ人であったアシモフにとって、エルサレムはどういう意味を持っていたのか。たとえ信仰を持たない無神論者を自認していたとしても、その文化圏内での意想や見識はあったはずです。
あらゆる西洋人と同じで、それは認識や想像力の限界だったのではないでしょうか。中東にあって、エルサレムはクリスチャンを主とする西洋人は、想像力の極限であり、その周囲や先に、全く異質なイスラムの文化や文明が広がっている、という意識は、おそらく、ないのです。それは、おそらくユダヤ人であるアシモフも同じだったと思います。自分自身がアメリカ社会の中で移民したユダヤ人という異分子でありながら、その世界の外にイスラムが存在する、という認識はまるでなかった。中東戦争でイスラエルが常勝していた現実も、その認識をより強くしたでしょう。しょせん、イスラムなど、アラブの羊飼いの末裔であり、知性のかけらもない。一応、イスラムの歴史について知識があったはずの知識人アシモフでさえも、そういう誤謬にそまっていたと思しい。

現実世界でのローマはもうすでに過去の遺物でしかない。その国イタリアは、枢軸国に名を連ねていながら終戦直前に寝返って、総統ムッソリーニを殺害しバドリオ政権を樹立、連合国に付き、勝ったんだか負けたんだか判らないような弱小国となっている。イスラエルは覇権主義の軍事国家として中東に新たなる「西洋社会」のクサビを打ちこんだ。この時点で、アシモフが、従来までの中世暗黒時代を、修道院にアーカイヴされたギリシャの知がルネッサンスを華開かせた、という謬説を信憑していようがいまいが、最早、「西洋」の側に立つユダヤ系アメリカ人として、彼はイスラム世界には盲いるしかないのです。エルサレムは、もう重要拠点ではない。代わって首都となったテルアヴィヴこそ、軍事政権の中枢であり、世界は今、そこを中心にして動いている。そして、より遙かに大きな政治的変動が、すなわち冷戦が、いやおうなくアシモフたちアメリカ人を巻きこんでおり、そこでは、いかなる秀でた頭脳でさえ、巨大な機械の中の一歯車でしかない。アラブ諸国は、イスラエルに敗北する以前から、英米のオイル資本の下請けでしかない。過去がどうであれ、現在は、そうです。そういう時代認識を、当時の知識人であるアシモフは持たざるをえなかったでしょう。

だからこそ、ローマ=トランターとエルサレム=テルミナスの間を往復することが、ファウンデーション・シリーズの限界でした。五三年に完結した、シリーズの前半の時代は、まだ牧歌的でよかった。四八年の建国と同時にアラブ同盟軍との戦争に突入したが、アラブ側の無統制もあって勝利した。イスラエルは、だから問題ない。だがしかし、それから数年後にはスプートニクが米大陸上空を飛び、いつ核爆弾が落ちてくるかもしれない。米国民は戦々恐々だったと言います。冷戦ならぬホットウォーが懸念され、それは六〇年代にはキューバ危機によって現実のものとなりました。
当時、私の高校の聖書の先生は、アメリカに留学していて、その状況を生々しく見ていました。誰もがシェルターを造り、TVではJFKが沈痛な面持ちで全米国民に対して、悲壮な覚悟を伝えていた。モスクワからは単身フルシチョフが訪米し、KK会談によって、からくも危機は脱しましたが、多くの米市民は、その時代のことを憶えていて、トラウマになっている。そういう緊迫した時代を、アシモフも多くの米市民と同様、ともに生きたのです。そうした時代認識が作品に反映されないわけがない。

だとしたら、八四年の時点で、すでに、第二ファウンデーションが本当はどこにあろうが、ガイア(=地球)が人類発生の原点であろうが、それが何だと言うのでしょうか。アシモフが新たな構想で再開したストーリーで、それを追究し、煙にまかれ、また再度追究する、といったミステリ的な展開など、もう初期の古典ミステリと同様、古色蒼然とした名探偵が、登場人物を集めて「アッ」と言わせる、ただの知的ゲームにすぎない。私にはそのように見えました。
私自身が「銀河帝国」に夢中になった子供のころ、やはり夢中になった古典ミステリと同じです。冷戦構造で、いつ核戦争が始まるかどうか、という時代に、戦前に書かれた古典ミステリのような名探偵、ヴァン・ダインのファイロ・ヴァンスや、エラリー・クインや、ミス・マープルに何が出来るというのでしょうか。
彼らはしょせん、戦間期の名探偵でした。もはや個人の叡智が試される時代ではない。塹壕戦ではいかなる英雄も存在しえない。トーチカから機関銃で掃射され、迫撃砲で吹き飛ばされる戦場で、どれほど高貴な身分の将校もただの一兵卒も皆、平等です。一律に機関銃でなぎ倒され、肉片となって有刺鉄線のバリケードに叩きつけられる。それが近代の戦争の実相であり、そこにはもう名探偵が安楽椅子で優雅に謎解きをする余裕はもはや無い。
そう。テルミナスがイスラエルならば、七〇年代には、C3I(CキューブドI=Communication, Command, Control, Intelligence)という通信・指揮・統制・情報の軍事力を効率的に最適化する戦略が全てであり、そこに個人の叡智がはいる余地はもう有りませんでした。二十一世紀の今日、それに電算機が加わり、C4I(CクワドラプルI=Command Control Communication Computer Intelligence)システムとなっています。

さらに言えば、アシモフが三部作のラストでやったような、ミステリ的な「どんでん返し」を何度もやると、それは最終的に喜劇になってしまう。言葉の表層でしか、物ごとを把えていないからです。もっと人間の魂を揺さぶるような根源から謎を解き明かさなくては、完結まで四十数年かかろうが、その作品は思索的な奥行きがない。つまりは現代小説としてのSFとしてすら、もう面白くはならないのです。だから私は「ファウンデーションの彼方へ」を捨てたのです。これは、現在、すでに読むに値しない。そう思えたからです。

一言でいえば、アシモフは「外部」を欠いているのだ、ということです。アシモフに限らず、ハインラインも、ずっと後発のJ・P・ホーガンでさえ、そうなのですが、西洋社会の中だけで完結した物語を綴っている。それがアメリカSF、敷衍すればキリスト教文学の限界なので、その外側に何があるか。単に知らないのではなく、知ろうとしない。そこに決定的な問題があります。この場合、外部とはイスラムや第三世界になりますが、歴史という意味では、過去にさかのぼっても、それらの文化の価値を見据える必要があった。そういう本当の意味での「世界」を西洋社会は学者であれ作家であれ、またSF作家であれ、ずっと見ようとしていなかった。そこにこそ、重大な過失があり、盲点があったのです。

そして外部を欠いた歴史認識では、ルネサンスの真実が見えない。テルミナス=中世の修道院に灯されたギリシャの叡智など、なかった。真実は中世暗黒時代の間に、アラブという異世界の外部にあって、イスラムの精華が保存していたアリストテレスらの知のアーカイヴが、中世末期に逆流して、ヨーロッパを再生した。それがルネサンス(復活/再生)の本当の意味です。西洋文明が、自らの文化の源流として、ギリシャというキリスト教発生より以前の古代の学知を「再発見」するためには、テルミナスなどではない、このシリーズに見えていない、イスラム文明のアーカイヴが無ければ、銀河帝国の再興もまたないのです。

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初期キリスト教が、イスラムをキリスト教の「異端」として強引に組みこんでいたことは証明されています。「異教」なら「外部」たり得ますが、「異端」は内部の異分子です。意味合いが全く異なる。そして、誰がどう見ても、イスラムはクリスチャニティからすれば、「異教徒」すなわち「外部」でしかないはずです。それをそうと認めない限り、キリスト教が支配する西洋社会が、イスラム世界を理解することは金輪際ありえないでしょう。

ヤムニア会議(評議会)が、ユダヤ教正典を制定したのが虚偽である、と判った現在、そこでなされたもう一つの決定、すなわち「ナザレ派=初期キリスト教会の萌芽」を異端として、放逐する、という決定もまた、その真偽が不明となります。一つ嘘あれば、他のことも本当である、という証拠能力には欠けるでしょう。が、しかし、それがヤムニア評議会であろうと、第二次ユダヤ戦争後のガリラヤ評議会であろうと、いずれにせよ、正統ユダヤ教はキリスト教を「異端」と見なして決別したのです。第一次ユダヤ戦争は紀元六六年から七〇年、第二次(=バル・コクバの乱)は紀元一三二年から一三五年の反乱です(ユダヤ人側から見たら独立戦争)。およそ六〇年の開きがあります。しかし、今となっては、ヤムニア会議で決まろうが、ガリラヤ会議で決まろうが、どれほどの差があるのか疑問です。

どちらにせよ、正統派ユダヤ教徒から見れば、ナザレ派は異端でしたし、全ての会堂(シナゴグ)からの追放、という処分はかなり重いのですが、二度のユダヤ戦争をはさんで、ユダヤの会堂じたいが、もう完全にはネットワークとして機能しなくなっていたと思われますので、その決定がどちらの時点でなされたか。それによって、たとえば、パウロの伝道旅行に何らかの支障があったか、と言えば、おそらく無かったのではないか、と思うのです。つまり、ユダヤ戦争が起きる前にパウロの宣教と人生は終わっていますから、とりあえずヤムニア会議とは無関係ですが、それ以前に、パウロに二〇年間の伝道旅行が可能だったとすれば、その頃にはすでに、ユダヤ地方(パレスチナ)以外の地域には、キリスト教はもとより、あまたの分派活動が瀰漫していて、もはや中央のエルサレム・センターの権威は失墜していたのではないか、と思うからです。ガマリエルの「取りなし」はエルサレム内だけではなく、否、エルサレム内だけでしか、もう効力を発揮してはいなかったのではないか。他の地中海沿岸に散ったユダヤ人は、すなわちディアスポラ・ユダヤ人ですから、「ギリシャ語を話す人たち」ですし、そういう人たちをエルサレムの正統ユダヤ教が認めていないからこそ、パウロの宣教活動も可能だったし、奏功した。とするならば、その時点で「異端」を問題視しているのはエルサレムだけです。そしてそうした頑迷さが、ユダヤ戦争を呼びこんだ、とも言える。

そして、初期キリスト教会になってしまえば、もう、ヤムニア会議だかガリラヤ会議だかの決定を待つまでもなく、それはユダヤ教とは全く断裂した「異教」でしょう。地中海沿岸に広がっていたディアスポラ・ユダヤ人のコミュニティは、言われるまでもなくエルサレムから見れば異端でしかなかったわけです。そこでの思想的群雄割拠は、エルサレム周縁のユダヤ地方だけに正統のユダヤ教を奉じる宗団があり、他方ではグノーシス思想を唱える宗団があり、間に初期キリスト教会が在った。そういう混沌とした時代に、ヤムニア会議がガリラヤ会議でも、さしたる違いはなかっただろう、と私は考えています。

そうして、似たようなことが、いや、より一層悪質な虚構が、初期キリスト教においても、なされていた。ナザレ派がユダヤ教の異端だと見なされても、それはまだ正しいでしょうが、初期キリスト教会はもはやユダヤ教にとって異教以外の何ものでもない。それを異端あつかいしたら、欺瞞と言う他ありません。それなのに初期キリスト教は、国教化された紀元四世紀以後、急に興ったイスラムを異教ではなく異端と見なすことで、「世界」をより小さいものとして矮小化して把えようとしました。そのことによって、イスラムは異教=外部ではなく、異端=内部と見なしたのです。それは現実とは異なるし、事実ではない。だが、そうするしか、キリスト教会が生きる道がなかったとしたら、その時点で、思想的限界を自ら露呈しているも同然でしょう。

そして、初期キリスト教会が犯した同じ過ちを、二千年後にアシモフも犯したのです。時代の制約が、彼をして、そういう間違った歴史認識の中で、間違った作品の構想を樹てたことは、仕方なかったとも言えるでしょうが、今となっては、議論の余地はありません。アシモフの「銀河帝国」の構想じたい、根底から誤っていたのです。五〇年代の時点で、それはまだ許される範囲の虚構でしたが、八〇年代に入ってなお、まだカトリック修道院がルネッサンスのルーツだ、といった虚妄の歴史を信じろ、それに基づいた創作を認めろ、という方がムリです。作品は時代の所産ですから、五〇年代の三部作については、それなりに評価できますが、八〇年代に入って、まだそんなことを言っているのか、と批判されてもアシモフは駁論できなかったでしょう。それを許容した現代SF界も、少しどうかしていたと私は思います。
いや、より早い時点で、許容しなかった人はいたのです。

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かつてアシモフを評して、SF界の批評家/作家の山野浩一氏は、

「アシモフは簡単にいってしまえば、宇宙時代に帝国の存在を確信する思想音痴である」

――と、かなり辛辣な言葉を投げかけています(山野「日本SFの原点と指向」(初出SFマガジン七〇年六月号掲載、後に米DePauw大学のSFスタディ誌に英訳掲載されネットにて披見可能)、巽孝之編「日本SF論争史」(二〇〇〇年 勁草書房刊)所収 一四九頁)。彼がこう言ったのは、奇しくも「日本人とユダヤ人」が刊行された一九七〇年のことでした。残念ながら、結果的に、当時の並みいるSF作家をなで切りにして、その大半が海外SFという建て売り住宅に住む主体性なき間借り人だという、すこぶる真っ当な批判は、大方の拒絶反応にあって受容されなかったのですが、非常に早い時期に日本のみならず海外SFの問題の所在を突きつめた鋭い論考でした。この批評が日本SF界で無視されていった経緯は拙サイトで「論争系の文章」としてまとめていますので、ここでは割愛します。

日本SF論争史Jk

そして、七七年には、その銀河帝国の圧政に対するレジスタンスを描いた(しかも率いるのはどこかの王国のお姫様という)荒唐無稽なSF映画「スターウォーズ」が公開され一世を風靡しました。こうなると、誰も、宇宙時代に帝国が存在することを、SFでは好くある設定の一つだ、としか認識しなくなってしまい、それがいかに馬鹿馬鹿しい思想音痴かは、どうでもよくなっていたようです。二十一世紀になって蘇ったスターウォーズが、たとえば戦争勃発の理由として、帝国の圧政とかではなく「貿易摩擦」にしたりする現実の侵犯が、いっそ滑稽に思えるほど、宇宙時代の帝国主義は、マトモな議論の対象にもならなくなっていったのです。日本でも、田中芳樹「銀河英雄伝説」が八二年から刊行され、空前のロングセラーとなり、アニメ化され、SFのコミュニティにとどまらないサブカルチャーに広がっていきました。

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付会して言えば、私自身も、「銀河帝国と戦う狂茶党のテロリスト、レモン・トロツキー」などというアナクロニズムの極みでもある「眼狩都市」を八三年にはSFマガジンに掲載し、これは翌八四年には私のデビュー作を含む処女作品集「花狩人」に収録されています。巻頭の「趣意書」には山野浩一氏の文章「(彼は)簡単にいってしまえば、宇宙時代に帝国の存在を確信する思想音痴である」を引用し、ことさらイニシャル(K・Y)で判る人にしか判らぬように韜晦して、宇宙時代の帝国、それに対抗して戦うテロリスト、といった仮設の物語を、そうと判って書いているのだ、という宣言付きで載せたのです。
ちなみに「狂茶党」というのは、むろんアリス的なマッド・ティー・パーティと共産党をかけたカバン語ですが、同時に、この場合の共産党は、「青ざめた馬」のロープシンことサヴィンコフのSR党が対峙したソ連共産党と、戦後の内訌時代の日本共産党を重ねています。私なりに、宇宙時代の帝国主義をすこしでも「読める紙芝居」にするための虚構として、そういう手の込んだ作為が必要だったのです。
その頃には、SF界には、すでに「銀河帝国」の存在の仮想性は自明のものとして、ただ物語を愉しむ架空の設定にすぎないのだ、という大人の余裕が生まれていたように思います。アシモフがSFの黄金時代において、「銀河帝国の興亡」(ファウンデーション)を描き始めてから三〇年を経ていました。私たちSFファンも、少しは進化したのでしょうか。あるいは山野浩一氏から言わせれば、退化かも知れませんが。

しかしながら、山野浩一は同じ論文で、さらにこうも付け加えています。それはアシモフの出自に関係する作家論的なものです。すなわち、

「しかしアシモフの場合、ハインラインのように状況的ではなく、もっと計画的な意図が感じられる。つまりソヴィエト生まれのアメリカ人であるアシモフが、帝国と呼ぶものはこの二大国であり、米ソという大国による論理を楽天的に展開しているのである」(前掲書同頁)

そう。七〇年当時は、まだ冷戦時代でした。冷戦構造が崩壊するのは、まず八九年に冷戦の象徴とも言うべきベルリンの壁が崩壊し、その潮流は雪崩を打つように東欧全体に広がりました。背後にゴルバチョフの策謀があったとも言われますが、ソ連の衛星国としてはお手本のようなルーマニアにおいて四半世紀にわたって独裁政権を築いてきたチャウシェスクが、官邸前の広場に集まった民衆を見て怯えた表情を見せた途端に、この独裁国家は、もろくも崩壊したのです。年末、マルタ島でゴルバチョフとジョージ・ブッシュが会談し、「冷戦の終結」を宣言しました。そうやって、なんとかソフトランディングで終わらせようという努力は、しかし九一年にソ連の軍事クーデタが起き、ゴルバチョフは軟禁されます。しかし次の継承者エリツィンの活躍や、クーデタ軍の不備もあって、この政変は失敗するのですが、最早、ソ連の瓦解を止める力はモスクワ政権にありませんでした。エリツィンやウクライナ、ベラルーシの代表がベロヴェーシの森で会談し、衛星国のソ連からの離脱や、それに代わるCIS(独立国家共同体)の結成に合意し、ここに九一年十二月二五日、ソ連は七〇年に五日足りない(ソ連の始まりを、第二革命後の内戦の終結である二二年十二月三〇年日とするならば)日数で解体されたのです。

しかし、これは本当に画期的なことで、私たち戦後生まれの日本人にとって、米ソの冷戦や、日本の五五年体制(これも九三年に自民党と社会党が総選挙でともに惨敗して同年に終わりました)などは、物心ついた頃にはもうすでに在ったし、永遠に続くかに思えた鉄壁の存在だったのです。それが、あまりにも、あっけなく崩壊した。他方、中国では八九年六月に天安門事件が起き、民主化の芽は蹂躙され中共独裁が強まる。ソ連の脅威は消えても、なお東アジアには脅威が消えませんでした。今なお、それは続いています。またユーゴスラヴィアとして統一していた連邦はチトー大統領の死もあって四分五裂となり民族浄化の悲惨な状況となりました。ハムレット風に言えば世界の関節が外れたのです。

アイザック・アシモフが死去したのは九二年でした。享年七二歳。二〇年にユダヤ系ロシア人として生まれ、ロシア帝政が二度の革命を経て、ソ連に代わった二三年に一家はアメリカに移住しました。ファウンデーション・シリーズ最終巻「ファウンデーションの誕生」は彼の死後九三年に出版されました。自分の晩年に、自分の二つの祖国が、そして「帝国」が崩壊していくのを、アシモフがどういう気持ちで目撃していたのかは判りません。

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このシリーズは最初の三巻は、アメリカでパルプ雑誌と呼ばれる紙質の悪い、表紙も扇情的で俗悪な媒体に掲載されました。SFは、本場であるアメリカでさえ、まだ社会の中で認知されておらず、子供向けのエンタメという位置づけでした。アシモフ自身は、ボストン大学の生化学の教官でもあり、SFやミステリ以外にも、三百冊を超える著作がありますが、SFよりもポピュラーサイエンスの解説書の書き手としても名をなします。しかし驚いたことにベストセラーになったのは、再開したファウンデーション・シリーズの「ファウンデーションの彼方へ」が初めてだった由です。

その間の三〇年のあいだに、アメリカの読書人もSFを認めてきたのか、優れた作品がそういう時代をもたらしたのか。なんとなく、日米はほぼ三〇年の周回遅れで相似形をなしているような気がします。現在の日本で、SFだから、という理由だけで、それを愚にもつかないエンタメのクズ小説だ、と批判する人がいたら、それはよっぽど頭の固い純文学至上主義者か、それとも読み物(エンタメ)が嫌いな人だけでしょう。第一世代の日本SF作家、小松左京、星新一、筒井康隆ら諸氏は、今では、立派な文学者だという評価を得ていると思います。事情は彼の地でも同じなようです。

いずれにせよ、「ファウンデーション・シリーズ」は、まずその前提からして、歴史的な誤認がある以上、科学を諸科学と見なせば、今の私には是認できない作品なのですが、SFとして奔放な想像力で数百年のスパンで人類の未来を描いた架空の歴史物語として、肩肘はらずに読むなら、読み物としては楽しく読めるでしょう。しかしながら、私はもう「SFの黄金時代」(SF界では、この言葉はSF自体のそれと同時に、SFファンとしてのそれ=おおむね十二歳頃に夢中になってそれを読んだ時代を指す)を過ぎてしまい、自らも作り手の方に回ってしまったため、「過去の偉大な傑作」をそのまま素直には、もう読めなくなっています。残念ですが、仕方ありません。

口を開けば、西洋人(クリスチャン)は、自分たちヨーロッパの原点はギリシャに在る、それを継承したのが我々だ、と言いたがるのですが、実際には、ギリシャ語からアラビア語へ、それからラテン語へと二重に翻訳された、その間にイスラムの図書館=アーカイヴがあるわけです。しかも、それを瞞着するために、イスラムの図書館の代わりに、中世の修道院の伝説などをデッチ上げてまで、ギリシャ文化の正統な担い手としてのキリスト教(修道院)の伝説を捏造する。キリスト教はユダヤ教とも仲が悪いのですが、十字軍をはじめ、イスラム教とも犬猿の仲であるため、それを断じて認めたがらない。だから、前述のような偽わりの歴史を捏造して、さもカトリックの修道院が、ギリシャの叡智をアーカイヴしていたかのように振る舞う。しかし、イスラムという西洋にとっての外部をまともに認識するだけの曇りない眼差しを持つ歴史家なら、真実の歴史が、イスラムなくして、その精華「知恵の館」なくして、イタリア・ルネッサンスも無かったことを認めざるをえないでしょう。
アシモフの代表作は、残念ながら、その歴史的強度において抗堪できなかった。時代的制約をのけても、残念な著作だと言う他ないのです。


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