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22年目の有明帰還と記憶の穴埋め プロレスリング•ノア スタッフ岡田

皆さんもご存知のことではありますが、2000年8月5日にプロレスリング・ノアはディファ有明の地で旗揚げ戦を行い、誕生しました。

この約2ヶ月前、スタッフとして働いていた全日本プロレスを退職して、三沢さんについて行くことを決めた当時のことは今でも鮮明に覚えてます。

三沢さんが全日本の社長を辞めることになり、全日本プロレスでのゴールが見えていた自分は、辞めるまでの数週間は残された仕事をしっかりとやりつつ、新たな団体で心機一転、頑張る!という思い、三沢さんのもとで一丸となって目標に向かっていけるという前向きな気持ちと、これから本当に大丈夫なのかな?という不安など、複雑な心境でしたが、これまでのような不透明な部分は無くなるはずというのが一番大きかったかなと思います。
実際は…ですが(笑)

全日本を退職して、あるホテルの会議室にノアに行くことを決めたスタッフ全員が集まり、旗揚げ戦の日程が告げられ、その日から怒涛の毎日が始まりました。

ゼロからの事務所作りに始まり、明確な部署分けは無かったけど、営業、広報、リングスタッフのそれぞれが各自の仕事に向き合っていたと思います。
旗揚げ戦のチケットが即完売で、大会当日にディファ有明の駐車場にビジョンを出して多くの方に見ていただくことも決まり、いよいよ旗揚げ戦の日が近づくと、仕事もラストスパート!

事前に並んでいるファンがいたため、旗揚げ戦の前々日からスタッフが交代で夜の警備もしてました。

そして、迎えた旗揚げ戦当日!

この日は…

正直、全く記憶がないのです。

自分が何をしていたのか、どんな試合が繰り広げられたのか、ホントに記憶がありません。

旗揚げ2連戦後も、皆瀬村の無料大会があったり、9月にはノア初の京都、大阪大会、10月の愛知県体育館に横浜文化体育館、11月の後楽園初進出と続いていき、仕事の忙しさは変わらないけど、充実した日々を過ごすことが出来ました。

そして、旗揚げイヤーの総決算として迎える有明コロシアム大会。

この日の前日はカルッツかわさきになる前の川崎市体育館での試合があり、翌日は早朝からの準備ということもあり、事務所に泊まり有明コロシアム大会を迎えることになりました。

そして大会当日。

なんと、この日の記憶もありません。

何故か、2000年のキーポイントとなるディファ有明での旗揚げ2連戦と有明コロシアム大会の当日の記憶が真っ白なままです。

10月30日・有明アリーナ大会は6年ぶりの有明帰還となり、ノアにとって大きな意味を持つ大会です。
そんな中、自分の仕事はしっかりやりつつ、有明の地での記憶の穴埋めをします。

6年ぶりの有明大会は武藤選手の引退ロードでもあります。
そして、声出しOKの大会です。
最高の空間を皆さんと作り上げることが出来たらと思います!

プロレスリング•ノア 
スタッフ岡田

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