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公式カメラマンの話3 プロレスリング・ノア オフィシャルカメラマン 宮木和佳子📸
こんにちは。ノアオフィシャルカメラマンの宮木和佳子です。
ノアのオフィシャルとなったのは2015年の暮れ、もう7年ほどのお付き合いになります。
試合の写真に始まり、宣材、ファンクラブの撮影、会場風景などなど団体に必要なものをすべて撮る人です。つまりは撮りまくりです。常になんか撮っている人です。
どのようにして公式カメラマンになったかは、
公式カメラマンの話①
公式カメラマンの話②
をご覧いただければ幸いです。
そして公式になるまでたくさんの関係者様にお世話になってきたのですが、今回は具体的にお名前を出してみようと思います。実際、こっちの話の方が書きたかったことです。
めくれとんねん。実名、晒していきます🔊
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五月雨式に登場人物をご紹介
ちなみに一度詳細に書いたところ、6000文字を超えてしまいこれではさすがに読みにくくなってしまいましたので箇条書きで書いてみます。
・2001年 大学三年生「プロレスの写真リングサイドで撮りたいなー」
ローラー作戦で手当たり次第関係者がいないか周りに聞く。
↓
・当時、アルバイトで結婚式の撮影をやっていた先のカメラマンの同級生がプロレスショップの店長さんで紹介してもらうことに。
↓
・板橋区大山にある「アメリカン」(現在は閉店)というプロレスショップの高橋さんを
紹介してもらい、撮影したい旨を告げる
↓
・高橋さん誰かに速攻で電話&「OKだって!」
撮影OKしてくれたのは「レッスル夢ファクトリー」篠さん(私のリングサイドカメラマンデビュー団体となります)
↓
・当日会場に撮影にいくと、「ここにリングを置いて・・」と別で、打ち合わせらしき下見に来た人がいる。速攻で声かける「団体の方だったら撮影したいんですけど!」
↓
・「プロレス団体じゃないけど、そんなようなことしてるからよかったら・・・」
渡された名刺には「西口プロレス 社長神風健三郎」
(ちなみにこの頃西口プロレスは旗揚げ戦直後。超無名。)
↓
・(ほらプロレスじゃん!書いてあるもん!)と西口プロレスにも撮影に行く。
↓
西口プロレス旗揚げ2戦目撮影後
(・・・全然プロレスじゃなかった・・・全裸多くね?・・・でもめっちゃ面白かった・・・)
「打ち上げ出ない?」神風(西口プロレス)さんからその日誘われる。「行きます。」
↓
・打ち上げ会場は50人超えの大宴会
その端にあれ?あの人では?
↓
・「すみません、私プロレスの作品を撮影してるものなんですが、もしよかったらリングサイド入れてもらえませんか?」
「え?そうなの?うん、いいよ~」
「ファツ!(はやっ!)」
いただいた名刺には「DDTプロレス 高木三四郎」!
↓
・早速、当時ホームだった渋谷・クラブアトムへ通い詰め毎週作品撮影を行う。
↓
・とにかく会場で会う関係者、フリー選手に名刺を渡し、新たな撮影場所を増やしていき、
当時のインディーはほとんど撮影したと言ってもいい位出入りする。
(この時仲良くなったのが元JWPのヤマモさん。いろいろ紹介してもらったし、何回おごってもらったかわからない・・)
ちょっと仕事もし始める。
↓
・その頃から選手にも「君は何者なの?」と聞かれ始め、自分でもなんだかわからなかったため「職業としてのカメラマン」を意識するように。
↓
・2002年3月大学卒業 アトムに通い詰められたおかけで日本大学芸術学部写真学科卒業制作、プロレス組写真で「金丸重嶺賞」受賞。
テンションあがって高木さんに電話。感謝&お礼の嵐。人生で初めてもらった大きな賞でした。
↓
・卒業後、本格的にカメラマンへ挑戦すべくリングサイドを離れ、グラビアカメラマンに弟子入り(そういや、卒業後、調子乗って週プロカメラマンの面接受けるもサクラ散る。当然。)
↓
・月日が経ち、宮木無事、カメラマンとしてデビュー。一般撮影をこなす日々
↓
・2015年 知り合いの飲み会にて(当時)新日本プロレススタッフ阿部猛さんと出会う。
↓
数日後
「あ、ノアオフィシャル決まったよ!」
「ファッ!(はやっ!)」
↓
2015年11月よりプロレスリング・ノアオフィシャルカメラマンに。
↓
・ちょっとして鈴木軍去る、阿部さんも去る。
↓
リデットエンターテインメント株式会社さんから長州力さんの興行「POWER HALL」オフィシャルカメラマンのオファー(単発)
お受けしたところ窓口が当時社員だった武田さんに。写真のやり取り等で連絡をし始める。
↓
リデットがノアの親会社になる。武田さんが雇い主になるが、前に紹介してくれた阿部さんとは新日本でも一緒に社員だったらしいし、もと同じ会社なら、これをネタに話を・・と思った矢先
↓
・「阿部さんと武田さん新日本時代、めっちゃ仲悪かったらしいよ」と聞く。
ワイの身は大丈夫なんだろうか・・・とガクブル・・・
↓
・「そんなのは関係ないよ~」と武田さん一蹴。現在に至る
↓
・それでも一応聞いてみる
「どれくらい仲悪かったんですか・・・・???」
↓
「刺し違えることになるかと思ったくらい」
「ファッ!!(こわっ!)」
↓
現在、宮木無事残留。
はしょるとこんな感じです。(はしょりすぎ)
ちなみに産文ホールで出会った神風健三郎のいた西口プロレスは21周年の今年も未だに撮影しています。もちろん神風健三郎(現・佐々木孫悟空)とも仲良しです。
他にもたくさんいらっしゃったのですが、
今のノアという軸から見て3名様(+神風健三郎)を時系列でならべてみました。
高木三四郎選手
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高木さんは、西口プロレスが旗揚げした2戦目に情報をキャッチして打ち上げ会場にいるというアンテナの張り方が凄まじいですね。長州小力もアントニオ小猪木もまだ世にでていない地下芸人の集まりの打ち上げに出る?普通・・・。そして無謀にもそこでいきなりリングサイド入れてくれ!と申し出たどこの馬の骨かもわからん私を「いいよ~」と承諾してくれた気概。
まじで頭上がりません。クラブアトムだからこそ撮れた派手な照明やコントラストの高い作品ができ、受賞に至ったと思います。
カメラマンとして初めて自信を持ち、私でもできるかもしれない、と思い始めたのはこれがきっかけ。高木さんのおかげです。
2016年頃高木さんと再会し、晴れてお仕事としてDDTオフィシャルをやることになりますが、
「宮木ちゃんはプ女子の走りだったもんねー」と言われ、
確かに!私もプ女子だった時代があったのか!と目からウロコでした。
阿部猛さん
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当時2015年頃、鈴木軍がノアマットに上がっていた頃は新日本プロレスのスタッフさんもノアに来ていて、裏方の改善するべき点や運営のノウハウを伝授するなどやっていたようで、その1つとして新しいオフィシャルを据える、ということがあり、新規でのオフィシャルを探していた、という話につながります。
阿部さんはもう新日本プロレスを退社されていますが、それまでの間、本当によく話をしたり飲みに行ったりもして、「興行会社の運営」という側面をたくさん教えていただきました。
丸藤選手がG-1に出た時は、ノア公式としてリングサイドに入ることになり、プロレス界でも超有名な大会、初めての両国での撮影、新日本という普段撮影していない団体、と、いろんな要素が混じって極度の緊張状態でしたが「大丈夫、大丈夫!」と明るく背中を押してくれました。
ちょうどその頃は現・ノア広報の花澤さんもノアの会場にいつもいて雑談などしており、
(そして偉い人だとは全く知らなかったので絶対に私、馴れ馴れしかったと思う。だって喋りやすかったんだもん)
数年後ノアで花澤さんの姿を拝見した時は、びっくり&嬉しかったものです。
そんなわけで私がノアに入ったきっかけをくれたのは、新日本プロレスの阿部さんでした。
この頃は意外とスタッフや運営陣は他団体同士でも交流があったなー、という印象です。
日は流れ鈴木軍はマットを去り、裏にいた新日本プロレスのスタッフさんも姿が見えなくなりましたが、阿部さんは私がノアに残れるように申し送りをしてくれ、その後も会えば気にかけてくれています。今でも感謝しています。阿部さん!また飲みましょう!
武田さん
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全部がそうではないのですが、親会社が変わったことで、オフィシャルが変わることがあります。親会社の方に使いたいカメラマンがいるとかそういう理由だと思いますが、リデットエンタテインメント株式会社に親会社が移った時は、なんせ広告の会社、カメラマンなんてたくさんいるだろうし、とんでもなく仲悪かった人が残していったカメラマンに対してどう思うんだろうか・・・最悪私、クビかもしんねえ・・・と正直ビビりまくってましたが、そんなことでどうこうする武田さんではなかったらしく「全く問題ないよ~」と現在まで無事残留しております。
武田さんの印象は、とてもシンプルに物事を考えるさっぱりとした人。
シンプルというのは意外と難しく、本質を守り続けることは、変えることよりも難しいと、武田さんをみていて思います。ファンクラブの話をしていても「ファンファーストであること」から絶対に外れないようにアドバイスをくれたりします。
社長クラスの方とお話する際は緊張してしまい、正直得意ではないのですが、
武田さんには思ったことを聞いてもらったり、質問したり結構できます。
きっとそういう感じにしてくれているからなんでしょう。本当はめちゃくちゃ頭がよく、とんでもなくキレる人なんだと思います。
一度、「私はフリーだから出入り業者って思ってますよ・・・」と言ったところ
「違うよ、俺たちは家族だ!そんな風に言わないで!」と言ってくれ、じーんとしていたら「ツイートもするから!」と続き、数分後、「俺たちは家族だ!」と本当にツイートしてありました。(笑)
個人の力ではどうしようもない動きがあるプロレス界の中でアツい言葉を返してくれたことはめちゃくちゃ嬉しかったです。
プロレスを支える人たち
阿部さんが私をノアに入れてくれ、現在のノアは武田さんがひっぱっている。
かつて犬猿の仲だったお二人の間をぬる~っと通り過ぎてきた身としては不思議な縁ですが、昨年、今年のサイバーファイトフェスティバルでは、高木三四郎選手と、武田さんが一緒にやる興行の中に公式カメラマンでいるという、究極に「何があるかわかんないな~」みたいな瞬間があり、本当にプロレスだけじゃなく、プロレス界にも「絶対はない」と強く実感しています。
その他にもたくさんの方にお世話になり、甘く見ていただき今日の私があります。
団体は違えど、プロレス業界をどう良くしていくか、爆発させるか、を常に考え、実現すべく、首脳陣の皆様は動いておられると思います。その姿を見てほしいと思うほどに、悩みぬいてずっと闘っています。
もちろんこれを読んでいるファンの皆様は難しいことは考えずに純粋に楽しんで、プロレスを愛しつづけてください。お近くに来た際は是非会場に足を運んでください。それが何よりです。そして一緒に、終わりのないドラマを楽しんでいきましょう。
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まもなく2022.7.16日本武道館!
プロレスリング・ノア オフィシャルカメラマン
宮木和佳子
2022年07月16日 (土)武道館大会特設サイト
2022年07月16日 (土)武道館大会チケット
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