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浅はかな私の海外生活終盤/2年半付き合って婚姻届を出した日本人彼氏との結末

前回のお話
海外学生生活⑤
束の間の安定、しかしドロップアウト

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前章は途中から恋愛だけでなく海外生活のエピソードも多く盛り込み過ぎて、久し振りにすごい文字数となってしまった…。

※なんか知らんけど今回はその2倍近くで過去最大文字数です。文章見直し大変でしぬ!


続きを執筆する前に軽くあらすじを書こうと思ったものの、意外と大変だったので、前回の有料部分のお話から少しだけ引用を。

成人後初めての日本での夏休み、色々な事がありすぎた。
男関係以外はめちゃくちゃ楽しかったし、何事も悔いはないよう動いたけど。
(中略)
彼にいきなり別れを告げたらかなり逆上しそうと思ったので、そこから念入りに1ヶ月の仕込み期間を使って、不満や不信感を小出しにしながら最終的にキレイに別れ話へ持ち込んだ。

そりゃ叶う事なら日本で会っている間に別れたかったが、相手が目に見えて不安定な場合は少しでも危害を加えられる可能性を減らした上で切るに限る。
相手に「オレの所為じゃなくて遠距離の所為でダメだった」という言い訳も与えてあげなきゃ、のちのち面倒臭そうだったので。

20代前半は流されるまま、愚かな時間の使い方をしてしまった気がする。
怖がらずに自立して日本で就職しても良かった気がするが、当時は甘ちゃんだった。

勿論この時点では、大学編入は全然正しいルートではあるが、ただただ親に強く言われるまま進んだところで、結局私自身の人生としてはどうなのかというところである。
(中略)
大学へ進まずCollege卒業後すぐ働けばよかったとか、こうしとけばよかったとか、あれこれ考えなくもないが、流されながらも選んだのは自分だし、勉強が出来なかったのも自分なので、状況を甘んじて受けるしかない。
他にやりたい事も無い。
こうなると、いよいよ就職の道を探す他ない。

当時の私は意外と働く事自体に対する意欲はとてもあったのだが、資格も特技も無いし、コネも無いし、頭も悪く、家元もいいわけじゃない。
バックグラウンドがあまりにも弱いというのが自分でも解っていたし、社会に出る上でとても不安だった。
社会的、人間的な弱さはコンプレックスでもある。

逃げ道としての嫁入りを果たす人生を歩むつもりはなかったが(生涯専業主婦でいいと言ってくれる人と出会える気もしなかったし)、互いに働きつつも、いざと言う時に経済的・精神的に支えてくれる誰かと一緒になるのが理想的に思えたため、近いうちに結婚はしたかった。
ただし、今の彼氏は、結婚相手としては少し違うような感じがどうしても拭えない。

ざっくりこんな感じで、日本での濃ゆい夏休みの後も馬鹿な私は学業や将来の事で悩んだり、男達との出会いと別れを繰り返したりした。



新彼氏と新しいアルバイト


大学中退となり、昔ちょっと気になっていたCollege時代の先輩と再会後いい雰囲気となったところから話を続けよう。

元彼への負い目も多少あったが、数年越しにやっと仲良くなれた先輩との距離はどんどん縮まっていき、夢のような気持ちを同時に味わったのも事実だ。
運命とまでは考えたくなかったが、先輩との再会は嬉しい偶然ではあった。

2014年になり、相変わらず海外在住だったが、ここでようやく生活にLINEを導入した事により日本語メッセージの超気軽なやり取りができて、先輩や日本人の友達と日々はしゃいでいた。


プライベートは再び充実しだしたが、学校を辞める事になったばかりの私の心境はまるでジェットコースターのようだった。
何をするにしても、楽しいは楽しいのだが、「これでいいのかな」という考えがふと頭を過ぎる。
今にして思えば不安定でもあったな。


この時私は22歳。
もはやルックスにもかなり自信がついた頃だったが、心の中では社会的地位や将来、年齢に関してとにかくずっと焦っていたし、結局根っこの部分は昔と全く変わらず暗いままだったと思う。
あと、勝手に23歳以降はおばさん扱いされると思い込んでいて、これ以上歳を重ねたくないと怯えていたのが懐かしい。
若い頃特有の考えだよなあ…今じゃ歳重ねてもなんも思わないよ。

先輩は、再会当初は29歳くらいだった。
うるさい系ではないけど根っからの陽キャで、塩顔なんだけど甘い系のイケメン、そしてかなり長身。
脚は細くて長いけど上半身はガッチリしていて、女子からはもちろん現地のゲイからもモテた。
昔はサラッとした丸いフォルムの髪型で眼鏡男子だったが、再会時はコンタクトにツーブロックのロン毛で、ちょっとだけイケイケな雰囲気になっていた。
どの時代も中身は一切変わらずヘラヘラとした優しい陽キャであったが、数年越しに会う先輩がツーブロで長髪部分を高く結いたマンバンスタイルだった時は、ちょっと驚いた。

ただ、初めて2人きりで映画を観に行った日は、小綺麗なファッションで髪も下ろしてくれて、少し嬉しかった。
(マンバンって髪下ろした時とのギャップがあるんだなあと知った時だった)
普段と違う、ゆるくパーマのかかった格好良い髪型と服装に最初はドキッとしたものだ。

先輩と私は、陰と陽で全然相容れないかなという気もしたのに、意外にも先輩から日に日に好かれているのを感じて、私はちょっとときめいていた。

恐らくマメなタイプじゃないのに、毎日ふとした瞬間にLINEをちょくちょくしてくれて、嬉しかった。
大体どうでもいい事やコアな漫画の話、ご飯の話なんかで、わりと趣味やセンスは合っていた。
楽しかった。


先輩は、当時9年もの間海外生活を送っていた私なんかよりよっぽど海外に馴染んだ人だ。(マジで)
そもそも私とは土台が違って海外が大好き。
日本の有名大学卒業後に就職より留学を選び、どうにか現地で暮らし続ける道を探していたような人だったし、実際に住み続けた結果考え方や言動も全く日本人男性っぽくなくなってしまったタイプ。
彼にとっての男女の恋愛の流れも、「告白→交際」といったような日本式ではなく、「dating(デート期間)→そのうち恋人になっている」というゆるいものだった。

別にdatingも否定しないし、ちゃんと交際する前に性格や身体の相性を確かめるのはある意味理にかなっている気もするけど、当時の私はそれに少しばかりモヤモヤしていた。
そこはちょっと純粋。

まだギリ手は出されてなかったけど、2014年の2月末頃を迎えてなお告られる気配もなく、私は彼の家へ遊びに行った時にやむなしで自分から仕掛ける事にした。

早くちゃんと彼氏になって欲しかったし、ぶっちゃけセックスもしたかった。
彼氏になったら、裸になったら、どんな風に変わるのかが興味深かった。
(この時の私はちゃんと相手を好きという気持ちも勿論あったものの、性欲と好奇心の塊だったと思う…。)

可愛い服を着て彼の部屋にお邪魔して、他愛もないお喋りをした。
それから距離を詰めて、面と向かって私との関係について明るく訊ねてみた。
ちゃんと恋人かどうか伝えて欲しいんだよね、と甘えた声でおねだりしたら、満を持して(?)告白され、そのうち彼の方が襲ってきた。

突如本格的なイチャイチャが始まった。
ずっとモヤモヤしていたしムラついていたので、私は嬉しかった。
ちゃんと「付き合おう」と言わせたし、まあ満足。

先輩との初めての恋人セックスは気持ち良かった。

経験豊富なのか前戯もしっかりめで上手かった。
エロいムードになると突然スイッチが入り、いつものヘラヘラ陽キャではなくなる事が解って、すごく良かった。


昔憧れていた先輩が新しい彼氏となったのだ。


ここからノンストップでドキドキの毎日が始まる!
…と思いきや、学業の傍ら先輩がお金を稼ぎに日本人男性向けの治験へ行ってしまったりして、イチャラブは暫くお預けとなった。

製薬会社が現地の日本人を募ることがちょくちょくあって、何週間か拘束されるが大金を貰えるのだと言う。
私の方も就活しないといけなかった為、ちょうどいいと言えばちょうど良かったが。

とはいえ、まあ、結局私は企業では働けず、海外ではオフィスワークの経験がほとんど無く、飲食店のアルバイトでずっと落ち着いてしまったのだけど……。
(一度だけ日系の会社に事務のバイトで入ったが、あまりに社長がキモいのと自分の実力不足ですぐに辞めてしまった)
表に立ってばかりで厨房はあまり働いた事がない。
今はわからないけど、当時の海外の飲食店はチップ制度が強く根付いていた分、いい店に入る事さえできればウェイトレスでも十分暮らしていけた。


とりあえず、彼氏が治験で離れている間に採用された居酒屋で週5日働き始めた私。

オーナーがちゃんと日本人で、お料理も美味しい人気店だったが、結論から言うとこの時入ったお店はそこまで長くは続けられなかった。
頑張ったけど、環境も相性も良くなかったかも…

日常生活での運転もあって私はお酒の美味しさを知らない大人に成長していたため、全く詳しくも強くもなく、お酒の種類を覚えるのがまず大変だったのを覚えている。
勿論周りは全然お酒好きが多かったけど、飲酒運転で万が一捕まった時や海外の警官に囲まれた事を想像するだけでゾッとしたので、私は呑まなかった。
ましてや通常のスーパーでは売っていない日本のお酒なんてさっぱり判らない。

仲間内で出掛ける時は私がドライバーになる事が多かったし、外での飲酒は家族か歴代彼氏にどっか連れて行って貰った時のみ、それも甘いカクテルを飲むくらい。
まあ後々のメチャクチャな人生を考えると、酒の美味さを知らない大人になって逆に良かったような気もする。
(のちに酒に溺れる事もなく、いい節約にもなる笑)

新しい職場は、当時にしては本格的な日本式居酒屋という事で、お客様は日本人か通な現地人ばかり。
海外かぶれになれなかった私にとっても、慣れれば働きやすい環境だったかもしれない。
しかし、それでもお店の雰囲気にまぁ慣れない!
たまに日本の芸能人も旅行か仕事かなにかで来ていたし、当時の地元エリアの中では結構いいお店の部類だったと思うんだけどね…。
自分の出来の悪さもあるかもしれないが、店長の対応や先輩達の仕事の教え方が微妙だったのを覚えている。

先輩方はギャルや、現地人と結婚離婚を繰り返して滞在している日本人女性が多かった。
何というか、コミュ力を身に付けた後の自分でも接するのがちょっと億劫なくらい価値観が違う人達が多かったかも。

仕事にちょっと慣れてきた頃、常連様の駐在サラリーマン達にすごく気に入られ、「シフト上がる時間だしのあちゃんも一緒に呑もうよ!」と高い日本酒を勧められたのだが、この後車なんで…とニコニコ断っていたら、先輩のギャルが「いいじゃん!とりま一緒にこっち座ろうよ!」とお座敷に先に入って手招いてきたので、いいのかな~と思いつつ私も中に入ったら、たまたま店長がそれを見掛けて、眉を釣り上げて注意してきた事がある。

私と違ってまだ勤務中かつ先にお座敷に突入してお客様の輪に入っていたギャルはお咎めなしで、何故かグイグイ引き込まれた私だけ「ウチはそういう店じゃないんで、お客様の横に座ってコンパニオンみたいな事しないで。」と怒られたのはマジで納得いかず、そう遠くないうちに理由付けて辞めようと決意した瞬間であった。
ギャルの方は酒すら貰ってんだぞ!
今だったら絶対文句言ってるけど、当時は言えず。

そういえば、独身または単身赴任で家族がいない日本人の駐在さんは、結構遊び人が多かったな…。

めちゃくちゃ普通にチビハゲなのに、店先でお見送り時にハグしてきて耳元で「ホントにかわいいよ……嘘じゃないよ」と熱い吐息で囁いてきたオッサンとか、一体どこから自信湧いてんだ。
みな女好きで遊び回ってて、やってる事と見た目のギャップに吃驚。
有名日本企業のブランド掲げて海外で解放されたおじさんは、どんなにしなびててもイキりだすものなのか?

駐在おじ達からはその後も色々アプローチされたけど、店外で遊んでやる義理も無かったので無視。
当時は素人のP活という概念がない時代で、余計に見返りに関して考えず、要らない縁は即切る事ができた。まぁそもそも皆ただのキモい客だったし。
(黒髪ロリ版のきゃりーぱみゅぱみゅみたい♡と、おじさま達から謎に人気だったのオモロすぎるな…)


そして私は、僅か3ヶ月であったが、自分と合わないお店を穏便に辞めるべく、店長に言い訳を丁重に並べて退店した。

当時の店長は厳しかったが、意外と私の働き方は評価してくれていたみたいで、凄く残念がられた。
まあ、結局働いている時の対応も人間性の一部だと思っているので、私は店長や他の先輩方は全然好きではなかったけど……(ひどい)

引き止められ続け、最終的に家庭の事情で日本へ帰ると嘘吐いたせいでちょっと胸が痛かったものの、どうにか穏便に去る事はできた。

帰国した体でそこからお店には寄れなかったし、お客さんとして行く事が無くなったのは勿論だが、アリバイの為お店関連の人のSNSはブロック。
念には念を入れて、そこから1年くらいはお店周辺エリアにすら近寄らないようにしていた。
近くの別のお店にも行けないという縛りも発生したが、本音でズバッと辞める事ができなかった自業自得と考えて、こっそりと暮らすのであった…



変わりゆく環境


やがてまた別の夏が来る。
彼氏とはかなり順調だったし、将来に関してはほぼノープランなのに、何故か毎日とても楽しかった。

根本にある焦りから、楽しい事にしかフォーカス出来なくなっていたのかもしれないが…。

彼の方が社交的すぎてたまに心配になる事もあったが(パーティーや男連中でのアウトドア予定の多さなど)、私の事も忘れずよくデートを提案してくれたし、歳上だけど甘えん坊でこの上なくストレートな性格だったので、この時はまだラブラブで全然大丈夫だった。

まあ、性格が何かと真っ直ぐすぎて、愛情表現以外はのちのち厄介になってしまうのだが、それを知るのはもっと先の話。
ポジティブな内容だったら言われても嬉しいんだけど、口論中だとえげつない火の玉ストレートを投げてくるというか。

とにかく、この頃は付き合い始めてそこまで時間が経っていないのもあって、喧嘩も全くなく、平和。


と、楽しい夏を迎えたものの、明確に悲しいと感じる出来事もあった。

私の親友たち、仲の良い日本人の仲間が、ちょうどこの時期に一人また一人と帰国していった。
ビザも切れるし仕方が無いのだが、正直寂しかったし、取り残されたような感覚もあった。

パンクとロリータといった、何年も一緒に過ごした大事な仲間がとうとう現地に一人も居なくなって、最初は喪失感がすごかった。

帰国後もLINEや何らかのSNSで絡めばいいのだが、皆でしょっちゅう食べに行ったカフェやハンバーガー屋さん、よくわからねぇ人種が経営しているパチモン寿司屋を通りかかる度に、楽しい思い出が頭を過ぎって悲しくなる。
ああ、すぐには皆と会えなくなっちゃったのか…と。


あれだけ自由にめちゃくちゃな生活でずっと生きていたパンクは帰国後上京して、わりと真面目に社畜になった数年後に年上彼氏と結婚して、あっさりとママになった。
社畜生活も結婚も出産も、どれも若い頃本人が心から毛嫌いしていたものなのだが(特に家庭の事情で妊婦には強く嫌悪感を抱いていた)、今はずっと良いママ。
人生って本当によく解らない。
その後はセックスレス旦那の突然の浮気で殺し合いをしかけたりと大変だったようだが、現在は元気に過ごしている。

ロリータの方は、地元へ戻って大金持ちの親の脛をずっと齧っていたが、海外生活中に作っていた現地人の彼氏をイエスマンの奴隷として調教して日本に来させて、結婚に前向きと匂わせておきながら突然振ってしまい、暇潰しで働いたキャバの客の方とデキ婚してゴージャスな主婦になった。
彼女なりに色々あるとは思うのだが、現在は両親がプレゼントしてくれた豪邸に住み、親が開いてくれた美容系のサロンに携わり、お金には一切困らない人生ではある。

この個性的な親友たちになかなか会えなくなってしまって、最初はかなり寂しかった。

何だかんだあったが孤独な高校生活を抜けた後に生まれて初めてできた気の合う仲間だったし、現地で一緒に何年も遊んできたので、いきなり居なくなるとどうしたらいいかわからない。

私が人生初彼氏に中絶を迫られたどん底の時期も、パンクとロリータと仲良くなれたからこそどうにか乗り越えられたようなものだ。
2人には感謝してもしきれない。

すぐにでも日本で会いたかったが、例え帰国したとしても2人の住処は全然違うエリアだったし、会うのは容易くはない。
海外で日本人留学生と仲良くなると、帰国してしまった後にみな結構バラけるので、結果的に全国に友達がいる状態となる。
それはそれで楽しいんだけど、大変っちゃ大変。

全員の中間地点での合流、またはどっか国内旅行とかして集合しちゃえばいいんだけど、帰国後の皆は大概忙しいので、そうした会の企画が意外と難しかったりする。
現に自分が仲間達と全員集合できたのは、数年後。


そんなこんなで、私は何とも言えぬ寂しさを抱えていたが、一応前進しないといけないので、早々に別の仕事を探した。
他にも彼氏と遊んだり、現地に残っていた別の(そこまでめちゃくちゃ仲良くない)友人達と遊んだりして、予定を無理矢理詰めて過ごしていた。
それから、いずれそう遠くないうちに実家を巣立つつもりだったので、夏のうちに家族との時間も楽しんだ。
家族旅行へ行ったり、よく庭でBBQをしたり、腹を割って話したりした。

母と再婚相手の父は夫婦仲が良かったが、二人の間には子どもができなかったので、この時点で8年間もステップファミリーの3人家族+歴代ルームメイト1名ずつの計4人暮らしで同じ家に暮らしていた事になる。

居心地はそこまで悪くなかったが、次の職に就いたら自立するとぼんやり決めていたので、今のうちに親に甘えておこうという気持ちでいた。
既に22歳だったけどな…。


そして、仕事を探しながらではあったが、親友たちが完全帰国してしまった寂しさから、この時期だけわりと手当り次第で友人知人らと遊んだ。

そこまで仲良くないが、まあまあ交流があった程度の子達と距離を詰めたという訳だ。

現地人の女友達とはお泊まり会をしたり日本でいうコミケ的なイベントに遠征したりしたが、いくら優しくて楽しい仲間内でも言語の細かいニュアンスが100%は伝わらない友達との泊まりはキツいと感じてしまったので(※超個人の見解です)、なんだかんだ日本人の子や日本語がそこそこ上手い子とばかりつるんでいたと思う。
この時、日本人で馴染みのある子は大体帰国してしまっていて既に周りは年下か後輩だらけだったのだが、一応年上の友達も残っていなくはいなかったし、とにかく寂しさを埋めるように色んな人達とご飯へ行ったりした。
交友関係なんか無理に拘る必要ないのにね…


まあ、この時は陽キャ彼氏の人気具合に充てられたのもあり、自分も人と関わり続けて人脈キープしなきゃとうっすら考えていたのかもしれない。
ただ、語学もノリも完璧な彼氏とは違って、自分は海外に何年住んでも現地人の交友関係がやや少なめ。
根っこが優しい子じゃないとつるみたくなかったから、選り好みしすぎた感もある。
ハイスクール時代に軽く差別された第二言語勉強中の外国人の私としては、そもそも相手が優しくないと絡みたくない。

ちなみに一番仲が良かった現地人の子は、日本のギャルファッションが大好きなヴィーガン女子。
可愛い物やアニメが大好きだったので趣味は合うのだが、一緒に出掛けようにも肉魚どころか卵や牛乳も無理なので、カフェにすら入りづらくて大変だった。
彼女おすすめのヴィーガン料理専門店に連れて行って貰う事もあったが、当時はフェイクミートやプラントベース食品が現在ほど美味しくなかった上に高かったし、たいがい外食はせずにどちらかの家で遊ぶ感じ。
我が家で日本食を作ってあげる機会もあったのだが、ヴィーガン仕様の出汁なしの味噌汁など、ちょっとだけ残念な料理を振る舞う事に。

彼女に合わせてフェイクミートやココナッツミルク、卵の代用品などを買おうとした事もあったが、当時はものすごく高くて辞めた。スマン。


その他、現地人ではないがこの時絡みまくった日本人の交友関係で、今でも印象に残っている人達は、以下。


①ジェット機よく乗るほど金持ちの息子だけど超コミュ障な若年性おじ
②お喋りすぎて何でも広めるブス先輩女子
③ゲーム好きで仲良くなった語学学校の年下男子
④10歳年上の彼氏を振り回すとにかくバカな後輩
⑤クソガキマインドだけど羽振りのいい日系二世
⑥恋愛下手かつ男に毎回遊ばれる立場の先輩
⑦宗教やってる上に純粋すぎてマルチにハマる後輩
⑧高学歴アラフォーだが酒と薬に溺れるマダオ
⑨日本のオナクラで荒稼ぎして調子に乗りつつ海外でも遊びまくる陽キャイキリ系後輩女子


……並べてみたけど、なんだこのクソ打線。

まあこれらは、周囲に仲良い振りはできても親友には絶対なれないだろうなあ、くらいの仲の人達。
海外生活の終わりまで絡んでたのは③④⑧くらいかな。
その後は勝手に切れたけども。

①はガチのボンボンかつコミュ障で、日本人コミュニティの同世代男子達からもこぞってバカにされるくらいの人。
すごいネット弁慶だから余計にキモがられてたのかも。
あと、⑦の後輩女子と共通の友達でもあって、その子の優しさを勘違いして狙ってたのもキモかった。
毎日毎食、だいぶ高級な外食を食べていて、海外生活2年目くらいは結構肥えていたと思う。
しかも特に奢ったり多く出してくれるわけでもないから付き合いきれなくて、私もそのうち遊ばなくなった。
留学生の料亭の息子(性格おっとり)が友達にいたので、そっちが高級料理にも付き合ってくれてぼっち飯は回避できてたっぽいし、もうええかなと。

②の先輩は、全然可愛くなかったけど謎に積極性があって友達や恋人を作るのが上手な人だった。
しかしお喋りすぎて、男とはすぐダメになる事があまりに多かった。
加えてトラブルメーカーだし、私が昔College入りたての頃に少し関わったクソ野郎(日本語クラスのボランティア男)とすら寝ておいて、ヤッたのかよく覚えてないんだよね~!とすっとぼける女である。
この人を見て、大人になってまで周りに何でもペラペラ話すの信用を失うし、そのくせ自分の都合の悪い点は見苦しく隠そうとするのって恥ずかしい事だなあ、と学んだ部分はある。
交流関係は切れたが、いい反面教師であった。

③と⑨は最初はセットで仲良くしていたが、途中からはそれぞれ個別に遊ぶことに。
③とはカジノに乗り込んだりして楽しかった。
どうやら一時期この2人は付き合っていて、酷い別れ方をしたので気まずくて、同じ場にいられなくなったらしい。
女の方が振ったようだが、女子会で話を聞くと、「③はいい奴だけど私的にはブサイクだから子ども産みたくなくて、折角海外暮らししてるし外国人と結婚したくて、クラブで会ったブラジル人のイケメンに乗り換えちゃったんだよね。てかほぼずっと同時進行だったし…。」とのことで、コイツ悪魔かなんか????と激しく疑問に思ったのを覚えている。
しかも正直全然可愛くない女だったが、美人ぶったオーラというか雰囲気作りは上手くて、明るさといい子っぽさと色気に充てられて男が群がっていた。
性格は痛々しくてイキリ系で、実家がかなり太く何不自由なく生きている感じがしたが、何故か日本では17からこっそりソープで働いて、留学直前もオナクラでバイトして小遣いを荒稼ぎしていたらしい。
風ドルのグラビアもやったんだよね~!とドヤ顔で自慢してくるようなアホ。

④の年下女子は、上記の女達と比べると全然派手じゃないし、見た目もかなりのブスで若さでしか可愛い部分が補えないような子なんだけど、内面が信じれれないくらいバカですごく我儘な女の子だった。
(※すごい悪口のオンパレードだけど、本当に。)
一時期お泊まり会するほど懐かれたんだけど、ずっと付き合っていくのはまあまあ厳しかった。
相手の気持ちが本当に考えられない子で、拘りがとにかく強い。
メイク等の支度にしろ料理にしろ、何事にも作業時間がものすごくかかって、おまけに人を何時間待たせても何も言わない。
本は好きだけど漫画が大嫌いで、ナチュラルに人の趣味を馬鹿にしてくる。
そのうち10歳年上の優しい彼氏を作って幸せそうにしていたが、ハタチなりかけのマイペース過ぎる癖強彼女にアラサー男がとことん振り回されていて、周りから見てもちょっと異様な感じではあった。
親どんだけ甘やかせばこんな娘になるん…。

⑤は日系二世で、親御さんが小さな会社を回しているのだが、調子に乗って実家暮らしをしながら博打三昧の職業・ギャンブラーだった。
イキってはいたが、私が昔嫌いだった日本人留学生の女に童貞を食われたのを知っていたので、最初はちょっと斜め上から観察していた感じ。
家庭内で花札をして、自分が負けたら何も払わない癖にお父さんを負かしたらキッチリ借金として切り取るという悪魔みたいなバカ息子だった。
というか親が甘すぎるね…。
ただ、女には優しくて、レディーファーストを徹底しつつ、ただの友達でも女性には一切お金を出させず、遊ぶ度になにかしら大量の高級なお土産を買ってくれた。(太パパ?)
現地のカジノで日本円にして90万くらい大勝ちした時は、豪勢なディナーを奢ってくれた。
ギャンブルで勝った時だけ航空チケットを買って日本でも豪遊するらしい。

⑥と⑧はもうそのまんま!以上!!って感じなんだけど、一応書くと、⑥の先輩女子は私より2個上だけど内面がちょっと幼稚で、肝心な所で引っ込み思案なサゲマン気質。
浮気された、キープされた、セフレにされただなんだで男関係が本当に毎回上手くいかず、定期的にアジア系カフェでタピオカ抹茶ミルクティーを飲みながら年下の私に情けなく愚痴ってくるのがお約束だった。
大学卒業後すぐ帰国し、Facebookかなんかのデートマッチングサービスで知り合った男性と即交際するも、僅か1ヶ月で妊娠。
男から別れを告げられそうになるが説得して結婚。
男の方の実家に引っ越して田舎暮らしを始めたらしいが、私が後に出産した際にビックリするほど上から目線の先輩ママ面してきたので、そのうち連絡すら取らなくなってしまった。

⑧のオッサンは元はと言えば彼氏の友達のコミュニティの人で、そのメチャクチャな言動からは想像できないが、かなり高学歴の独身40代男性。
日本の有名な大学院を出ているが、何故か就労ビザで海外に流れて飲食店の厨房で長年働いていた。
顔は悪くないが性格がアレなのでずっと彼女ができず、よく売春婦を買ったり、一時帰国の際に日本の風俗に行きまくったりしていた。
なかなか面白い人で一時期は結構仲が良かったのだが、酒癖がとにかく悪く、酔ったらこちらを煽り散らかしてくるわ酒系のやらかしが多いわで本当にどうしようもないオッサンだったので、そのうち遊ばなくなってしまった……。
基本毎日飲み歩いてどうやら飲酒運転も日常茶飯事だったようで、ベロベロで運転して流石に捕まってしまい、海外のポリスにアルコールチェッカー側がおかしいと文句を言って(100オッサンの方が悪いのに…)牢屋にブチ込まれ、翌日たまたま暇だった私が迎えに行くという出来事もあった。ガス代払え。
ちなみに、海外の牢屋での一晩は強烈だったようで、怖い人達に囲まれてぺちゃんこのトイレットペーパーの芯を枕にして凍えながら眠ったらしい。
オッサンは酒とマリファナが大好きで、何系かわからないが普通にライトな薬もやっていたっぽい。


…この期間に限った話ではないが、海外に長く暮らしていると本当に色々な人達と出会う。

ましてや同じ国の出身者だと特に個性が際立って見えて、どうも印象に残ってしまう。
この時はCollege時代とはまた違ったツテで知り合った人も多く、ますます変な奴とも会うようになった。

こいつら以外にも普通の感性の友達はいたのだが、どうもこういう面子の言動は記憶に残りがちだ。


そのうち無理に交友関係を増やすことも辞め、私は自然な成りゆきで彼氏の友達の輪に入るようになった。

彼はわりとモテたが、日頃つるむのは圧倒的に男連中ばかりで、特別親しい女友達も居なかったので私としてはやりやすかった。

彼はキャンプやロードトリップ、音楽、釣り、カメラを筆頭に、男の趣味丸出しのアクティビティを仲間内で楽しむのが何より楽しいといったタイプの人だった。
本当に男としか遊ばなくて浮気の心配は無かったし、逆に私が男連中に混ざって彼から嫉妬される事も無かった。

彼の仲間内は同じく社交的でモテたりそれなりに経験を積んでいる人も多かったので、こっちに手を出そうとする人もいなかったし、基本何事にもサッパリしていて、最初はとても過ごしやすかった。

周りから歓迎されている感じもすごく嬉しかった。



海外でのフリーター同棲生活


私の次の職は意外とすぐに見つかった。
母の友達に日本人の40代後半の美魔女がいたのだが、その方がちょっとだけシフトに入っていた飲食店だ。

ちょうど求人を行っていたようで、彼女のツテですぐに面接を受けに行く事に成功した。

実際に訪れて驚いたのだが、そこはウェイトレスに美しい日本人女性が多い高級店だった。
初めて足を踏み入れた時は緊張した。
しっかり日本人が経営して、日本人のシェフとマネージャーを使った、キッチリめの寿司バーだ。

日本人目線で味にも拘り、少なくとも近場でよく展開されていたパチモン寿司と謎の料理を出すようなエセ日本食レストランでは無かった。
オーナーの日本人老夫婦も厳しそうな2人で、最初はすごくドキドキしたが、意外にも私は一発採用だった。

鮨は本格的な物を提供すべく、当時築地からほとんどのネタを空輸し、板前さんは日本人で揃えていた。
(流石に雇いやすさの問題から厨房スタッフは現地人が多かったが)
途中からは現地人のウェイトレスやウェイターもたまに採用していたが、ホールスタッフはほぼ日本人女性で揃えている。
一言で言うとしっかりしていて、周りからも評価される人気店だった。

日本人は勿論、味がわかる現地人のお客様が、日々大将が作る寿司やお造りを食べにやって来る。

自分も思い切ってホールスタッフとして入ってみたが、素晴らしいお店だったし、すごくやり甲斐がある仕事だと思った。


最初は緊張続きだったものの、今回働くお店は全体的に雰囲気が良く、友達や彼氏や親もたまに食べに来てくれたりして、新しい場にすぐ慣れる事ができた。
家賃がお高いエリアの一角に店を構え、お客様も裕福で心に余裕がある方がとても多く、怒られる事が少なく、チップもかなり多い。
ここで週5日働けば十分自立ができると判り、私はますますやる気になった。

新たな生活の基盤を見つけ、一生懸命働いた。

昼の部と夜の部いずれも通しで入る日もあった。
人気店だったので目が回るほど忙しく、週の半ばから若干疲れてしまうけど、勤務態度と容姿は常に一番いいスタッフでいるように心掛けていた。

身嗜みやビジュ磨きもより一層頑張ったし、誰よりも丁寧かつ迅速に働いた。
愛想を振りまくだけでなく、最初は「若いけどサボらずよく働く」とオーナーさん達に認めて貰うところに重点を置いた。
ホールでも、誰も見ていないところでも、丁寧に仕事した。
まず周りから信用して欲しかったんだよね。

ここで働かせて貰うにあたって、接客面もかなりブラッシュアップされた気がする。
本当に良い経験になった。

その辺の飲食店と違って客層があまりにも良過ぎて、チップはお代の20%どころか80%くらいくれる紳士や奥様もざらにいた。
ランチタイムだけ定食も出していたのだが、ランチのお会計が日本円で2,500円ほどだったとして、私へのチップが3,000円相当でトータル5,500円分くらいお支払いしていたお客様が現れた時は、もうよく解らなかった。笑

結構頑張った甲斐あって、厳しかったオーナーの奥様からもすぐに認められた。

晴れて私は高級店のサーブの実績を解除し、お店のファミリーの一員としても認められるようになった。

本当に美味しいお店で、メニューは私自身もたまに従業員割引で食べさせて貰ったが、味が他所と段違いで、皆が来たがる理由も明白だった。
勿論まかないも美味しかったけど、それとはまた違って、お客様が食べる物と同じメニューを頂くのは私にとってたまのご褒美だった。
良い鮨を食べて日本を感じることが出来たのも幸せ。


そうこうしているうちに、彼氏が在籍していた大学を卒業した。
彼にとっては日本の有名大学に続いて、人生二度目の大学卒業だった。

彼30歳、私も23歳の誕生日を迎えた頃だと思う。

私達は、どちらから言い出すでもなく将来に向けて動き始め、手始めに同棲を始めた。






※以下ちょっと際どい内容もあるので、有料で伏せさせて頂きます。


次の無料のお話
パートナー解消からの仮住まいでヤケクソな海外⇔日本暮らし



ここから先は

30,298字

¥ 300

この前ふいにアイスカフェラテを奢っていただく事があり、これぞささやかだけど大きい幸せだぁ!と思いました。 なんだかいつもより美味しく感じました☕️ 誰かからカフェラテを飲ませて貰える分、明るく生きられる気がします。