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海外学生生活③ トラウマを越えて

前回のお話
海外学生生活② 初交際の成れの果て

※番外編
【アドバイス】10代で妊娠した子や、いま妊娠疑惑で戸惑っている方々に向けて

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また暫く忙しく、だいぶ出遅れましたが、執筆を再開します。


週1更新を目指したかったのに、気付けば最後の記事から1ヶ月以上経過って!
今年の春は色々ありすぎて、時間の流れの速いこと速いこと……信じられない。

子どもの進級以外にも、職場の事や、親戚の襲来、不妊治療のステップアップなどなどトピック盛り沢山。いずれ書きたいです。

自分の暗い過去を思い返す事によって生じたメンタル面のダメージは、前回の過去話でちょっと溜まっていたものの、気付けば全回復していました。
あまり周りの人には言えない経験を自分自身しっかり振り返ってみたいからという理由で書き始めたnoteですが、思い出しながら自分で勝手にダメージ食う事もそりゃありますね…。(アホ)


それでは過去の話に戻ります。

今まで深くは考えてきませんでしたが、人生のターニングポイントはこれまでに幾つかあった気がします。

そのうちの一つは間違いなく、この海外での学生生活でしょう。

妊娠後中絶、お先真っ暗と思いきや、人生初の何でも言い合える友達を得た時期です。



19歳、学生、ピル中絶の後


ひたすらにしんどかったです。

手術はせずにアボーションピルで自宅で中絶を行ったわけですが、それがまた逆にメンタルに良くなかった。
そもそも気にしいで引き摺る性格の私の感情は、どこまでもどこまでも落ちていきました。

限界を迎え、初めての彼氏を自分から振りました。
後悔は一切ありません。


やがて新学期が始まり、母国語の日本語を家の中で話しまくる時期も終わり、また学校へ。

私は絶望したまま、普段の生活に戻りました。


何の為にいつも通り生きるのか。
よくわからないまま、とにかく学校に通う日々。

ご飯が美味しかったり、たまに周りに優しい言葉をかけてもらったり(皆に夏休みの妊娠と中絶の事は話していないのだけど)、そうした瞬間にふと嬉しさは感じるのものの、基本的に気持ちはずっと暗いまま。

事情を知っている親だけは、特に叱ったり特別優しくしたりもせずに、そっと見守ってくれました。


少し脱線。

これは最近気付いた事ですが、今まで一瞬でもちゃんと付き合おうと思った事のある歴代彼氏達には(結局すぐ別れた奴も含めて)私の中絶の経験を一応伝えていて、その時の各々の反応は、ざっくりで大体3つくらいに分類できます。

①何も言わずにスキンシップで優しく接してくる
②だろうと思った!と言ってくる
③ごめんね!!辛い事言わせちゃったね!と申し訳無さそうに謝ってくれる

以上の3種類の反応で、①は気が弱い男、または語彙力が無くてどうしていいか判らない男が取りがちな態度です。
まあ優しいけど優柔不断な人が多いです。

②はヤバいですね。何様なんでしょうか。
「私の話の持っていき方で判った」という意味ですが、なんで考えが当たった事で少し嬉しそうなんでしょうか。
大体アスペのクソ男なので、今ならこの会話の時点で切ってます。

③は現在の夫です。
今はまだまだ学生時代の話を書いている途中ですが、この後の人生で様々な男性との出会いがありまして、自分の身の上話に対して元彼達は失礼ながらどれもこれもパッとしない反応だらけだった中、現夫のこの態度には驚きました。
話を聞いて、何故か「ごめん!!」とすぐさま謝って強くハグしてくれて、少なくとも私は本当に嬉しかった。
心から同情してくれて、過去の自分も報われるような思いでした。

何も中絶に限りませんが、心身に傷を負った経験、辛い記憶をパートナーに打ち明ける際、自分が嬉しいと思う反応をしてくれる相手は大切にしたいものだと思うのでした。

脱線おわり。


学生時代の新学期に話を戻します。


周りに特に何も打ち明けていなかった私は、虚無を感じながら生活していました。

諸悪の根源だった(というのも違う気がするけど)例のギャルも転校して色恋に溺れ、彼氏と秒で別れて周りの友達の男とくっ付いたり別れたりを繰り返し、学業に励まず勝手にドロップアウトしてくれたし、日本人のコミュニティにそこまで怯える必要もなくなりました。
これに関しては良かった。


ずっとこんな調子で、夏の間のトラウマで少しだけ日本人と心の距離を置いていた秋の初め。

そんな私にも、ある日唐突に新しい日本人の友達ができました。


それも、ここまでの人生では出会う事の無かったタイプ。
いろいろと失った後、最初に得たものである。

タイミングも絶妙で、今でも驚いている。


ひとりは、体重100kg超え、切れ長一重に、ド派手髪、限界までピアスを開けて、格好はパンクな女子。

けどボトムスは基本的にフリル付きスカート&ニーハイだったり、持ち物にジャラジャラぬいぐるみや可愛いものを付けまくって、当時の私にとっては「これが今時の日本の女の子なんだな~!」くらいの印象だった。
(結構パッと見でも個性がオーバーキル状態だったのに…)
キャンパス内でもどこでも、古い犬の人形をずっと大事そうに抱えているのも特徴だった。
まあ、とても変わっている。


もうひとりは、黒髪ぱっつん&姫カットにツインテール、かなり分厚く付けたアイテープとつけまつげ、そして所構わずロリータファッションを貫く女子。

同じく個性的ながら、こちらの子はパンク女子と違って口調も超おっとり、優しそうなムードだ。
(しかし後に記述するが中身はぶっ飛んでいる)


二人共、曲者だった。

語学を勉強して海外留学を果たした筈なのに、日本語以外の言葉をキャンパスでも全く話したがらなかった。

実はその点に関しては、私も長く住みながら語学のセンスが無かったし意欲も一切なかったから、かなり波長があった。
(よくない事ではあるが…。)



突然現れた二人の友達に救われた


思い返せば、最初は構内でたまにすれ違うくらいだった。
互いに日本人の子だー、くらいに認識していたと思う。

二人は留学しておいて、日本語以外の言語を話せないし話さない。
しかし、どこでも自分のファッションを貫いて、言動もかなり堂々としていた。


変わっているのは服装だけじゃない。

ちょっと、気になり始めた。

ある日、かなり自然にカフェテリアで相席できて、二人との会話、そしてゆるっとしたランチタイムが実現した。


パンク女子もロリータ女子も私と同い歳だった。
曰く、見た目で現地人は物珍しく寄ってくるけど、日本人受けが悪すぎて、私がフレンドリーに接してくれて嬉しかったようだ。

自分も久しぶりに、誰かとお近づきになれて嬉しかったように思う。

どうやらパンクとロリータは留学前の学校時代から一緒で、同じ学校に留学してからもルームシェアして、ずっと一緒に過ごしているらしい。

自分は姫カットこそしていなかったものの、同じく黒髪ロングでロリータの方と髪型が少し被っていて、校内で一緒にいると余計に目立った。
ロリータはすぐに私に連絡先を訊いてきて、今度あそびいこ!一緒におそろコーデで写真撮ろ♡と言ってきた。

私は日本を出たのは14歳の頃で、小中学時代も貧乏と陰キャの所為で全くお出掛けや一般的な遊びを経験しなかったし、そのまま親の再婚で海外移住して、日本の女子と日本っぽく(?)遊ぶ事に憧れていた。

たまに日系ストアで買える日本のファッション誌を読んでメイクやファッション、お出掛けスポットを勉強しても、自分の周りには無いものばかり。

おまけに日本人女子の友達がたまにできても、趣味がゴッソリ合ったり、波長が合ったりする子は皆無だった。
そもそもこっちに好んで来るのは元々外国や語学や異国ムードが好きな子達が多かったので、まァ合わないこと合わないこと。
みな洋楽だ酒だパーティーだマリファナだと、馬鹿馬鹿しい…。

初めて会うタイプの二人とお近付きになった日は、とても嬉しかった。

それから二人とは毎日textやSNSで連絡を取ったり校内で待ち合わせたりして、私が運転に慣れてからは平日週末関係なくハングアウトした。

あっという間に距離が縮まった。

パンクもロリータも、サブカルが大好きだった。
非常にコアな漫画やアニメや動画の話ができて、私は感無量といったところだった。
遅かったが、19歳にして人生で初めて「合う」友達と出会えたのだ。

パンクの方は気性が荒かったが、怒りの矛先が友達に向くことはなかったし、ムカついたらSNSで発狂したり髪染めとピアスとタトゥー増量にぶつけていたから、まだ全然平和なモンだった。
(陰口は言いまくる奴だったが…)

どこへ行くにも連れて歩いていた犬の人形は、彼女の部屋に入り浸るようになって知ったのだが、家の中でも肌身離さず、寝る時も一緒。
彼女の為に詳しくは書けないが、当時のパンクはその人形に対して複雑な思い出があって、それを自身の家族だと思い込んでいた。
人形とずっと会話をしたりご飯も食べさせようとしている姿に最初はドキッとしたものだが、その後3年ほど現地の親友として共に過ごし、途中から完全に人形も彼女の一部と思うようになった。

余談だが10年後、彼女は自身が当初忌み嫌っていた妊婦となり、意外にもすんなりと出産と育児を受け入れ、今ではお互い日本でママ友となっているのだが、犬の人形に対する幻は解けたのだろうか……と時折思う。
わざわざ訊くのは野暮なので触れないが。


そして、ロリータの方は、パンクより人懐っこく、日本人からは派手なメイクと服装のせいでモテないとの事だったが、異性関係は私以上に全然途切れなかった。
私は海外生活中も結局日本人としか付き合わなかったのだが、ロリータの方はこだわりもなく好奇心旺盛で、人種にも無頓着で何人ともヤッた。

3~4股は当たり前だし、のちに彼氏ができるまでは一定の相手を絶対に作らず、日本人から見ても相当ナードっぽく冴えないオタクな現地人にもベタベタくっつき、ヤリ捨てする。
ストーカー化して家の周りをたむろする男もいて、同居人のパンクがバチ切れした事もある。
(そもそも当時のパンクは誰からもモテなかったのでリア充やビッチが大嫌いで、一時期ふたりの友情に亀裂が走った事もある…)

校内の日本人からは変なカッコだとネタにされがちなロリータだったが、フッ軽かつ好奇心が旺盛すぎるので、現地人との3Pもアナルもパパ活の先駆けもハメ撮りも全て実績解除していた。
正直すごい。
私は今でもいずれも解除できとらん…。


なんというかこの子は、他者から何を言われようと自分を貫く強さがあった。


海外に来ておいて言語は真面目に学ばないし話せないのだが、初対面の自分に興味がありそうな男に日本語で話し続け、甘えたりしながらも命令し、相手を気付けば虜にしてしまうという強さがあった。

本当に真似できない。
正直言うと当時は尊敬までしていたし、影響はたっぷり受けてしまったと思う。


パンクの方は、彼氏どころか友達もほぼ作らなかったが、海外住みでも構わず授業以外ほぼ部屋に引きこもって日本のゲームをしていて、こちらもこちらで異次元の強さがあった。

授業の日もそんなに真面目に行っていなかったようだし、よく単位貰えて卒業できたよホント!
(私も含めて、お前ら海外まで来て何をやっとんねんと言われても仕方無いのだが……。)

良くも悪くも、他の留学生達とは明らかに一線を画していたのは間違いない。


パンクは家庭環境の様々な問題の清算で得たお金で留学していたが、ロリータは実家がかなり太くて、のちのち皆で帰国した際に豪邸でお泊まりした時が忘れられない。
この面子で日本で遊びまくった日々も物凄く楽しかったが、まさに異世界だったな…。
ゴージャスなドレスで小太りでニコニコして宝石だらけの、絵に描いたような裕福なママが面白かった。

言ってしまえば二人共、ちょっと変わった環境で育っている。

二人の話はいつも目から鱗だったし、常に新しい世界を見せてくれる大事な友達となった。

何気なく出会えて、仲良くなれて良かったと思う。


男達から受けるものとは全く違う刺激に、私の夏のトラウマの影は少しずつ少しずつ溶けていった。


気の合う女子同士の友情のなんと気軽な事か。


気軽すぎて、たまに互いを傷付けてしまって、当人がいない所で愚痴り合ったりという10代メスらしい愚かしさもあったのだが、何だかんだ二人との友情は全員帰国して家庭を持った今でもずっと続いている。
小さい頃日本で何も残せなかった私の唯一の学友だ。

まあ、正確にはこの二人以外にもキャンパス内に友達は居なくはなかったんだけど、別の子達とは親友と呼べるほどの友情が育まれることはなかったし、のちのち住む場所が離れても、10年以上同じ感覚のまま続いた友達はこの二人くらいなものだ。

パンクは周りの子らのように留学そのものに憧れを抱いていたというよりかは、恐らく日本で経験していたであろう息苦しい生活から抜けたかったのかもしれない。

水を得た魚のようにピアスとタトゥーを増やし、嫌な感じの奴らに日本語で暴言を吐き、飯を食いまくり、好き勝手に暮らし、サブカルを漁る女だった。
私はそれに付き合うのが常に楽しかった。

彼女は日本のゲーム機を持ち込んでいたので、何時間でも一緒に遊べた。
パンクの部屋でダラダラするのが本当に好きだった。

ロリータは、とにかく可愛いものと楽しいこと好きで、日本での流行りのコスメも沢山教えてくれた。
私が当時初めてつけまつげデビューをしたのは、ロリータとの初めてのお泊まり会での事だった。

のあちゃんバサバサまつげ映えるしめっちゃカワイイから続けなよ!!と言われ、そこから数年間、日本に完全帰国する時までずっと化粧はギャルメイク寄りの重度つけまユーザーだった。
前回書いた通り、ラッキーにも整形なしで二重幅が定着して、憧れの二重のぱっちりした瞳を手に入れた後だったので、この時はロリータのメイク指導のお陰でかなりお人形フェイスに近かった時期だと思う。

それとロリータは、パンクの嫌そうな顔を見たくないからか、私にだけこっそりと男関係のメチャクチャな話を聞かせてくれた。

当時はそこまで実経験も多くなかった自分からするとあまりにも衝撃的で、時折ビックリもしたものの、「自分をもっと強く持ってもいいんだ」と気付かせてくれる切っ掛けにもなったので悪い影響だけではなかったと思う。
うん…。


何故私は今まで無駄に男の人を立てていたのだろう?

もっともっと自分を出して、何なら尻に敷いてもいいのだ。

のちにこれは、男を好き勝手に扱ってやる、というロリータの思想(?)を受け継ぐ事にも繋がるのだが、また後々書いていこう。


ロリータは、メイクだけでなく衣類やアクセサリーもよく見立ててくれた。
私はすっかり感化されて、カワイイお洋服をどんどん着ていった。
(胸の内では元々好きだったというのもあるけど…)

ロリータと一緒に歩くとどんな服でも恥ずかしくないし、なんなら途中からは一人で露出多めフリル付きベアワンピで歩いても全く恥ずかしくなかった。
どちらかと言うとギャルマインドを育てて貰ったようにも思う。

彼女は日本から可愛いロリータ服や甘めのギャルブランドの服をいつも取り寄せて貰っていて、毎日気合いの入ったコーデで校内を優雅に日傘付きで歩いていた。
現地では雨でもパーカーのフードで過ごす人が多いくらいで、当時は日傘をさしている現地人は皆無だったので、彼女のまるで貴族のような振る舞いは非常に目立った。

二人の共通した考えとしては、「自分はこんなだから海外の方が住みやすいけど、感覚は日本人のままでしか居られないから、生きづらい。」といったもので、私もそれにはある程度共感した。


個性をしっかりと認められる国で、二人は我を通し、個性を貫いた。

世間的に見ると自分に甘く好き勝手生きているだけの子達であったが、勿論それなりに苦悩もあった。
ちやほやされたり逆に妬まれたり、人間関係や学業で上手くいったりいかなかったり、日々色んな出来事があったが、二人共自分なりの優雅さを求めて生きている姿が魅力的だった。


最初の頃に出会ったギャルやクソ男達といった薄っぺらい日本人留学生のように、ただ単に海外大好き!といった感じのパーティ野郎達とは根本が違うように見えた。

二人共パーッとお金を使う時もあるのだが、普段は意外と庶民的に生きていて、そこも好感が持てた。

よく皆で集まってスーパーで買い出しをして、鍋などの日本食や手作りピザなどなど、テンションが上がる食べ物を自炊をしてわいわいと楽しんでいた。



遅れて訪れたほんとうの青春


次第に、二人が借りている広いアパートメントで自炊料理を食べる日は、毎週決まった曜日に定められるようになった。

その日以外にも授業後テキトーに集まる日は全然あったが、さらに共通の友達も3人ほど加わったフルメンバーでの買い出し・料理・ごはん・ゲームのチル会は、週一のお楽しみとなった。

むしろ楽しみというより、当時は生きがいだったかもしれない。

大袈裟かもしれないが、この時のメンバーのお陰で、私は自分の人生を取り戻したのだ。


この会は、ほぼ3年くらい毎週みっちりと続いた。

各々が卒業した後、別のUniversityへ編入したり就活をしたりと色々していた期間もである。
留学生の皆が帰国するまでずっと続いたのだ。


自分が脅かされる事なく心から落ち着くメンバーで集合して、楽しく、時にだらしなく、パンクとロリータのアパートメントで遊びまくる日々はとても幸せだったと思う。


私は途中でデザート係になって、皆の食後のスイーツを毎週物色したり作ったりしたのも楽しかった。
色んなジャンルのゲームで遊んだし、夏は日本風のお弁当を作ってビーチや公園でピクニックをした。

不思議と出会った当初から、皆で涙が出るほどゲラゲラと笑ったりできた。

言いたい事をほぼ何でも言ったり、美味しいものを食べ、好きなだけアニメを見て、可愛い物や楽しい事を日々多く共有した。

そうしていると、私も夏の間の出来事を束の間忘れられた。

完全に忘れることは勿論ずっとできなかったし、本当の意味で乗り越えるにはかなりの年数を要したものの、私が早い段階で明るさを取り戻せたのは、友達の家という新しい居場所のお陰だった。

あと、家から離れた日系ストアで何気無くアルバイトを始めたので、自分で遊びに使えるお金をしっかり稼げるようになり、精神的にも徐々に自立を始めたのがデカかったかもしれない。
今まではもっと甘ちゃんだったので…。


バイト先のショップは、売っている物は日本の物だけど、日本人以外のお客様への接客や店内業務は当然現地の言語を伴うので、複雑な品物を取り扱う際はちょっと厄介だった。
特にデバイス系の契約。

当時は新しい物好きの人達がようやくスマートフォンを持ち歩き出したくらいの時代で、まだガラケーの人の比率の方が多く、日本語のメッセージが送れますよ!という触れ込みでKDDIが日本人向けのスマホを売り出していた。
私は頭が悪かったが、クレームだけは無いよう、日々ドキドキしながらお店に立って色んな物を売っていた。

人から好かれるような明るい接客の仕方と、日報の書き方(簡単なビジネス用語)はここで初めて学んだものだ。
とても懐かしい。

何だかんだ、数ヶ月かけていろいろな経験を積んだ。


暗い出来事によるフラッシュバックやストレスの蓄積からある程度逃れるには、19歳の頃の私の場合、

・同じ環境に居続けないこと
・何かを始めること
・さらに余裕があれば(可能な範囲で)今まで絶対に出来なさそうだった事にも挑戦してみること

の3つを行うのが最も効果的だったように思う。


打ち込んでいるうちは嫌な思い出をいっとき忘れられるし、根っこの思考を変えられるし、負の連鎖から抜け出せて、成長も出来るという。


勿論人によって対処法や向き合い方はそれぞれだが、環境を変えるのは本当に良かった。

こんな私でも少しずつ変わることが出来た。

強くなれたのは新しい場所、新しい友達のお陰だ。

私の中の弱気の血が強気の血に入れ換えられた。
産めなかった最初の子のすべてを背負って、私は "他人にナメられず、とにかく幸せになる事" を目標とし、突っ走る事になった。




2人目の彼氏


友達のおかげで自分自身を曝け出せるようになって、逆に気が強くなってしまったという点も書いておかねばならない。

少しだけ立ち直った頃の私は、友達の影響で思った事をわりと何でも言えるようになっていた。

言ってしまえば、ちょっと尖り始めていた。
イキれる若者……。


それはそうとして、皆のお陰でキャンパスライフが安定し、やがて穏やかに年が明け、翌年。

私は、友達の友達くらいの立ち位置にいた歳上の男性にひょんなことから気に入られ、「他者から好かれる」という事にさらなる安定を見出し、思い切ってこの男性と付き合ってみることにした。

ロリータのメイクとファッション指導のお陰でだいぶルックスに自信が持てた時期で、この男性に対しても、どうしたらもっと好かれるか・どうすれば可愛く見えるかを自然と計算して演出できた。

この頃は男性経験が少ない割に、男の人から告白されるよう仕向けるのはとても容易かった。
不思議である。

以前はサッパリ解らなかった事が、ビジュアルの変貌と性格の変化によって生じた自信だけで、簡単に出来るようになったことが面白かった。

いつの間にか相手に好きと思わせること、好きと言わせることが思い通りに出来るようになった。

この2人目の彼氏以降、異性関係の発展で困った事は一度もない。
(発展した後に困った事は多かったけどな…)


人生2度目に付き合う事となったこの男性は、実は日本在住。

数ヶ月もの間、まさかの遠距離恋愛をする事となった。

相手がなんなら童貞で優しい性格の男性だったからこそ、国を挟んだ遠距離も大して不安じゃなかったし、最初の彼氏のようにフラフラしたタイプとは違う相手に安心したかったのだと思う。


ギリスマホやLINEを持っていなかった時期なので、彼との連絡はメールかSNSかSkype、そしてエアメールによる手書きの文通(!)で行っていた。
文通は戯れだけど。

春休みと夏休み、互いに互いの住んでいる国に飛んで2回ほど会った。
ピュアと言えばピュアだ。

まあ友達紹介で、出会い系やゲーム等が切っ掛けではないにしろ、ほぼほぼネット恋愛なわけだ。
初めて高画質の相手の顔写真を見せて貰った時のコレジャナイ感は忘れられないが(そりゃそう)、そこそこ良い人生経験になったと思う…。


彼はわりと歳上だったが、付き合い出してしばらく経つまで童貞という事を隠していた。
当初は「私が初めてになるなんて嬉しいかも!」としか思わなかったものの、今にして思えばアラサー童貞は結構な確率でこじらせていたり何かしらの問題を抱えている奴だらけだし、結局ここでも私は間違った相手を選んでしまったと思う。

当時私に告ってきた男性の中で一番優しかったという理由だけで愚直に選んだのが敗因であるが、当時の自分に言っても絶対ピンとは来ないだろう。

彼は、非常に優しいのだが、悲しいかな童貞且つその歳で女友達も皆無だったため、悪気なく女子に対するデリカシーが欠けていた。

やり取りをしていてムードもへったくれもなくなるので、そこは付き合った当初から困っていた点ではあった。


今にして思えば、彼はコミュニケーション時もズレまくりの立派なチー牛童貞ではあったが、実際性格も見た目もアラサーに見えないくらい幼めで、性知識もAVとエロ漫画がベースなのは目に見えて解った。

彼女ができて何をしたいかという話題でも、「潮を噴かせてみたい。」とクソ真面目に答えていたし、こっちの国のモーテルで初めて寝た時なんかは酷かった。
相手にとって記念すべき素人との初体験だったわけだが、強過ぎる力で毎日オナニーしていた彼氏の皮長クソチンポはゴムセックスでは思ったような満足感が得られなかったようで、普通にイッておいて「なんか入口ゆるいかも~」と悪気なく言い出す始末だ。

私は経験人数1人だったし、その元彼との実際のセックスの回数も数えるほど程度だったので、流石にショックで「は?それ失礼じゃね?」と(微笑みながらではあるが)当人に返したところ、こちらを傷付ける意図のなかった彼は慌てて平謝りしてくれた。

補足すると私はその頃から現在に至るまでずっと腟内が狭めであると自負している。
童貞クソオナニー野郎に緩いと言われるようなマンコは持ち合わせていない筈だが、まあ要は相手がミニチンポで、そういう感じだったのだ。


彼は、3日間だけだったが頑張ってお金を作って初海外旅行に来てくれたり、慣れないであろう文通やプレゼント選びなども努力してくれたし、雰囲気も柔らかく、離れていても常に私を好いてくれていて、とても良い人ではあったのだが……

蓋を開けてみると、彼は26歳で一度も定職に就いた事の無い自称パチプロだった。


うーん、生々しいね。

付き合う前~付き合って少し経ったくらいの頃は、「仕事行くよー!」と毎日メールしてくれても、業種については語らずに濁していた。

しかしそのうち彼が、朝から晩までデータを読むか台に向かうだけの生活でなんだかんだ生計を立てているという事実が発覚。

いや、それはそれで凄いんだろうけど。
パチだけで稼いでるし、実家住みではないし。


でも、社会的にちゃんとしているのであればせめてパチ屋勤務とかだろ……?と、客側で何年もパチンコに通い続けるだけの生活を送っている彼に対して私はすぐに疑問を抱き始めた。

ライターさん、配信者という訳でも無かったし。
他に何のバイトもしていなかったし。

私も一度は日本まで会いに行って、意外にも9ヶ月くらいは遠距離恋愛が続いた気がするが、社会の後ろ盾もなくデリカシーもなく将来性もない歳上彼氏に対し本当にげんなりしてしまい、その気持ちはゆくゆく別れ話へと繋がる事となる。


ちなみに余談だが、中3ぶりの帰国は楽しかったけど、地元を憎んでいるので成人式は出なかった…!
それでも久しぶりの日本、しかも大人になってから初めて歩く日本の街は結構楽しかった。

親戚宅に滞在させて貰いながら、実質出かけてばかりだったなあ。
実家じゃなくて門限も無いので最高。

しかし彼が「日本来たらオレは彼女に絶対お金出させないよ♡」などと言っておきながら、初日に不二家のケーキ2個にすらお金を出さなかった時は、「以前言ってた事と違くない?自分で払うのは別にいいんだけど、大口叩いて実行してない男の人ってそんな好かんかも…。」とその場で言ってしまったりで、初手から平謝りされて微妙な空気になったのを覚えている。
なにやってんだか。


話を戻し、相変わらず遠距離恋愛を続けていた時に、ある日「もうこの人二度と尊敬できないかもなあ」とハッキリ思い、そこまで迷わずSkypeのビデオ通話にて別れ話を切り出した。


そもそも恋愛と結婚に関してだが、初めての彼氏で強烈な経験をしたので、人を表面だけでなく心から好きになる事はもうできないかもしれないが、それでも人生の伴侶は必要だしなあ……くらいにドライに構えていた、当時の私。

パチンコで食っていくのは勿論技術あっての事かもしれないが、根っこはギャンブルなので生活が安定するとは思えないし、実際どんどん昔のように多くは勝てなくなっていると友人から聞いたりして、将来性がないのは結婚するには致命的だと改めて思ったのだ。

私はその頃ハタチで、冷たいかもしれないが切り捨てて違う人と恋愛をするのが生産的だと解っていた。

彼にも勿論いい所があったが、客観的に引いてみると「やはり違うなあ」という面が多過ぎる。
付き合って数ヶ月経っても定職に就かず、私の親戚や友達に対しても陰気臭い表情と態度で、社会性がなく幼い物言いしかできないアラサー。


別れ話を切り出した時、予想通り彼は泣いて嫌がり、話し合いはかなり長丁場になった。


彼は、「イヤだイヤだ」「続けたい」「結婚したい」ばかり言い続けていて、私も謝ったり優しく諭したり様々なアプローチを続けてみたのだが、埒が明かなかった。

最終的には私の「何と言っても、片方が別れたい気持ちを持ち続けたままでは続けられないよ。」という言葉で押し切る形でどうにか別れられたのだが、別れた一週間後に、パチンコ辞めてお母さんのツテで働くからやり直そう!日本で養うから帰国して!と鬼メッセージが届くようになった。


ブロックしても別の手段で鬼メッセージ。

流石に友達に相談し、途中からは完全無視を続ける事にした。

その後も国際便でプレゼントが詰まった荷物が届きそうになったり、当時のSNSをずっと監視されたりと、案の定軽いネトストと化してしまった。


こういうケースで何が正解なのかはわからないが、敢えて優しくせずにバチボコに罵って別れ話を終えていれば未練も薄かったのだろうか?
(キレやすくない相手のみに限るが…)

そこから何年かネット上でストーキングはされたが、全て無視。
気付いたら居なくなっていたので、そのうち彼も乗り越えたのだろう。

ものすごく酷いことをされたわけではないが未来が見えないので別れたい、といったケースは本当に難しい。

20歳になった私は、また一つ学んだのだった。



ちなみにこの彼と付き合っていた期間、パンクは私が居ない場で陰口というか彼への悪口(ぜってーあの彼氏くそキメェよwww的なやつ)をロリータや他の子に話していて、ロリータはのあちゃんが楽しい方を選べばいいよー!!と何でもかんでも後押ししてくれた。

楽しい方を選ぶ、か…。

意外とそれが一番大事なマインドかもしれない。


人間関係、無理して続けたってなんも良い結果にはならないんだから。

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次のお話
海外学生生活④ 男を天秤にかけだした頃

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のあメス
この前ふいにアイスカフェラテを奢っていただく事があり、これぞささやかだけど大きい幸せだぁ!と思いました。 なんだかいつもより美味しく感じました☕️ 誰かからカフェラテを飲ませて貰える分、明るく生きられる気がします。