なぜV系なのか?
昨日久しぶりに記事を書いた。
思った以上に反響があって嬉しかった。
今日はなぜ自分がV系バンドにこだわるのかを書いてみようと思う。
自分の芸能活動の始まりは2007年5月のKAT-TUNのコンサートのバックダンサーがスタートだ。
「KAT-TUNのコンサートを見においで」と某Jさんから直接家に電話がかかってきた。
行かないわけがない。
コンサートを見終わって楽しかったな!帰ろう!と思っていたら「楽しかった?じゃあ夜公演出る?」と言われてその日から所属となった。
出る条件は"1時間で4曲覚えること"
え?ダンスとかブレイクダンスしかやったことないんですけど...と思いながらもなんだかんだ記憶力の良さも味方して覚えてフルで出ることができた。
九州から唯一呼ばれてコンサートを見終わったら帰る気でいたので当然泊まる場所もなくぼーっとしてたらKAT-TUNと同じホテルに泊まることになり人生がもう何回ひっくり返ったかわからないような15歳だった。
そんな少年時代。
KAT-TUNがずっと好きでジャニーズに入ることが夢だった。
ただ自分には好きなバンドがいた。
GLAYだ。
ジャニーズで踊る毎日の中で自分は踊るよりもアクロバットでキャーキャー言われるよりも自分の歌詞と曲で人を感動させられる人になりたいと感じた。
それと同時にバックで踊るよりも自分をメインで見に来る人のために生きたいと思うようになっていた。
19歳まで続けたアイドル人生を自らやめた。
そして上京して実は1年間違う事務所で舞台俳優をしていた。
正直自分には全く合わず本当に楽しくなかった。
「やっぱり歌いたい」と思いアメブロで必死にV系バンドをしてる人にいいねを押しまくった。笑
そしたらすぐにメッセージが来た。
「よかったらV系のセッションしませんか?」という短い文章。
でも俺は他人の曲をあんまり歌いたくなかった。
それではジャニーズ時代にやってたことと変わらないからだ。
最初からオリジナル曲で対バンに出てみた。
もちろん誰も曲すら知らない。
最初のLIVEは渋谷REXで友だちをかき集めて11人。
最前には5人。
自分の無力さを知った。
それと同時に「ここから這い上がるんだ」という気持ちが誰よりも強かった気がする。
その気持ちが強すぎるあまりにメンバーとぶつかることも多く要領も良かったため、MV撮影と衣装制作以外はほぼ全て自分ひとりでできるようになってしまっていた。
それから事務所関係で精神的苦痛で死にたくなるほどのことが重なり一度V系バンドも歌うこともできなくなってしまっていた。
4年間V系から離れた。
でも戻ってきた。
理由は「まだ自分が思うような未来ではない」から。
あの大勢の前で踊る人生を捨ててまでやりたかったことがV系バンドでボーカルをして人に感動を与える歌を歌うことだったから。
一度離れてしまったお客さんには大変申し訳ないことをしたと思う反面、あの時V系から逃げていなかったら自分はもうこの世にいないと思う。
冗談ではなく命を狙われていた。
毎日死にたかった。
NAMELESSは成功しなかった。
でもV系に戻るきっかけのバンドになった。
そして今は人生最後のバンドになるであろうバンドのメンバーを探してソロ活動をしている。
きっとそれくらいV系が好きなんだと思う。
みんなV系が好きになった理由とかとは違うかもしれないけどV系が好きならそれでいいじゃないか。
誰かの好きを否定する人にろくな人はいない。
かつては俺もその一部だったかもしれない。
申し訳ない。
ただ人は強く思い行動さえできれば変われる。
V系が好きなんでしょ?
バンギャ楽しいでしょ?
それでいいじゃん。
友だち誘いにくいよね?
売れたら誰が見に来たとかも目立たないしみんな知ってるし誘いやすいよね!
俺も早くそうなりたい。
スタートが1万5000人という夢のような現実から始まってそこに向かう気持ちの強さと意識が高すぎるあまりに空回りしてしまうこともある。
ただ自分が1番わかる。
人が多ければ多いほどいいLIVEをしていい歌を歌ってる。
思い描いてた人生とは違うけど必死にもがきながらも近づいてるような気がする。
夢を追うことが夢じゃなく夢を見せることができるように頑張りたい。
V系からメンズアイドルはたくさんいるけどジャニーズからV系はたくさんいないはず。
きっと変な人だよね。笑
一度きりの人生。
あなたが信じる"本当に好きなモノ"は何ですか?
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NOAH