看取りは、命に向き合い、人生を知ることの始まり
母が亡くなって、もうすぐ2年になります。
今年の3月に、3回忌の法要を行います。
母が私に繋いでくれた道
看取り士
死について考える事は、自分の命について向き合うことです。
そして、ここがゴールではなかった。
命について考えるスタートだったのです。
何かもっと、気が付かないといけないのではないか?という思いに駆られ、色んな方のyoutubeを見ていました。
特に、『人は死なない』の著書で、東大の名誉教授•救命医をされていた矢作直樹先生のお話は私の琴線に触れるものでした。
また、自分の中に、『仏教には死のことを乗り越える智恵がある』と漠然と信じている気持ちがありました。
なのですが、今から出家にすることに対しては違和感を感じます。
でも、仏教の真髄を学んでみたいと言う気持ちがありました。
私たちは、いまだに血液を作ることはできません。
どうしてこの世に生まれ、死んだ後でどこに帰っていくのか?死んだら終わりなのか?
についても、普段は考えないようにして生きています。
私たちが学校で学んできた、ダーウィンの進化論も、大人になって考えてみると、本当にそうなのだろうかと思えてきます。
猿を見ていても、猿のままで、その後人間に進化していくとは思えないのです。
何かそこに、DNAに変化を起こす大きな出来事がないと、難しいように思います。
その先を知っていこうとすると、オカルト的な内容になる場合が多く、真実に到達することが難しくなります。
なので、そこを追求することはしませんが、私たちはなぜここに生まれて、死んだ後どこに行くのか?そのことに対して、生きている間に、自分なりの納得を得たいと思っています。
それは、小さい時から思ってきた疑問に通じることなのです。
長い間、お客様の心と向き合い、魂はあると信じることで、乗り越えられてきたことがたくさんありました。
人間は死んだらどうなるのか?
これはきっと私の人生のテーマでもあります。
だからこそ、看取り士という言葉に衝撃を受けたのだと思います。
この視点から、ブログを書いてみたいと思っています。
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