ユキちゃんの爆裂ロリコンファザコン偏愛章~①~
夏休みが始まる前の日でした。
私は"先生"に、自分のメールアドレスを書いた小さなメモを手渡しました。生徒も皆下校した後で、進路指導室には先生と私の二人しかいませんでした。「お父さんやお母さんにも、友達にも言っちゃだめだよ。先生クビになっちゃうから。」先生は悪戯っぽく笑いながらそう言いました。
この日を境に私は死んだと思っています。それと同時にこの日を境に私は生まれたとも思っています。
同級生は皆親切で友好的で明るくて、いじめも喧嘩も聞いたことが無くて"不良"と呼ばれる生徒すらもちゃんと授業を聞いている、嘘みたいに平和な高校に通っていた私は随分と退屈していました。
休み時間に繰り出される話題の多くは他クラスにカップルが出来たらしいだとか、テレビの話題だとか、アニメの話題だとかで、ニコニコ相槌を打ちながらも内心「どっちでもいいなあ」と思っていました。
そんなことよりも読みたての太宰治や谷崎潤一郎、村上春樹の話の方が高尚だと思っていたし、油絵や音楽の話をする方がセンスが良いと信じていました。私は背伸びをしたくて仕方のない普通の子供だったのでしょう。そんな具合だったのでなんとなく周囲の優しい世界からはぐれてしまって溶け込めず、いつの間にか昼食は美術室や渡り廊下で食べるようになり、話し相手は学校の先生達になっていきました。またその頃には退屈な授業には出ずに保健室で寝るようになっていたので、学年で一人だけ「保健室カード」が2枚目に突入していました。
先生達は勉強したてのノートを片手に質問兼雑談をしに来る私にはいつも親切で、好きな本を教えてくれたり、お菓子をくれたり、頭を撫でてくれたりしました。段々と私は先生達の"お気に入り"であることに充足感を感じるようになり、特に年配の男性教員達に特別扱いされることを喜ぶようになりました。
どうすればもっと特別扱いしてもらえるのか。「友達がおらず体が弱い」「優等生」のイメージだけでは足りないと考え、私は敢えて校則を破って化粧をし、スカートを短くすることにしました。作戦は功を奏し、女性教員からは注意を受けたものの男性教員で何か言及してくる人は一人もありませんでした。むしろ以前よりも気軽に話しかけてくれたり頭を撫でてくれることが多くなったように感じました。先生達が以前にも増して構ってくれるようになったことに私は安心しました。「これで私より"お気に入り"の子はなかなか出来ないでしょ」。無意識に「女であること」を売りにしていました。
当時、父は単身赴任で家から車で9時間もかかる場所に住んでおり、私は母と新品のマンションに新品のグランドピアノと共に取り残されていました。私はそのグランドピアノが大層苦手でした。高校3年生になると同時に購入されたそのピアノが100万円はするということは知っていましたし、そのピアノが購入された以上私は母の望む音楽系の大学に進む以外の道は許されないと思っていたのです。「お父さんはなんでお母さんに言われるがままにこのピアノを買ってくれたんだろう。私は小さくて茶色い電子ピアノの方が好きだったのに」
しかしその問いを今更向けられた父が逆上するか落ち込むのか、その気持ちを考えると私は黙ってそのなんだか怖いピアノを弾くしかありませんでした。