ユキちゃんの爆裂ロリコンファザコン偏愛章~③~
「初めてを全部あげる」と言ったら、戸川先生はとても嬉しそうでした。大事にするからね、だとか好きだよ、だとかもしもっと若い頃に出会えていたら、だとか、とにかくたくさん私に愛情らしき言葉を掛けてくれました。その愛情らしき言葉の端々から私は「初めて」とは恋人的な行為の諸々なのだろう、と推測しました。
でもそれって、その初めてって、好き同士で付き合った恋人がすることであって、私達のような教師と生徒が、それも孫までいる50代の教師と10代の生徒がすることなの?分かりませんでした。息が切れ、手元の携帯がよく見えなくなっていました。とんでもないことをしてしまったのかもしれない。
人を殺したらこんな気分になるのかな。
ふと肌でそう感じました。
次の日からは先生からいろんなことを質問されました。彼氏がいたことはあるのか、キスをしたことはあるか、性行為をしたことはあるか、自慰行為をしたことはあるか。問診のように次々投げ掛けられる問いに、私は正直に答えていきました。ひとつだけ、キスをしたことはあるかと言う問いにだけは「無い」と嘘をつきました。本当は中学生の頃に当時の恋人としていましたが、経験が有ると答えたら先生にどんな反応をされるのか怖かったのです。「処女信仰」とでも呼べそうな先生のほんの少しの狂気の香りを、私は本能的に感じていたのだと思います。
卒業するまでは性行為はできない。だからそれまでは他の男と接触をしないでほしい。卒業までは一緒に少し性的なものに慣れよう。戸川先生はそう言いました。在学中に直接生徒に触れるのは法律上いけないので、メールや電話で自慰行為を教えると言うのです。私の頭の中は恐怖と違和感と罪悪感とでぐちゃぐちゃになっていました。先生に「初めてをあげる」と言ったときの少しの好奇心や淡い期待など、とうに消え去っていました。しかしその反面で先生が毎日掛けてくれる愛情らしき言葉には幸福を覚え、その言葉を求めてさえいました。
私は先生から自慰行為を教わるようになりました。明確には、先生からメールや電話で指示されながら、時には求められた写真を送りながら自慰行為をするようになりました。先生はその行為の最中も終わった後も、たくさんたくさん私を褒めてくれました。「可愛いね」「綺麗だね」「好きだよ」その言葉たちは麻薬のように日々渇いた私の心に浸透していき、気付いた頃には甘ったるいそれらの言葉無しでは自分の足で立っていられない程になっていました。私は戸川先生に依存していました。
甘い言葉を掛けてもらうために、私は不自然な自慰行為を誘われるままに行い続けました。私はもう戸川先生から離れることはできないと思いました。
それでも先生の家庭や自分の親に対する罪の意識やこの名前のつかない関係性についての不安は強く、戸川先生にそれを訴えかけることも多々ありました。その度に先生は「先生とユキだけは世界中で特別な関係だから」「どんなことがあってもユキが大好きだし離れないから大丈夫」と言ってくれました。その度に私はその言葉を信じ切り、安心して眠りました。
戸川先生に依存しながらもこの状況に疑問を感じるという矛盾を抱えたまま夏休みは終わりました。久し振りに直接戸川先生と何事も無かったかのように顔を合わせ、内心大混乱しながらトイレへ行って携帯を開くと、「なんかドキドキするな😉」とメールが来ていました。この人が罪悪感も恐怖も感じていないのはどうしてなんだろう?私は不思議に思いました。
その頃から自分と戸川先生のような関係性の例は無いのか、どうしてこんなことになったのか、このような関係性を生み出してしまったら最後はどうなってしまうのか、そのヒントを探すのに私は小説を手当たり次第読み漁っていました。太宰治、谷崎潤一郎、灰谷健治郎、江國香織、川上弘美、……少しでもヒントをくれそうな作家の本は読めるだけ読みました。しかしそこには破滅的な未来か非現実的な未来しか見えませんでした。倫理観に欠けた恋愛の物語の結末には心中や自殺の結末が余りにも多すぎました。
怖くなった私は自分の頭の中にほんの僅かに残った倫理観を納得させるため、自分が引き起こしてしまった現象に名前を付けました。
「性教育」