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病んだ人は逃げ時が分からなくなる。なら最初から戦地に飛び込まなければいい

一人で喫茶店に入るときは大概満身創痍な気がする。普通にご飯が食べたかったり本が読みたかったり何なりかんなりで入ることもあるのだけれど、なんとなくいつも、喫茶店に行く時点で満身創痍。喫茶店のことを防空壕か何かだと思っている節がある。だから、基本どこで人とバッタリしてもいいタイプの性格だけれど喫茶店でだけはバッタリしたくない。したことないけど。ていうかバッタリしないような店と座席を意図的に選んでいるのでこれでバッタリしたら諦めて仲良くなるしかない。

そんなわけで私は今満身創痍で喫茶店にいる。ハローワークに行っていたのだけれど、ハローワークから出て5歩くらい歩いたらもう自分がどこにいるのか分からなかった。迷子でも比喩でもなく、純粋にどこにいるのか分からなかった。泣きそうになった。友達に電話しようかとも思ったけど、格好悪いからやめた。それで、とりあえず適当に歩いた。噴水の水をモロに浴びたりデカイ声で歌ったりコケたりしながら滅茶苦茶な道順を行くと、なんか知らんけどあっちの方に行きつけの喫茶店が見えた。でも火曜日定休だった。今日、火曜だった。適当に知らんビルのカフェを覗いたらマスターとお客が喋ってたので、やめた。今喋りたくない。で、なんとか、知ってる防空壕にたどり着いてこんな文章を書いている。私のお約束ごとに「満身創痍になりそうな外出はなるべく火曜を避けるべし」があるのを完全に忘れていた。

満身創痍になったのは誰のせいでもなく、強いて言うなら私のせいで、でもやっぱり誰のせいでもない。簡単に言うとかなり勇気を出してカイシャに履歴書を出すと決意してハローワークに来たのにまた悩んで出せなくて帰ってきちゃった。それだけ。健常者的な立場の人からすればそのくらいで何だよって話だとは思う。でも、一度なんかしらの形でカイシャで病んでしまった人、病気になってしまった人としては結構なことだ。

そもそもカイシャで病んだ後に精神疾患とされてしまった人にはまず「一般雇用」で働くか「障害者雇用」で働くか、という壁が現れる。完全に体の状態心の状態がどちらかに振りきっているもしくは絶対にこっちでいきたい、という意思がある人にとってはそれは壁にはならないかもしれないけれど、ここで悩む人も多いのではないかと思う。一般で働けるのであれば一般で働いた方が選べる職の幅も広いしお給料も人並みにもらえる。しかし一度病んでしまった人間が健常者とされる人達と共に健常者ムーヴをかますのは体にも心にも負荷がかかるであろう行為なので、それを分かっていながら飛び込むのは結構勇気がいる。障害者雇用で働くのであればある程度自分に無理をさせない働き方ができる可能性が高くなるが社会的に「障害者」であることを自分で認め、更に社会から「障害者(よく分からないが頑張らせ過ぎてはいけないらしい人)」に振る仕事を振られる可能性が高いので、やりたいことができるかどうかという部分で疑問は残る。しかも障害者雇用で働いているのにカイシャの理解が得られず一般雇用と同じく健常者ムーヴを求められる、一度障害者雇用で働くとその先も障害者雇用で働くしかなくなる…などというちょっとおっかない話もよく聞くので悩んで当然だと思う。私はというと、一般雇用の正社員または契約社員でのみ就活を考えていた。フリーランスも考えていた。そのあたりのことを精神科の先生に話すと障害者手帳を取って障害者雇用で働くという手段について説明され、ショックを受けた。障害者手帳にも障害者雇用にも偏見は無いし、この先必要ならばその選択を取る可能性ももちろんある。 けれどそれは今ではないと思っていた。私は無理をすれば健常者ムーヴかませるから一般就職で大丈夫、と思っていた。けれど、その「無理をすれば」って、どのくらいの無理?前回あなた、最終的に首吊ってませんでした?それを思った瞬間、急に自信が無くなってしまった。

無理をし続けた人は、逃げる力が無くなる。

それを、忘れていた。私は無理の止め時がよく分からない。多分、もしもカイシャに入れて平日9時5時で働くような生活が始まったとして、そこで自分にとって耐えきれない負荷がかかったとしても私はカイシャを辞めないんだと思う。辞め時は自殺未遂。そこまでいかないと、多分辞めない。つまり、私にとって就職は命懸けなんです。前回たまたま生きていただけで次は死ぬかもしれない。よく辛いなら辞めればいいと言う人がいるけれど、病んでしまった人にとって「カイシャを辞める」という決断と諸々の行動はそう簡単に取れるものではない。そして退職する決断と行動が自分の意志で行えなくなるレベルの鬱に、人は結構簡単に陥る。

そういうわけで私はカイシャに対する認識を改めようとここしばらく奮闘していた。不思議なことにバイトなら辞められる。1日で辞めたりする。これも健常者的な人からしたら常識がないとかなんとか怒られそうな話だけれど、バイトは責任が無い。自分がその時持っている仕事に対してしか責任がない。だから、その仕事の責任だけ果たせば電話1本入れて急に逃げてもまあ、いいんじゃないかと思っている。でも社員になると…どうにも、責任が多くなる。当たり前だけれど。そして私はカイシャのためじゃなくカイシャから見たところのお客のために、その責任をぶん投げることが基本的に出来ない。社員になるとまあ大体は上司とかもできる。私は上司に迷惑を掛けることをしたくない。病まれて死なれる方が迷惑なのはまあ分かるけど、出来ることなら期待以上を出したくなる。だから、基本的に上司をぶん投げることもできない。……色々考えて認識も改め気味で頑張ってみたんだけれど、やっぱりカイシャはどうしても「入ってみなきゃ分からない」。だから、私もこう考えるしかない。「ヤバイと思ったら即辞める。できる限り頑張ってみる。でも、引き際の見極めをミスったら死ぬ可能性もある。」

というわけで今日、死んだらそれまでよ!という強い勇気でハローワークに行った。何度も言うが健常者的な立場の人から見たらアホなんだと思う。実際私は相当アホなのでそう思ってもらって構わない。で、着いた瞬間、やっぱカイシャに今命懸ける必要あるか?と思ってしまった。というか、今後私が落ち着いてきたら命懸けじゃない働き方もできる可能性はあるのに、なにも今すぐ戦地に飛び込む必要ってあるの?と。で、「すいませんちょっと求人探させてください~」とかなんとか言って2時間くらいパートの求人を見ていた。何度も言うけれど私はバイト・パートならすぐ逃げられる。もちろんちゃんと頑張るけど、ダメだったらマジですぐ辞める。だからパートの求人を探した。

すると、履歴書出そうとしていたカイシャでやってることと似たようなことをやってるカイシャのパート求人が何件か出てきてしまった。そして、私は「ありがとうございました~」。……帰った。で、どこにいるのか分からなくなって、防空壕に来た。アホなのかもしれない。

ここで私が広く広く言いたいのは、「カイシャで病む人はカイシャで働かなくてもいいんじゃない?」だ。書き始めたときは最終的にこんなこと言い出すと思ってなかったんだけど、真理だと思う。カイシャで正社員やったら病むような人は、パートで働けばいい。フリーランスで働けばいい。それだけのことなんだと思う。どうしても今のところカイシャの人が多めの日本としてはカイシャインがスタンダードっぽくはあるが、なにもスタンダードじゃなくていい。カイシャでおかしくなるくらい病むなら向いてないんだよそれきっと。

そして一般雇用でいくか障害者雇用でいくかみたいな話は、本人がどういう働き方したいかだけで決めればいいんだと思う。そもそも「障害者雇用」とかいう制度がある時点でおかしくない?そりゃ障害者にとって必要な制度だけど、制度として必要になっちゃう社会がまずおかしくない?健常者も障害者も個々でやれること見つけて共生して働けるならそれでいいんだし、わざわざ障害者だからうんたらとか言わんでもその人の特性として知っておけばいいだけの話なのにね。「こいつは身体が弱いらしい、体調崩さないように調整しよう」「こいつは覚えるのが苦手らしい、暗記系じゃないことを頼もう」「こいつは外に出れないらしい、家で仕事してもらおう」「こいつは体力が自慢らしい、力仕事を頼もう」こんなんでどうです?これでいいと思うんだけど。

ところで昨日セーラームーンを最終巻まで読破する中でセーラームーンが死んだ仲間と愛する人を取り返すためにデカイ敵に身投げするシーンがあって、私は一瞬「自己犠牲」かと思ったんだけどどうも「自分が敵の中に入り込んで敵をも包み込むことで全てを浄化する」行為だったんじゃないかと思います。

まあそれはそれとして。
次回は現在ニートであるところの私と親の共生について考えてみようと思います。さよ~~なら~~

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