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リセットボタン押してあげる

小さい頃、小さなパックマンのゲーム機を引っくり返すと爪楊枝で刺さなければ届かないような「リセットボタン」があった。たしかたまごっちにもあったし、シナモンとお喋り携帯にもあったと思う。ボタンを押せばこれまでの楽しかったボクたちの思い出は一切合切無くなりますよ、さよなら~というものだ。リセットボタンを押すと、彼らの記憶が消えてしまう。消えるのは、悲しくて寂しい。でも、時々えいやっと押したくなってしまう。そして押したら後悔するのかというとそれが案外そうでもなく、「押しちゃったわ~。ま、また最初から行きまっか」となる。これは出来心とも魔が差すともまた違う、「リセット癖」としか呼べない謎の感情だ。

私のリセット癖は手の平サイズのゲーム機のみにとどまらず、人生にまで及んでいる。最近になってとある文章に出会ったことでようやく気がついたのだけれど、何においても、途中で特に意識もせずリセットボタンを押しているっぽい。本人にもタイミングや理由はよく分からない。多分、飽きちゃったとか、好奇心が他に移ったとか居心地悪いとか、そんななんだと思う。とにかくコロコロ変わることこの上ない。気分屋、飽き性、…聞こえが悪いなあ。

まず、洋服に一貫性が持てない。清純派で通しているつもりが気付いたらヒッピーになっていたりする。久し振りに友人一行に会う際などは、私がロリータで来るか金髪ヒッピーで来るかで賭けが行われる。自分が毎日同じような見た目であることに飽きてしまう。私にとっての洋服髪型メイク等はある種全てがコスプレのようなものだ。「型」を見つけることができない。というか、あまり見つける気もない。その日の気分に合えば何でもいい。毎日リセットかましている。

映画や本の趣味も一定の時期を過ぎるとガラッと変わる。ボルダリングにハマって人を巻き込み通い詰め、数ヵ月後突然ボルダリングをパタッと忘れて編み物に取り憑かれたりする。昨日までボルダリングのことBって呼ぶくらい大好きだったのに。いきなり人に「ボルダリング行こう!」って誘うくらい愛していたのに。まるで昨日とは別人のように違うことに没頭し始めるが、人格は一つだ。そんなわけで基本的に「○○オタク」になることができない。浅い引き出しはなかなかの段数を誇るが、そのどの段も特に精通しているわけではない。精通する前に興味が他に移ってしまう。もう自分で押しているのではなく誰かプレイヤーがいて勝手にリセットボタン押してきてるんじゃないかとすら思う。精通したいわ~といつも思うけれど、なんか一生無理な気がする。

仕事も今のところ、1年続いたためしが無い。大学生の頃のバイトはほとんど1週間程度の単発ものを選んでいたし、100円ショップも養護学校も半年で辞めてしまった。就職した先の販売職も1年足らずで鬱になって辞めた。就職先に関してはリセットというよりゲームオーバーなのでそこは置いておくとして、私は半年以上同じ仕事が出来ない可能性がある。というより、半年以上同じ「役」を出来ないのかもしれない。私の主観として仕事は常に演技の色を帯びている。常にそこに求められる誰かを演じている。店員さん役とか先生役とか……そこに「店員さんの私」「先生の私」を代入できればいいのだろうけれど、本気を出せば出すほど、完璧を目指せば目指すほど私とは別のクローン的なものが成長していく。私は今、クローンを発生させない働き方をめちゃめちゃ探している。リセットせずとも働き続けられる方法がどこかにあるはずだ。無ければ、リセットしながら働ける方法がどこかにあるはず。

人間関係も定まらない。さすがにこれに関してはリセットまではあまりしないが、1つのグループに留まるということはまず出来ない。どのグループにも全身まで入りきれずに、なんとなく片足ずつあちこち突っ込んでふらふらしてしまう。だから会社内の派閥、とかそういうのがあると困ってしまう。全ての派閥に片足突っ込むか、孤独を堪能するかの2択になる。そもそも会社というでかい派閥自体が苦手だったりもする。会社で「じゃあ今日から全部リセットしまーす」とか言うと多分大体の人がぶちギレるんだろうな。あ、吹奏楽部とかもキレそうだよね。

グループ、または派閥で行動すると「役」が発生してしまうことになる。あるときは真面目で誠実な人間を、またあるときは突飛で場をぶち壊す人間を、人は求める。あるいは、私には求めているように見える。それで、無意識に演じる。演じると、もっと求められることとなる。相手の欲しい言葉を出そうとしてしまう。自分で演じておいてそれは私の求める人間関係ではないのでさっさと離脱する。そんな感じなので長い付き合いの友人は「個」って感じの人が多い。個と個の付き合いである限りあなたはあなたであり私は私だ。演じる必要も無ければリセットする必要も無い。私はこの「個と個」に希望を持っている。「個と個コミュニティ」でやっていく限り、リセットせずいい感じに生きていけるかもしれない。

そして人間には大きなリセットイベント「死」がある。自殺する人の中の数%は、リセットしたくて死ぬんじゃないかと思う。死んだら天国に行くとかもある種のリセットじゃないかなぁ。死んだら変身!みたいな話だから。生きるのが辛くて辛くて終わらせたい!とかもリセットというかゲームオーバーというか、なんかそんな感じなんだと思う。私も、リセット人間なのでリセット死を考えたことは、ある。でも別に死ななくてもリセットする方法はいくらでもあるからどっちでもいいんじゃないかと思う。遠くにいってしまえばいい。持っているものを全部捨てればいい。なんなら戸籍とかも捨ててみればいい。死んでもいいけど、リセット死を撰ぶならちょっと他のリセットも試してみたいところよね。

話しは逸れるが大昔、即身仏になるために生きたまま自ら地底に埋まって読経しながら鈴をカンカンやったお坊さん?が結構いたらしい(今は自殺扱いで禁止っぽい)。鈴カンカンが聞こえなくなって3ヶ月ほどが経つとミイラ的な状態(即身仏)になって地底から引き上げられ、祀られるそうだ。これもリセットですかね。レベルアップ?いやこれは信仰し続けた結果だから少なくとも飽き性とか気分屋とかではないか。ごめんなさい。とりあえずあんまやりたくないなあ、と思った。

リセット人間にリセットせずに済むような計画性を持てとか好奇心を持続しろとか言っても、無理なんだと思う。少なくとも私は多分無理だ。1度入った会社には少なくとも3年は勤めろ論すら意味がわからない。ダメな会社はダメなんだからさっさと離れればいいと思う。

リセット人間は別に悪いことじゃない。引き出しの段数が増えるか即身仏になるかの違い、ただそれだけ。こうなったら誰よりも浅い引き出しを積み上げてやろうよリセット人間。誰よりもいろんな人をちょっとだけ見て誰よりもいろんな趣味をちょっとだけかじろうよ。知らんけど。

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