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「やりたい」と「やらなきゃいけない」の差を埋めるためには/「TO BE思考」と「TO DO思考」についての覚え書き
こんにちは、シマヤです。
見てくださっている方、スキをつけてくださる方、いつもありがとうございます!
今回は、「TO BE思考」と「TO DO思考」についての個人的な覚え書きです。
わたしはこれまで、「TO BE思考」を取り入れるための手帳である「pure life diary」の使い方についての記事をいくつか書いてきました。
ちなみにわたしがpure life diaryを使い始めたきっかけについては、最初のこの記事↓で書いています。
↓そしてわたしの個人ブログでも。
使い始めて4ヶ月、記事でも紹介したようにわたしなりの使い方に沿って書き込んではいるのですが。
どうしても根本的な部分で、「TO BE思考」と「TO DO思考」について思うところがあったと言いますか…。
もちろん、言わんとすることはわかります。
「TO BE思考(リスト)」は「在りたい自分」から考える行動。
「TO DO思考(リスト)」は「やらなきゃいけない」から考える行動。
ここまでは良いのですが。
でも実際、「やらなきゃいけない」ことってどう足掻いてもありますよね??
経済的事情、家庭の事情、さまざまな個人的事情がある中で、こらえなきゃいけない場面、妥協しなきゃいけない場面って絶対にあると思うんですよ。
何もかも自分の好きになんて、物理的に出来るわけがなくて。
職場に苦手な人がいたとしても、仕事をしなければならない以上その人とも顔を合わせたり会話をしたりしなくちゃいけないし。
職場に行くためには、ぎゅうぎゅうで窮屈な満員電車にも乗らなきゃいけないし。
疲れていても熱があっても、家族のために料理だって作らなくちゃいけない。
そんな「やらなきゃいけないこと(TO DO)」って、大なり小なりあると思いませんか?
そう考えると、ぶっちゃけ「TO BE思考」も結局のところ理想論では…?なんて感じてしまうこともあると言うか。
もちろん簡単な内容であれば「TO BE」にシフトできることも中にはありますが、本当に「こう在りたい」と思うことほど、「(でも難しいよね…)」という気持ちがどうしても拭えないと思うのです。
「苦手な人が一人もいない、好きな人だけがいる環境でのびのび働く!」
「家賃(やローン)を気にせず、自分と家族の通勤通学が楽なところに住む!」
「疲れてたり熱がある時は家族に家事を代わってもらう!(あるいは、家政婦さんを雇う余裕を持つ!)」
「でも、難しいよね……」と、思ってしまいませんか?
「在りたい自分」について考えた時、まずパッと思いつくのは「現状の不満に対する解決策」だと思うのです。つまりは「理想のスタイル」。
もっと給料のいい仕事に就きたいとか。
理想の人と結婚して夫婦円満に暮らしたいとか。
スリムな美人になりたいとか。そんな感じのやつ。
でもそういうことほど、実現までには当然時間がかかるわけで。
そもそもがすでに疲れ切っている現代社会人のわたしたちは、時間をかけて人生を良くする気力すら失ってしまっていることも、往々にしてあるのではと思うのです。
じゃあ、結局どうすればいいのか?
実は「TO BE」にも2種類あるとのことで、それは
変化していくTO BE
取り戻すためのTO BE
なのだそう。
わたしはこれを聞いてちょっと腑に落ちたんですよね。
前述した「もっと給料のいい仕事に就きたい」とかは、どちらかと言えば「変化していくTO BE」ですよね。
つまり、現状を変化させて「在りたい自分」になろうとすることであり。
では、もうひとつの「取り戻すためのTO BE」とは?
わたしは「発想の転換」だと解釈しています。
例えば身近なこととして、ガスコンロが汚れていて掃除をしなきゃと思い続けているとします。
でもガスコンロの油汚れって頑固だし、それを掃除するのってすごくめんどくさくて時間もかかる。
休みの日とか時間のある時にやらなきゃ…と思いつつ後回しにしてしまう…でもガスコンロが目に入る度に「ああ掃除しなきゃ…」と思い続けてしまう…。
あるあるだと思いますが、これはつまり「TO DO思考(やらなきゃ)」の考え方ですよね。
そこでまず、「わたしはなぜガスコンロを掃除しなきゃと思っているのか?」という理由を探るのです。
なぜ「ガスコンロを掃除しなきゃ」と思っているのか?
↓
汚れているから。
↓
なぜ汚れていると「掃除をしなきゃ」と思うのか?
↓
料理をする時に汚れたガスコンロを使うのは何となく気持ちがよくない。
やな感じがする。すっきりしない。
↓
綺麗なガスコンロで気持ちよく料理がしたい
つまりこの「綺麗なガスコンロで気持ちよく料理がしたい」というのが、「自分の在りたい姿(=自分が本当に望んでいること)」なのだという発想の転換ができるわけです。
それに気づくと、「綺麗なガスコンロで気持ちよく料理するため」なら掃除もやる気が出てくると思いませんか?
だって掃除をすれば「綺麗なガスコンロで気持ちよく料理をする」ことが確実に叶うと自分でわかっているわけですから。
更に言えば、「綺麗なガスコンロで気持ちよく料理をする」ために、普段からこまめにチョイ拭きをして綺麗を保とうとするところにまでやる気が出てくるかもしれません。
だって普段からちょっと拭いておくだけで、「綺麗なガスコンロで気持ちよく料理をする」ことが大した労力をかけなくとも続くとわかっているわけですから。
まさに「在りたい自分」への相乗効果とも言えるかもしれません。
こんな風に、「とにかくやらなきゃ」に追われて見えなくなっていた「こう在りたい」を取り戻していくのもひとつの形なのだと、最近になってようやく気づきました。
無理して新しいことを始めなくとも、立ち止まって現状の見方を変えるだけで在りたい姿になることができるのでは、と。
何も「TO BE」って理想を思い浮かべるだけじゃないんですよね。
日々どうしても発生する「やらなきゃ」や「こうしなきゃ」(=TO DO)について一旦立ち止まって考えてみて、「なぜわたしはこれをやらなきゃいけないのか?」と自問してみる。
そこで見つかった答えが「自分がこうしたいから」なら、その「やらなきゃ」は間違いなく「自分がこう在りたいから」(=TO BE)へと変わっていくし。
逆に見つかった答えが「勝手に自分の首を絞めてたな…」といったことであれば、勇気を持って手放すことが「在りたい姿」(=TO BE)になるだろうし。
結局は視点を変えながら自分を見つめ続けることが、「TO BE思考」という考え方なのかも?……という覚え書きです。
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