『デトロイト・メタル・シティ』から考える才能と需要

大好きなバンドのボーカルが時々ソロ活動をしており、年末そのライブに行く機会があった。生で見るのは初めてだったので、楽しみにしていた。
いよいよライブが始まり、1曲目を聴いてあれ?と思った。なんか違う、と。次の曲に移るたびに、その違和感はどんどん強くなっていく。
要するに、私がそのボーカルに求めていたのはバンドの時の雰囲気であり、ソロでは全くその雰囲気が無かったのだ。その人がバンドを離れてやりたいのはこういうことだったのだと思った。中盤で1曲だけ、バンドの雰囲気に近い曲をやってくれた。このままこの感じが続いてくれと心の中で強く祈ったが、次からはまた元の曲調に戻ってしまい、最後までそのままだった。
MCでその人は「今日は喉の調子が良くて最高のライブだった」というようなことを話した。本当にその通りなのだと思う。でも私の聴きたかった音楽ではなかった。そもそもバンドとソロで同じものを求めていた私もおかしいのかもしれない。しかし、「バンドとは違うけどこれもまたいいね」と思える音楽ならそれで良かったのだ。そういう風にも思えなかったから、私は失望してしまったのだ。

帰り道、この感じは前にも味わったことがあるような気がして、思い出したのは昔読んだ『デトロイト・メタル・シティ』というギャグ漫画だった。主人公の根岸君は、小沢健二やカジヒデキやカヒミ・カリィのようなお洒落なアーティストを目指しているのだがそのジャンルでは鳴かず飛ばずで、なぜか対極にあるデスメタルバンドのボーカル兼ギタリストとしてものすごい才能を発揮する。その落差が面白いのだが、実際音楽業界では似たようなことがわりとあって当人は悩んだり苦しんだりしているのかもしれないと、その日のライブと重ね合わせてつくづく思った。
やりたいこと、やれること、やらなければならないこと、周りがやってほしいと望むことは往々にして違う。この中のどれか2つが一致しているだけでも奇跡のような幸運なのだろうし、もし全てがバラバラだったらとても不幸だ。そんな不幸は、『デトロイト・メタル・シティ』のように笑いに変えなければやっていけないのかもしれない。

家に帰って、ライブで観たその人のバンドの曲を口直しをするようにひたすら聴いた。やっぱりバンドのほうがいいなあと思いつつも、少し悲しかった。

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