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やさしいお産

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「やさしいお産」

もくじ

はじめに
レミのお産記録①青森でのはじめてのお産
レミのお産記録② バリで水中出産を選んだ理由
やさしいお産といじわるなお産
お産にまつわるエトセトラ
五感をだますお産のための実践ワーク
感じきる、お産
おわりに

はじめに

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自分のことを好きな人も、嫌いな人も、どうとも思っていない人も、

自分の中に自分ではない別の命が宿ることによって、

自分の形がすごくはっきりすると思います。

自分のことをよりはっきりとクリアに感じることが出来るのがお産の時期

この時期を通して、

自分のことを新しい視点で見直せるきっかけになると思うので、

その新しい視点を手に入れるって

自分のことを最初から好きだった人

さらにわくわくや楽しみが増えていきます。

嫌いだった人は、

自分が生きているだけで新しい命を生みだせるんだ!

という、何でも無い自分の価値に気がつけたりするはずです。

自分のことをどうも感じていなかった人も、

いままで好きではなかったものが急に食べたくなるとか

急にイライラしてしまったりとか

過去のことを思い出してしまったりとか、嗅覚だって敏感になるし、

そういうことを通して、人とは違う

「自分の枠線」がはっきりと見えてきたりします。

新しい自分探しの旅

おなかの中に宿ってくれたこどもが連れて行ってくれるのです。

妊娠、そしてお産の時期は、自分が主人公になって楽しめる期間なのです!

このお産を「やさしいお産」にすることによって

私はものすご~く変わりました!

今まで「私は強い」「私は全然大丈夫」「私は我慢できる」

と思って生きてきたけど、

お産の時期を通じて「いやいや、強くない、痛いし」

「具合悪いし、無理なもんは無理なんだって」ってはっきり言えたこと。

我慢しないで、自分の感覚を認める喜びは、

つわりがあるからこそ分かったし、

辛い!嫌だ!NO!という気持ちも分からないと

自分って言うものが見えないのです。

自分の好きなものだけ分かっていても、

嫌いなものや不快なものが分かっていなかったら

自分の半分はぼやけた状態。

人とは違う、自分だけの嫌いなものや感覚が分からない⁈

そして、自分だけの感覚をそのまんま受け入れていないと

「なんでわたしだけ違うの?」っていう気持ちになってしまう…

人と違うから楽しかったり面白かったりするのに、

その違いを受け入れられないと嫉妬・妬みとかになるんだよね。

違いがあるからこそ、こんなに世界は美しくって楽しくって、

違うもの同士の化学反応が起きていろいろな新しいものが生まれていく。

自分にやさしくなれることで、

自分を自分自身で受容することによって、自分のことが分かってくる。

だから、この記事(本)のタイトルは『(自分に)やさしいお産』

(自分に)←ここが大事なのです。


自分にやさしいお産をすることによって、自分を認めて人のことも認めて、楽に楽しく生きられるような気がします。

あなたをもっと感じて、あなたにもっとやさしくして、

あなたをもっと愛して、あなただけのお産をしてね。

その愛はかならず赤ちゃんへ繋がっていきます♡

この記事を見てくださっているあなたとの出会いとその奇跡に感謝します。

2020年12月21日 

レミ  

(編集・協力)Pomme pomme


レミのお産記録①

青森でのはじめてのお産

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はじめてのお産。

第一子は日本の青森県で産みました。実家の近くには青森県唯一の助産院があったんだけど、予約がこみあっていて、市民病院で産むことになったの。病院では《院内助産院システム》というのがあって、検診と助産師さんの検診もダブルで受けて、問題が無ければフリースタイルで出産を迎えられますよということでそこに決めました。

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八重(一子目)が生まれる前日に携帯で撮った一枚

助産師さんからは「何をやっているのですか?」「何を食べているのですか?」といわれるくらい健康で何も問題がなかったのだけど、いざ出産を迎えると…

陣痛を迎えるたびに胎児の心拍が下がってしまって分娩台に移らなければいけないことに!

分娩台に移るのは、もう少し待ってほしかったのだけれど…。

そして、最終的にお産は4時間かかりました。

出産時にはお医者さんや看護師さんなど沢山の方がいて、めまぐるしく常に人が入れ替わり、それぞれ挨拶をしてどんどん担当が変わったりして、正直、何が起きているのか分からない…というか、私はそれどころじゃないんですよね。点滴も始まったし、酸素マスクもしたのです。

「頭がでてきましたよ、いきんで」と言われていきんだのだけど、何回いきんだとか、そういう記憶も無いほどに意識が飛んでいて、「生まれましたよ」と言われた瞬間に、やっと私の意識が戻ってきたみたいな感じだった。

だから、お産を終えて我が子と対面したときに

”いったい誰が産んだの?”

というような感じだった。

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陣痛も出刃包丁で背中をさされているような感覚でした。痛すぎて、もう無言で歯が震えるくらい。本当に痛いときには痛すぎて「助けて」とか叫ぶことすら出来ないのですね。

そして「赤ちゃんですよ、はいっ」と渡されたときには「あ、なんか来た」みたいな感じだった。

そのあとのこと、つまり、産後の話なんて誰からも一度も何も聞いたことがなかったし、悪露(おろ)なんてあることをまったく知らなかった。子宮が元に戻ろうとものすごく血がでるんですよ。そして、産んだらすぐおしっこをしないと病室に移してもらえないとか。そうじゃないと「管を通します」といわれて、もう恐怖でしかなかった…もう半泣き状態でトイレによろよろと歩いて行き一生懸命かがんで便座に座り、ほんのちょろっと出て病室に移動できました。

膣の中がさけたので、お医者さんからは「縫いました」といわれ、それも”縫う”というイメージが頭から離れなくなり、トイレに行くのが物凄く怖かった。産後のおしっこが怖かった。

ちょうどインフルエンザが流行っている時期だったから、家族の面会も禁止。身体はぼろぼろの状態に、さらに孤独との闘い。

もう自分がいっぱいいっぱいすぎて、赤ちゃんのお世話なんてしていられない。

誰か私をお世話してよ…みたいな。もう辛くて、純粋に赤ちゃんを可愛いと思えない自分が辛くて泣いて泣いて。赤ちゃんもどうにかしてほしいから泣くし、私も泣きたい。とにかく辛くて。四泊くらいの入院が長くて、地獄のように感じ、自分と赤ちゃんが健康だったら早く退院させてほしいとお願いし、早く退院しました。

今思うと、身体が回復しなくて、心もものすごい波。鬱みたいな感じ。なんで赤ちゃんが心から可愛いと思えないんだろうっていう母親としての罪悪感との葛藤がありました。

それからは、毎月というもの、熱が出たり、調子が悪くなったり。

本当に辛くて二度と出産はしたくないと思っていたときに、第二子の妊娠が分かりました。(すごいタイミング!)

はじめてのお産のときの恐ろしいトラウマがあったから、もう二度とあんな辛い想いはしたくなかったし、こどもを純粋に可愛いと思いたかったし、『オーガズミック・バース』と言われるようなすごい気持ちいいお産と言うものがあることを聞いてはいたけれど、それも自分自身で体感しないと信じられないから、絶対次はそうしたいと思って色々なことを調べていきました。

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レミのお産記録②

〜海外での第⼆⼦目のお産〜

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市(二子目)妊娠8か月、マレーシアの離島にて


海外赴任先のマレーシアで第二子目を妊娠したときは、つわりがひどかったんです。それも、自分の本能や感覚にもっと従えるように、つわりがひどかったのだと感じました。 

ちょうどその時、お友達がバリに引っ越して、色々と調べていくうちに”ブミセハット助産院“の記事に出会いました。

直感的に「バリに呼ばれてる!!!」と思って、マーリー(主人)に話してみました。

もちろん、彼の仕事もあるし、現実的に難しいと言われたのだけれど、とりあえず見に行ってみないと気が済まない!と思って、バリへ行くことを決めました。


天国のような助産院

現地へ見に行ってみたら…ブミセハット助産院はとにかく開放的だった!

待合室が外(屋外)なのです。診察室と病室の間に小川が流れていて、蝶々も沢山飛んでいてお花もすごく素敵でそよ風が心地よい…。

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検診も体重や血圧、おしっこを検査するといった一般の病院と同じようなプロセスをふむのだけれど、ブミセハットの先生は「妊娠してどんな気持ち?」とか「どんな出産を希望しているの?」といった質問をしてくれたのです。

水中出産がずっと前からしてみたかったという話をしたら、ちょうど担当の助産師さんがブミセハットで水中出産をされた方で「本当にお勧めする!あんなに美しいお産はないわ。私が出来たんだから、水中出産をするのだったら私がサポートするわ!」と言ってくださったのです!

いままでだったら、私が”こういうことをしたい!”と希望をいうと、これには、こうこうこういうリスクがあるから危ない。そういうことを分かっていますか?ということをさんざん言われてきたから、思わず「え!?いいの???」「なんて素敵な場所なんだ~~~!」と思ったのです。

それで、検診のときもエコーは無くて、心音を聴くチェックがあるのだけど、先生は「Hello!Baby!」「赤ちゃん、かわいいねー!!!」なんて言ってもらえて、もう天国!!!?(泣)かと思いました。

そして、もうこんなに素晴らしい場所が地球上にあるのだったら、それだけでもう満たされた…!!!ありがとう!!!!と思って。もうどこで産んでもいい!!!と思えたのです。

そして、主人の希望はやっぱり家の近くの病院で産んでほしいということだったから、仕事のことで忙しいし心配をかけたくないという、いわゆる他人軸ですけど、そういうのがあって「もうマレーシアの病院で産めるわ」って思ってルンルンして帰りました。


私のホントの気持ち

マレーシアに帰って、ネットで病院のことを調べていくうちに、ご飯が”ゲロまずい”とか”乾燥したパン、乾燥したパン、乾燥したパン”という情報が出てきて…

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