少女の影は怪獣が如く
ぼくはおつかいを果たすべく夜見ヶ浜へ来た。
クラゲがわいた九月の海に、紫色の粘土を細かく砕いたような粉をまく。
粉末は荒波にさらわれることもなくその場で薄い膜を張り、ボコボコと泡立つ。
と、膜の内側から血色のよい鼻とくちびるが突き出し、目のあたりが落ちくぼんで、髪の毛が生えてきた。
すっかり人間の頭になると、ぼくの目と目が合った。
「お にい ちゃん」
その子は三年前に沖へ流された妹だった。
「おにいちゃん。おなか、すいた」
三年分伸びた髪と黒いワンピースを濡らしたまま、親指をちゅぱちゅぱしゃぶっていた。
「来華……!」
思わず後ずさって転げたぼくはどうにか声を振り絞った。あぶない。
海面のクラゲが来華に近づくと、黒い物影がばしゃりと水面を跳ねた。
ばしゃり。ばしゃり。
来華は口をもごもごさせながら、
「くらげ、おいしくない……」
と言った。
ふと気付けば、周りにいたクラゲの群れはひとつ残らず消えていた。
「クラゲを、喰ってる……」
ぼくは心配になっておそるおそる来華に近寄る。
「来華、だいじょうぶか? お腹痛くないか?」
「おにいちゃん」
黒い瞳がじっとこちらを見上げていた。
「おにいちゃんはおいしい?」
ぞっとして、僕は妹に向かってひどい顔をしたと思う。
そんなぼくの反応を見て、来華はわらった。
「なんちゃって。……ふふ。うふふ」
ぼくは背後に気を付けながら帰宅した。
次の日、ぼくは図書館へ本を借りに来た。
あの晩、来華はお皿に山盛りの刺身やからあげを手づかみでほおばったのに、パパもママも叱らずに、きゃあきゃあと喜んでいた。
ぼくは「いただきます」から「ごちそうさま」までのマナーを描いた絵本を手にする。来華に教えるためだ。
「ねえ、聞いてるの!? どうして来華が生きてるのよ!?」
「じつは生きてて、長い間入院してて、こないだ帰ってきたんだよ」
そう言えばみんなあっけなく信じたのに、幼なじみの隠岐だけは違った。
【続く】