ちょうのうりょくの裏事情 〜マインドシーカーアドベントカレンダー2024ライナーノーツ
あなたは特別だ、ということばのうさん臭さに眉をしかめつつも、人はそんなプライドにさえすがりつくもの。
マインドシーカーはその人心にすり寄ってくる。
しかしながら、この超能力開発ソフトには人の情念に寄り添う「こころ」がないという大問題があった。
下記に記すのは、そんな運命に束ねられた或る一人の動画投稿者の隠された深層である。
動画本編
奇祭ふたたび
前回の「ちょうのうりょく開発祭」からちょうど二年が過ぎた頃、かつての主催者が次の手を打った。
「マインドシーカーアドベントカレンダー2024」
12月1日からクリスマスまでの24日間、ひとつずつマインドシーカー動画が見られる投稿祭の参加を募るその動画を見た時点で僕の腹は決まっていた。
翌2日から参加のためにあれこれと考えながら行動を始めた。
まず学生時代にコンポジット端子のゲーム機を録画して実況動画を作りたいと、前もってビデオキャプチャーツールGV-USB2を入手していたことに加え、ROMカセットの実物を趣味のレトロゲームコレクションの節目(と、ちょうのうりょく開発祭が終わった今にしてふたたび目前に現れたこのソフトを手に入れる義務感)で購入していたため、後はソフトが動作する互換機・ファミレータを手に入れるだけで録画環境は揃えられた。
購入したファミレータは見たところカートリッジアダプタのピンが一本折れており、画面出力に少しばかり乱れが発生することがわかり落胆したが、楽天市場の中では平均よりも大幅に安値だったのでそういうものだと割り切るしかなかった。
むしろこれから始まる長期間の検証に中古ハードが耐えきれるのかどうかが気がかりではあった。それに関して言えば、録画・編集に多用するノートPCの故障やデータ消失の予防策もとらねばならなかったが。
一か月毎朝マインドシーカーしたら一日くらいエスパーっぽいこと起きる説
二年前に常人の一生分を優に超えるマインドシーカー動画を見た以上、初見プレイのようなみずみずしいリアクションはとれない。
さりとて、いわゆる◯◯劇場のような映像作品をつくる構成・演出の技量も足りていない。
そこで体当たりにも等しい検証動画のフォーマットを『水曜日のダウンタウン』様式にすること自体には、特に疑問を差し挟まなかった。
僕自身かの番組を見る機会は少なく、どちらかと言えばYouTubeの「野球バラエティ ぽけぽけ動画」における『実況パワフルプロ野球』を題材にしたパロディ動画のほうをよく見ているという具合だが、スタッフの「悪意」とも評されるどこか下世話な感じや、そうしたテレビマンの尊大で欲深い悪玉的なイメージも取り込むことに決めた。
とはいえ野球というスポーツを題材にし、その一年間のシミュレーションとしても実績のあるパワプロと違い、マインドシーカー動画の落としどころはたった一つ「やらないほうがマシだった」に決まっている。
とどのつまりマインドシーカー動画の真髄は理不尽な超能力開発の実態にプレイヤーが悶え苦しむ姿、あるいはそれすらも楽しみに加えてしまう「狂気」の姿、そしてマインドシーカーなるうさん臭い存在を許してしまったこの世界の不思議に対する「笑い」であり、そのサゲにたどり着く過程である。
だからこそ、TV番組のフォーマットとしての導入→検証本番→結果発表というゆっくりとした手順を幾分か省き、最初からフルスロットルで視聴者の目を釘付けにするべく、構成に知恵を絞ることとなった。この辺に関しては、某パルプ小説書きのメソッドも考えに入れている。
さあ、マインドシーカー気ちがいになりなさい
まず本当に31日間毎朝休まずにマインドシーカーをプレイすることが可能なのか、事前に「検証の検証」を試みた。
最初は、マインドシーカーという異物を少しずつ自分の日常に取り込んでいくことの拒否感との戦いだった。
「自分はふつうの人がしないだろうことを今しているんだな」という負の意識に加え、計測開始から丸一時間経過しても卒業試験を突破できないという理不尽さに下唇を噛み締めたくなる日も一度や二度ではなかった。
それでも透視と念力の点数が上振れ、なんとなく予知の発光パターンに目が慣れたと錯覚した(あるいは吸い付くように真ん中で連続発光した)時、結果を出してタイマーストップに手を置く瞬間のよろこびは「自分が始めた物語」のピリオドのようでもあり、緊張を脱し緩和したムードにたまらない感じを覚えた。
そして「このしんどさと楽しさを、しっかりと視聴者に伝えよう」と思った。
と、僕は当時のレビュー記事に書いた。
一般的にマインドシーカーと「狂気」ということばは隣合わせの関係にある。ちょうのうりょく開発祭のコメント欄でもしばしば「狂気」とか「狂人」の語を見ることがあった。
マインドシーカー動画投稿者のある種の浮世離れした感覚や理解不能な行動(力)に対して、狂っているということにすれば常識的な自分とは区別できてしまう。
超能力はトリック/ショーである。清田益章の超能力もウソである。だから超能力開発ソフトマインドシーカーも噓八百だ。
という三段論法は誰に何と言われようと大衆の常識であり、視聴者だって誰もマインドシーカーで超能力が目覚めるなんて信じながら動画を見てはいない。
「またあのクソゲーやってるバカがいるよ」
「また狂人が現れたか」
先ずそういうものであるがゆえに、本動画は「これはマインドシーカーを楽しんでプレイする精神異常者の動画なんだ」という視点をA層として、視聴者を納得・安心させるつくりにしている。
しかし「超能力はあるのか、ないのかはっきりしないところ」や「やった人にしかわからないマインドシーカーの奥深さ」という視点はそれよりも下のB・C層へ「わかる人」のために差し込んでいく、というふうな論理の階層構造へと導けるような動画を作りたかった。
「検証の検証」が三週間も経った頃、日常的にマインドシーカーをプレイすることについては少しずつ違和感が薄れていったが、反対に双極性障害に伴う気分の浮き沈みによって生活リズムが乱れ、数日間検証を中断せざるを得ない状況に陥った。
収録を予定した七月に向けて準備や調整を急ぎすぎた面も確かにあったが、本番においては一日でも休めば視聴者が興ざめするであろう姿が超心理学的でもなんでもなく予想できた。
そして動画内でひとつでも弱音を吐けば「お前が始めた物語だろ」という覚悟と責任を追及するネットミーム由来のコメントが乱れ飛ぶさまも、同様に想像がつく。
企画当初はなんでもなく「最低でも一か月」「長くても三か月~半年」は毎朝マインドシーカーをやるという見通しを立てていたが、モチベーションの維持やメンタルバランスの自己管理というものをあまりにもナメすぎていた。
仮に毎朝マインドシーカーが自分のお家芸になるとしても、そこでは無計画に中断と再開を繰り返すだらしない姿を見せることになるだろう。
しかしながら心の力で作用するといわれる超能力に、これほど真摯なこともないとは感じる。
のっとりあるCh.の開設
ここまでくるともうパラノイアだが、「これってヤラセなんじゃないか」という疑惑が動画の感想に持ち上がるのではないかという気がしてきた。
マインドシーカー動画は現代のアクションゲームほどの激しい動きや場面転換などがないので、もしもまったく同じ動画がニ度流されたとしても、気づかれない可能性はある。
というか、そんな不安を抱くコメントをあるマインドシーカー動画で目にしたところからこの疑心は始まっているのだった。
ネットミームとしてネタにはされているが「ザ・エンドってね」こと某氏のような不正RTAも横行する現代において、視聴者が見ているゲーム動画に不正はまったくないと証明する手段が必要だった。
「じゃあ、ちゃんと毎日録画データをYouTubeにアップしておけばよくね?」という結論に達するのはそう難しいことではなかった。もしかして31回より少ないのではという数の不安は実際の数で押し流してしまえばよい、と。
開けてびっくり玉手箱、という投稿祭参加動画本来のあり方に対して正しいのかはさておき、新設して登録者数の少ないYouTubeチャンネルの動画は実体験としてまっったく人に見られることはないし、加えて検索性の低いタイトルや概要欄にしておけば、よっぽどマインドシーカーに興味がある人間以外、このチャンネルにたどり着くことはできないだろうと考えた。
こうして現状マインドシーカー以外を取り扱わない世にも奇妙なYouTubeチャンネル「のっとりあるCh.」が生まれた。
チャンネル名の由来は、音声合成サービスCoeFontの「アリアル」をデフォルメキャラ「ありある(ひらがなありある)」としてメインに据えた関係で、「どこかで暮らしているアリアルの生活を僕が乗っ取ったことにしたらTSF的に都合がいいだろう」と考えたからである。
初めの案は非常識なことや非日常的であることなどを強調して「あんりあるCh.」としていたが、ほぼ同名のYouTubeチャンネルが存在したのでボツとした。
アイコンに使用したカメラのようなAI生成イラストは、Bing image creatorに生成プロンプトとは別の検索ワードが混じって偶然生成されたものを採用した。辛子色風のチャンネルロゴもフリーフォントからAviUtlでお手軽に作ったなりに気に入っている。
真夏日への扉
「7月いっぱいは朝活をする」という目標は立てたものの、本当に毎朝できるのか不安なので収録自体は6月からスタートすることにしていた。
しかし、6月初旬から副鼻腔炎と思しき症状にかかり、収録の開始は予定より一週間遅くなる。
念のため収録開始日の前日に録画のテストをしたところ、収録部屋から遠く離れた無線LANの部屋が暑さ対策を万全にはとっていないため、熱暴走で回線が切断するというアクシデントが発生した。
一応はインターネット回線がないと日時のカウンターやPULSOIDによる心拍数が表示できないため、毎朝2階に上がって無線LANの再起動と卓上扇風機をかけることになった。
つまり、日々の手間がまた一つ増えたのだった。
本番第一回となる通しRTA(参考記録計測)は結局5時間かかって終わりを見たが、Discordで画面共有しながらプレイしたためゲーム画面から目と手を離すことも多かった。
それでなくともトイレ対策に失敗して小用に立つという〝ガバプレイ〟もした。
朝食にゼリー飲料を選んだこと自体のミスもあったのだが、改めて長時間に渡るRTAでの体調管理の厳しさを学んだ。
初めてマインドシーカーを完走した感想は、そもそも最後のサイロックが開いたのをほとんど見逃している=ちゃんと最後まで向き合っていなかった時点で淡白なものにならざるを得ないのだが……まず、卒業試験を突破するのに1時間半近くもかかったことを反省したい。
RTA向きの「透視4点以下の場合リトライする」という点数の厳選まで行ったにもかかわらず、予知を外しに外し、何度も「いちたりない」状況に陥った。
それこそ未プレイ者にはオカルト以外の何物でもないはずだが、この日は「予知ができない日」だった。
試走で何度か体感した、赤いランプの点灯が指に吸い付くようなあの当たりの感覚が、まったく感じられなかった。最後に卒業を決めた瞬間においても、たまたまだという感じでしかなかった。
これが「本番の魔物」なのだろうかと思った。
逆にサイシティでのレベル上げは、Discordのチャット欄でおしゃべりしながらとはいえ、それほど苦には感じなかった。
攻略情報に基づいた経験値稼ぎをしている以上、多少ランダムエンカウントでポイントを減らされたとしても時間さえかければ着実にレベルが上がっていくからだ。
果てしなき超能力開発の果に
7月に入り、試走時に問題となった3週目も乗り越えることはできた。しかしながらこの時点で問題は山積していた。
まず第一に、相変わらずギブアップ(試験合格できないまま一時間が経過)は起こり、念力や予知は外れるということだった。
逆に「これはもう無理だろう」とパソコンへよそ見をしていたら予知が上振れを起こして合格していたなんていうことも起き(6/20、27など)、僕は「FC(互換機)に向かって念じる」というこの超能力開発ソフトの本来あるべき姿に対してかなり懐疑派になってきた。
僕は計測開始と同時刻にDiscord(「ファイナルマインドアルカディア」サーバー)へ入り浸っていたのだが、真剣にマインドシーカーに取り組んで苦しんでいる姿が見たい視聴者にとっての背信行為だと理解はしつつ、自ずと習慣としてそれを取り入れた。
それは「マインドシーカーを真面目にプレイしていると、この超能力開発ソフトが嫌いになる」からだ。
マインドシーカーを真面目にプレイするということは、透視・念力・予知それぞれの結果を真剣な気持ちで受け止めるということであり、当然よい結果が出なければ心理的ストレスや「なぜうまくいかなかったんだ?」という動揺を覚える。
しかし、マインドシーカーというソフトにそうしたプレイヤーと共感する「こころ」はない。挙句ちっとも合格点に届いていない試験結果に「もうちょっとだったね」と言い出す(不合格時の定型文がこれしかない)。
悪いのは自分のマインドレベルか? それともマインドシーカーか?
自分は悪くないと思ったとき、マインドシーカーが嫌いになる。
マインドシーカーの本質は、ただ無慈悲に疑似乱数を生成しプレイヤーのボタン入力を待ち続けることにある。
確率の偏向を疑うのはゲームユーザーの常ではあるが、前提としてプレイヤーの入力を見て成功確率を操作するようなインチキはしない。
疑似乱数との真っ向勝負……それは理不尽の極みであり、ある種の現実に等しいものとの対決だと感じられた。
その理不尽を超心理の力で任意に偏らせることができたなら、それは超能力だと考えられる。
しかし、目の前で起こっているそれが果たして僕の超能力なのか、マインドシーカーの気まぐれな疑似乱数が偶然に偏ったものなのか、誰にもわからない…………というか、この項を書いている時点でそろそろ試走も含めて一か月以上このソフトと向き合っている僕でさえも少しゲッソリしている。マインドシーカーの超能力開発というのはこんなにも、実効性が確保されずはっきりとしないものだったとは……。
よって僕は、真面目にこの超能力開発ソフトに取り組んではいない。
はっきりと「超能力はない」と否定すれば楽になれるかもしれない……あるいはその程度の常識にしがみつくマインドレベルだからその程度の力しか出せないという可能性にも思い至る。
それでも僕は、このソフトを好きでいたい(まったくの大嫌いではない、という意味合いだが)。低確率の壁を突破した時に感じる素朴な成功体験を、その事象の観測ごと僕が生み出したものであると信じていたいからだ。
……とはいえ、7月に入ってからの僕はおそらく「うつトンネル」に入っていたのだろう。何を見ても面白くなく何をしても楽しくなく、いっときの快感を求めてテレビやスマホの余計な夜ふかしに浸り、生活リズムがめちゃめちゃになっていた。
挙句の果てには6時ジャストに起きられなくなり、30分以上時間が押してからの計測開始というのが当たり前になっていた。
このまま朝寝坊して全部おしまいになった方が楽なのかもしれない…………と思わないでもなかった。それでもなぜかマインドシーカーの朝活は続けられた。
続けることができた、と言ってもいいが、なぜか続いたという印象のほうが大きいのだ。特になにごとにも飽き性で三日坊主が常の僕的には異常とも言えた。
たぶんそれは「毎日やらないと視聴者に示しがつかない」という強迫観念も含めて、最初は明白な異物だったマインドシーカーをプレイするという行為が僕の日常にしっかりと根を張っていた証拠だったのではないだろうか。
それは毎朝の手間を惜しまなければ今後もこの朝活を続けられるという可能性でもあり────「どこかで止めにしないと、だらだらと続けてしまう」という状況だった。
そもそも、今回の検証企画は「深夜にマインドシーカーの通しプレイをする不健康な遊び方ではなく、しっかり早寝早起きして超能力トレーニングを毎朝ちょっとずつやって健康的な日々を過ごそう」というテーマが第一にあったのだが、検証中は家で朝食をとらない日が圧倒的に多かった。出勤日はさすがにコンビニ飯をとるが、休日は昼まで何も食べない日もあった。
僕の優先順位が三度の飯よりインターネットなので、早朝からパソコンやスマホにさわれる環境というのは、そもそも不健康だ。
また、最終的に僕は「透視と念力の合計が12点以上なら、予知で真ん中一点狙いでも5点取って合格できる」というセオリーを見出した。逆に言うとこのタイミングで5択のランダム性に目を奪われると、ある一箇所の5点分を取り落とすという意味だ。
しかしながら外れる時は外れる厄介さがマインドシーカーの真骨頂なのだが、これでチャンス時に余計な気を回さずに済むようになった。
このセオリーの明暗がはっきり分かれたのが、検証最終週だ。好成績が続き、このままいけば今回の検証を有終の美で飾れるという6日目に、5点予知を当てられずギブアップした。
僕がマインドシーカーの卒業試験に毎朝向き合うことで見つけ出した疑似乱数の偏りは、そもそもマインドシーカーからいいボールを投げてくれるまで打つことすらできないという構造になっていた。
いや、それはおかしいんじゃないか? それをプレイヤーの超能力でなんとかするのがマインドシーカーだろう?
そう言われるのも仕方がない。だがボールを投げてくるのはマインドシーカーで、その投げ方もマインドシーカー次第だとする、他責と言えばそれまでの物の例えで僕は結論づける。
透視が5点以上出ない。仮に透視の点が良くても念力が出ない。最後の予知が常に真ん中で5点分光るとも限らないし、じゃあ別のところかとカーソルをずらすと、元いたそこが結果的に5点分光っている場合もある。
そうして30分に一度、いや一時間に一度現れるかもしれないチャンスをものにできなければ、次の機会を何時間でも待ち続けることになる。
もういい。もう、いいだろう。
そう思ってしまうくらい、50日……実に7週間という検証期間は長かった。
とはいえ、本当に数日後にはやめるという段になっても、そこで「終わる」という気がしてこなかった。本当に、朝活マインドシーカーは僕の生活の一部になっていたのだろう。
迎えた検証最終日、二度目の通しプレイはトイレ対策に重点を置いた。
医学的な根拠はないが、糖質の高い食事をとれば尿意を抑えられるという話を参考に朝食をゆっくり食べてからスタートした。
17分で卒業試験をクリアした時、心臓が飛び出そうなくらい興奮した。この一ヶ月超が無駄ではなかったという感じがした。
しかし最終試練には4時間もかかり、記録更新は失敗した。
むごい。
「もう連射ボタンに重石を置いたら楽になれるのでは」と心が折れそうになる瞬間もあったが、Discordに中継をつないでいたのが最後の心の支えとなり、自分の手で完走することができた。
「ファイナルマインドアルカディア」の皆さんに心から感謝している。
なおタイマーストップ後、まず真っ先にトイレへ行った。
編集期間
収録は8月頭に終わったので、投稿予定日まで3〜4ヶ月もあれば十分な編集期間が取れるだろうと思っていたが、甘かった。
そもそも生来の後回し癖に加えて、あまり普段から親しんでいない動画編集の机につくハードルを越えるのが大変で、しばらくは動画の構想を頭の中で膨らませながら思いついた替え歌「サイパワーが出ない」を適当に歌っていた。
なお、この歌はあくまで最終試練のかったるさを解消するネタでしかなく、また2番以降の歌詞はどう歌い替えてもネガティブな感じにしかならなさそうなので、フルバージョンを作る予定はない。
また本投稿祭の主催であるねなしさんをイメージしたキャラクターを動画に登場させるのは構想初期からの既定路線であった。僕は彼の背中を追っているだけなので。
そのほか見よう見まねで作ったシン・ゴジラの明朝体フォントや、YouTubeチャンネル「桜井政博のゲーム作るには」を参考にした字幕テロップのほかに「水曜日のダウンタウンっぽいテロップ」が新たに作れるようになったのはYouTubeチャンネル「Rの映像」さんによるところが大きく、YMMでも作れるくらいに分かりやすく噛み砕いた解説動画がありがたかった。
YMMといえば、最終的に6時間に膨れ上がった最終検証の動画ファイルもフリーズせず読み込んでくれたのも助かった。
そのままでのプレビューは見ていられない感じだったので都度動画に出力しながら、動画そのものを8個くらいのChapterに分け、編集が難しいと思うところからコツコツと作っていった。
NEUTRINOでボーカル音声ファイルを作成できるかどうかは未知数だったが、これも作曲ソフトと3〜4時間格闘してなんとか形にした。
最後まで苦心したのは全体の音量バランスで、最終的にはアドベントカレンダー1日目の動画を参考に調整した。
さよなら神様
こうして本番を迎えることとなった。
動画のエンドクレジットに「And You!」と視聴者を巻き込む一文を混ぜ込んだために洒落臭度が5割増しになったが、本当に後は、この動画を見た視聴者のものにしてもらえばいいと思っている。
狂気の産物と断じるもよし、別の何かを見出すもよし。
そうして、マインドシーカーという超能力開発ソフトがあったことが、そのミームを連綿とつないでゆければ、それでいい。
そしてこう言おう。
次は、あなたかもしれません。
自分の役目を終えたとは言わないけれど。
(終)
#ニコニコ動画
#マインドシーカー
#七峰らいがのニコニコ動画探訪
参考文献
ピクシブ百科事典(2022)「お前が始めた物語だろ (おまえがはじめたものがたりだろ)とは【ピクシブ百科事典】」,<https://dic.pixiv.net/a/%E3%81%8A%E5%89%8D%E3%81%8C%E5%A7%8B%E3%82%81%E3%81%9F%E7%89%A9%E8%AA%9E%E3%81%A0%E3%82%8D>(参照2024-5-8)
ニコニコ大百科(2017)「ザ・エンドってねとは (ザエンドッテネとは) [単語記事]」,<https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AD>(参照2024-5-9)
山と珈琲、心の一杯(2023)「【尿意を抑える食べ物】餅以外でトイレ対策になる食べ物を探してみた【長時間我慢】」,https://blog.outdoor-coffee.com/?p=12315>(参照2024-7-24)