【七峰】拝啓、鍋焼きうどん
【日報】2024/11/19付
なんでいつもこういうことになるんだろう、と反省したつもりでも夜更かしは止まらない。
スマホを寝室に持ち込み、起きていられなくなるまで使っていれば眠れないのは明らかだ。
この一年で早く寝さえすれば早く起きられること、夕方の早くとも5時からの過ごし方によって睡眠の質が左右されることはわかっていたのに、自分の意志でやめられるものではなかった。
理由はただひとつ。
寂しいからだ。孤独と言うほどひとりではないが、どうにも疎外感を覚えるのだ。
あるいはその「寂しい」ということばも、便宜上そう名付けただけで、もっと言語化しづらい心の中のモヤモヤである。
そしてそれは幾らネットの海を潜っても、ポストだかツイートだかを尽くしてもけっして辿り着けないものであるがゆえに、果てのない昼夜逆転生活をする羽目になる。
なんらかの欲求不満をどうにかして解決したいと思って行動するたびに、睡眠時間を削り健康を害している。
なんでいつもこういうことになるんだろう、と反省したつもりでも夜更かしは止まらない。
スマホから不特定多数の息づく世界へ繰り出せると得心しているからこそ、ひとり遊びではもう満足はできない。そのことはこの一年間でよくわかった。
時間だけが忠実に過ぎ去ってゆき、風の色は冬になった。
寒い日は鍋焼きうどんを思い出す。
ぐつぐつと煮え立ったあのアルミ鍋の特別感。
だが現在は小麦アレルギーによる副鼻腔炎の疑いが濃厚な僕は鍋焼きうどんは食べなくていい食べ物となっている。
小麦を疎外し、電磁波と液晶の光を疎外し、どくさいスイッチみたいに何もかも消し去ったあとに、どんな本質的な娯楽があるというのだろう。
僕の娯楽といえばウィルキンソンタンサンのレモン味しかない。ほんとうに。
(了)