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20200831 「ポケモン」タマシイよジョウトに還れ
僕にとって「ポケモン」は育ての親も同然だった。
生まれて初めて親に買ってもらったゲームは「クリスタル」だ(あと「コロコロカービィ」)。
子どもの頃は一年に一、二度買ってもらえる(今の飽和状態を思えば)数少ないゲームを、あの手この手で遊び続けた。特に「クリスタル」は主人公の性別が2パターンあったから、次は男、次は女とゲームをリスタートする度に新鮮な気分になれた。ひと粒で二度おいしいとはこのことだ。
今でも「ワカバタウン」や「26ばんどうろ」のChiptuneを聴けば手のひらサイズの冒険があざやかによみがえってくる。ストーリー攻略に不利な条件だとわかっていてもチコリータ・ベイリーフ・メガニウムのことが好きだったのは、アニメの影響もあったか。
一度だけ、奇妙な現象が起きたことを覚えている。やけたとうでエンテイ・ライコウ・スイクンに出会うイベントが起きるよりも前に、エンジュシティ直前にある37ばんどうろの草むらでエンテイが出現したのだ。捕獲はできず、結晶塔の帝王は風のように去っていった。
あまりにゲームをリセットしすぎたせいで、ソフトがおかしくなったのか……常識的に考えればありえない、夢のような体験だった。
だが、本当に夢だったとしても不思議ではない。それくらい僕は毎日ポケモンに熱中していたのだから……。
そんな僕の「クリスタル」はゲームボーイカラー(黄色。一度雨の降るアスファルトに落として右下が少し凹んだが故障しなかったのはさすが)に差さったまま、あまりにゲームばかりに熱中して勉強しないからと祖父が家のどこかに隠してそれっきり行方不明だ。もっとも、反省の色のない僕が隠し場所をあちこち探るせいで誰にも見つからない場所に置かれてしまったのだから、自業自得だが。
愛用のゲームボーイカラーを失くしたのは今でも心残りだが、当時の僕にはそのことを悲しむ暇もなかった。
店の(まだハローマックがあった頃だ!)ショーウィンドウで光り輝いてた金色のゲームボーイアドバンスと、ポケモン第三世代「サファイア」が空いた穴にすっぽりハマったのである。
電子的な金管楽器と鐘の音で彩られるホウエン地方の冒険は、ますます僕を興奮させた。
これも一度だけ、小学校の帰り道で見知らぬ小学校高学年~中学生くらいのお兄さんに「ルビー」を遊ばせてもらったことがある。ゲームの場所はおくりびやまの頂上だったかと思うが、新ポケモンヨマワルを見せてもらえてとてもワクワクし、「もしかしたら同じ時間にまた会えるかもしれない」と翌日を待ったが、二度とその人とは会えなかった。
閑話休題。ミズゴロウパーティの鬼門とされネット上で恐怖とともに語られる「橋の下のジュプトル」について僕はそれほど苦渋を味わった記憶がないが、確かにリーフブレードと言えばなかなか手強い技として記憶している。
ゲーム後半の怪獣映画的な展開は次の「エメラルド」で完成されるが、世界が大雨に晒されるのを見て異常気象を起こす伝説ポケモンの威容に感じ入ったものだ(「ルビー」の日照りBGMの方が怖いと、後々知る)。
今にして思えば、第三世代から第四世代にかけて────すなわち「ルビー・サファイア(2002年)」「ファイアレッド・リーフグリーン(2004年)」「エメラルド(同年)」「ダイヤモンド・パール(2006年)」の発売されたわずか五年間は、僕にとっては7歳~11歳ごろの期間にあたる。
偉い人に「子どもは自然の中で遊べ」と口を酸っぱくして言われる時期に僕は家の中からゲームの世界で一生懸命ポケモンをゲットして戦わせていたのだ(友達と遊ぶときも「外で遊ぶより、友達の家で『スマブラDX』とか『エアライド』してる方が楽しいな」と思っていた筋金入りのインドア派)。そりゃあ、後の人生に影響が出ないわけがない。
特にあの頃は、クラスメイトとの友情よりポケモンのデータの方が大事だった。
友人に頼まれて好意から「エメラルド」を貸したら「ごめん、妹が『さいしょから』してレポート(セーブ)しちゃった」とほぼ初期化されたソフトを返され激憤したり(でもちゃんとエメラルドを返してくれただけ向こうも優しかったと思うぞ、あの日の自分)、別の友人が誤ってポケモンの引き継ぎ機能で僕のソフトに自分のポケモンを転送してしまい元に戻せなくなって、嫌な遺恨を残したり……あと「映画に出てくる伝説ポケモンだから強い」くらいの価値観でパーティに入れていた僕のジラーチが通信対戦でボコボコにされたり。
通信交換や対戦で友達と豊かなコミュニケーションを育むのがポケモン本来の使い方のはずだけど、そんな楽しげな記憶は僕にはない。そういった負の経験が後で僕の人間不信につながったような気もする。
年齢が進むにつれて、世界的にはポケモンの真髄とは「対人戦」にあることを知っていく。特にオンライン対戦を主としたゲーム動画を配信しているプレイヤーの個性的なパーティと戦術にはポケモンユーザーが本能的に持っている「自分ならこうする(こうしたい)」という部分が刺激されるが、高度な育成環境を構築するのは今なお難しい。
ポケモンを対人戦向けに育てるノウハウのない僕は段々と「ポケモンを捕まえてコンピュータと戦ってポケモンリーグのチャンピオンになる、いつもの旅」に飽きを感じ、「ハートゴールド・ソウルシルバー」の頃から世代の変化についていけなくなる。「ブラック・ホワイト」が全く新しいポケモン像を打ち出すに至って、僕はゲームとしてのポケモンに愛着が湧かなくなった。
ただ「それでも、ポケモンは好きだ」という灰の燃えカスみたいなものだけが消えずに残っている。
しかし、根強いポケモンファンである僕の姉は新作の出る度にハードとソフトを買っている。対戦するでもなく交換するでもなく、ストーリーをクリアしたらそれで仕舞い、という距離感のままゲームを続けている。
その素朴なゲーム体験こそ、僕が忘れて久しいものだ。
自分で働いて得たお金で欲しいゲームを買って寝る間も惜しんでプレイしている姉と、いつまでも夢の中みたいなインターネットに溢れる無責任な情報の群れにしがみついて親のすねかじりという現実を見て見ぬふりしている僕との間にある「オタクとしての」か、「成人・社会人としての」差みたいなものが埋まらないまま年が過ぎる。
僕はポケモンを育ててやっているつもりだった。対戦用ポケモンの厳選もやってみたことがある。
そんなポケモンたちの、最新作では瀕死のダメージを耐えてHPを1残すような頑張りに、かつてトレーナーだった僕はどうやって応えてやれたらよかったのだろう。
ポケジョブというボックス生活の余暇を活かした働き口すら見つけ出した彼らと、無職の僕との間の差はどうやって埋めたらよいのだろう。
……画面の向こうの彼らは微笑むだけで何も答えてはくれない。
エンジュ では
むかしから ポケモンを
かみさまとして まつっていた
そして しんの じつりょくを もつ
トレーナーの まえに
にじいろのポケモンが まいおりる……
そう つたえられている
トレーナーの きみが
ただしくて つよい こころを もてば
ポケモンも それに こたえてくれる
そうして トレーナーも ポケモンも
どんどん つよくなって いくんだ……
(終)