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龍が如く7をきっかけとしてゲーム動画配信に肯定的になった話
※重大なネタバレは無し
龍が如くは過去作が大事
つい最近龍が如く8をクリアした。同シリーズは初代が発売された約20年前からの付き合いになるが、今作もまた過去作知識を大前提としたシナリオになっている。これはいつものことだ。
まあ、本作までの過程をまったく知らなくても、ゲームとして楽しむことはできると思う。ただ物語への没入感を同時に求めるなら、知識ゼロで8から始めてしまうと、かなりの取りこぼしになることは否めない。
龍が如くの最高傑作として名高い「0」だって、この没入感をガン無視して選ばれてるハズもなく、0で描かれたシナリオが過去作と異常な気持ちよさでつながるからこそ推されてる、そう思いたくなるほど前知識は大事なんだ。
さて今回遊んだ龍が如く8。
これには前作に当たる作品が2つある。7と7外伝だ。もっと言うと以下の図のような時系列になっている。
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もっともっと言ってしまえば、5より前も全部つながっている。本気で物語を楽しみたければ、全部を見なければならない。
ようやく本題に触れることになるんだけど、これほど過去作が大事と言っておきながら、実は龍が如く7をプレイしていなかったんだよね。
龍が如く7をプレイしなかったがゆえに…
龍が如く7は、それまで長年主役をはってきた桐生一馬をチョイ役に回し、完全な新キャラである春日一番を登用した意欲作だ。しかもゲームの肝であったバトルシステムもガラッと変えて、別ゲーと呼びたくなるほどの改革をほどこした。
賛否両論が吹き出したのは言うまでもない。かくいう自分も、やはり新しいバトルシステムを受け入れることができず、また桐生ちゃんも前線から退いていたため、見送る決断をした。
映画を倍速で見る人が出てくるほど娯楽にあふれた現代では、一度選考から漏れたゲームが再び候補に上がってくることはまずない。しかも古くなった作品を楽しむハードルは、映画やドラマとは比較にならないほど高くなる。
だから龍が如く7を明確に「受け入れられない」と判断した時、これが今生の別れになるかも…と覚悟したし、というかこれでシリーズが滅亡するかもしれないとすら思ったんだよ。
ところがだ…
7に続いて発売が告知された7外伝では、あの桐生一馬が帰ってくるという。しかも従来のバトルシステムを引っ提げて。
なんだよそれ!すごく気になる。マジでやってみたい。でもどうやら7の話と無関係ではないらしい。さあ困った。何度も言うが龍が如くは「過去作とのつながり」が大事なんだ。これをおろそかにしたら、シナリオ満足度を何割も削ぐことになる。
どうするよコレ。7をプレイしなきゃダメか?いや…龍が如くはゲームであって、操作に納得できなければ遊ぶ気にはなれない。そしてそれは外伝が醸し出す魅力をもってしても変わることがなかった。つまり7は遊ばないけど外伝を遊ぶには7のシナリオが必須。そんな構造に陥ってしまった。
そこで登場するのが標題のゲーム動画配信。具体的に言うと「観る龍が如く」と題されたYouTube動画たちである。
YouTubeのアルゴリズムに抜かりはない。外伝のトレーラーを閲覧した自分に、「観る龍が如く7」的な動画がオススメにシュバってくるまであっという間だった。
今の自分に足りていない「7のシナリオ」が目の前にある。それまでこの手の動画は見たことがなかったけど、ここまで条件が揃うと最早見ないで放置するのは無理だった。何となく持っていた躊躇いは一瞬で溶けて動画を再生する。
龍が如く7をYouTubeで「観て」…
へぇ…春日一番を演じるは中谷一博さんか。いいじゃん。主人公らしくて。っていうか妙にしっくりくる声だな……いや、錦山の声やってた人か!なるほど。かつての相棒をある意味蘇らせたのか。やるなぁ…。
おお…なんか刑事出てきた。足立さんっていうのね。声を聞いて嬉しくなる。まごうことなき重鎮、大塚明夫先生だっていうのは、単語一つ聞いた瞬間にわかるし、こういった大御所が脇を固めてくれる作品は、否が応でも色々「あがって」くる。
そして春日の親分にあたる荒川真澄を演じたのが中井貴一さんだ。正直、俳優として素晴らしい人であれば、声優としても必ず同等の感動が得られる…とは思っていない。しかしながらこの配役は個人的にドンピシャだった。さすがはるか昔に武田信玄で見事な親方を演じた人や…
こんな具合で7の物語は序盤からグイグイくる。どれも素晴らしい演者と脚本で、最後まで重厚かつ心揺さぶられるストーリーだった。
足りなかったピースは補完された。こうなれば7外伝を買うことに迷いはない。そして思ったとおり、7のストーリーを手に入れたからこそ、外伝のラストでは鳥肌総立ちするほどの興奮を味わえた。
もう1回言う。過去作は大事なんだよ。
7は買えなくて8は買えた理由
外伝を遊んでほどなく、今度はその続編の8が店頭に並ぶようになった。ここでまた同じ問題が再燃する。龍が如く8は7の新バトルシステムを継承した作品、つまり自分にとって受け入れられなかった種類の作品だった。
また龍が如くとお別れなのか…?
そんなことはない。むしろ迷いもなく購入した。
実際プレイしてみると、思っていたほど悪くなかったよ。まだ元祖バトルシステムの方が好みではあるものの、不買を決め込むほど馴染めないモノではないことがわかった。物語の素晴らしさを知ることで背中を押され、結果として全部を容認できた形だ。
8をすんなり購入できたのは、シナリオに対する自分の期待がバトルシステムへの不満を上回ったからだろう。そしてその期待は、7の動画を観て外伝をプレイすることができた、いわば合せ技で造成された。
それなら7も買ってプレイすれば良かったじゃん?いやいや、7の時点では「春日一番って誰…?」状態だったから…。システムもシナリオも不安、両足がくじけたら前に進めなかったんだよね。
こうしてゲーム動画配信肯定派へ…
確かに龍が如く7単体で見れば、動画配信のせいで潜在的購入層を減らしたことになるかもしれない。でも自分の場合は「動画配信があるから」7の購入を見送ったのではなく、「7の購入を見送ったから」動画配信を視聴したのだ。
そしてそれが結果的に外伝、8の購入へとつながり、トータルで見れば製造元・購入者・配信者が3者win-winの関係となった。前述したとおり、7のストーリーを知る機会がなければ、それらを買うつもりもなかったのだから。
もともと動画配信に対して特に強い意見は持っていなかったけど、世間に「けしからん」みたいな声があるのは知っていた。それはモラルや著作権、正義感、資本的優位に立たれる嫉妬など、数多の背景が潜んでいるんだろう。
自分は図らずもその恩恵を受けてしまい、もはやニュートラルであるとは言えなくなった。「肯定派になった」と称するのはそういうことだ。自己弁護と言われても返す言葉がない。
ゲーム界隈に関して言うと現状どうだろう。数えきれないほどの動画が世界中で堂々と乱立している。それは放置なのか黙認か、はたまた容認か応援か。龍が如く8ではこんな声明があった。
『龍が如く8』 動画・生放送等配信ガイドラインについて📢
— 龍が如くスタジオ 公式 (@ryugagotoku) January 22, 2024
本作では配信禁止区間はございませんが、より多くのお客様に楽しんでいただくため、ネタバレとなる内容をインターネット上に投稿する際は、冒頭に注意書きを記載する等の配慮をいただけますと幸いです。… pic.twitter.com/a3EWaoiKxR
そう。とっくに容認しているのだ。
著作権に関するちょっとした私見
現代の著作権は、江戸時代からまるで進化してないと冗談を言いたくなるほど遅れてる感がある。法律もそうだが人々の感情もまったく追いつけてない。時代の変化が早すぎるんだよ。
現時点で漫画村やパクツイあたりを擁護しようもんなら、たちまち串刺しに処されるだろう。それは現代で成人してる人なら当然の感情だし、著作権をいきなり魔改造できるハズもない。
でもね。デジタル&ネットは複製・配信を子供でもできるようにし、今はAIで創造まで楽勝になろうとしている。そんな時代下で著作の帰属性を必死に叫び続けているとどうなるか。そんな想像力は持っておいてもいいかもしれない。良い悪いの話ではなくね。
個人的には資本主義が壊れそうなサインが見えた時、著作権も変様を、それも凄まじい尺度で迫られるだろうなぁと思ってる。まあ長くなるのでこのへんで。
最後に…