コンセプトが強い店への共感性羞恥
昔から、コンセプトが強い店に対して共感性羞恥を強く感じる。
コンセプトが強い店といっても、がっつり世界観が固まっているコンカフェや店内の内装がおしゃれというような世界観の強い店にはあまり羞恥心は感じない。
私の中でのコンセプトが強い店はそのちょうど間。
コンセプトが厳密には固まり切っていない感に共感性羞恥センサーが働く。
初めてこの羞恥心センサーが働いた瞬間を鮮明に覚えている。
中学生の時、私の地元に有名カフェチェーン店が上陸した。
超有名カフェということもあり、開店から連日行列ができていた。
カフェというものに行ったことのない田舎もん丸出しの私も親に連れて行ってもらった。
注文のカウンターにつき、私は戸惑った。
見たことのないカタカナの文字列。
迷った挙句、一番自分が発する言葉として恥ずかしくないと思ったマンゴーフラペチーノを小さい声で注文した。
私の注文を聞くと店員さんは、後ろを振り向きながら、
「マンゴーフラペチーノ~~」
といった。キッチンの人たちに伝えているんだな。
すると、奥で作業をしていた店員さんたち全員が手を動かしながら
「マンゴーフラペチーノ~~」
と言い返した。
なんやこれは。なんだこのやまびこみたいなの。
しかも店員さんもどこか半にやけ。
少し恥ずかしそうにいってるやん。
言いたくないのか。
この時人生で初めてお店というものに対して言葉にできない感情になった。なんかお腹の中のにょろにょろしたものが走るような感じ。
今考えると、これが共感性羞恥という状態だった。
その後、焦った僕は戸惑いが抑えられず、自分の時だけやまびこ営業してるのではないかと考え、後ろの父親が注文しているのに耳を澄ませた。
「キャラメルフラペチーノ~~」
「キャラメルフラペチーノ~~」
まただ。
またお腹の中でにょろにょろしたものが走っているような感じがする。
しかも半にやけ。
おそらく店員さん自身も初めてのやまびこで少し羞恥心があったのだろう。
その照れを隠すように必死で手を動かしているふりをしている。
うそついてるやん。
またにょろにょろが動いた。
しかし、注文した父親は私のような戸惑ったような表情にならず、
「知ってますよーこのやまびこね。」
というような顔をしている。
うそついてるやん。
仲間に裏切られた気分。
千と千尋の最初のシーンでよくわからない場所について、唯一の助けであるお母さんとお父さんが豚になるシーンを思い出した。
千尋も初めてこのカフェにきたら、「お母さん、お父さんやめて!!」
というだろう。
カフェという場所では、店員も客も猿芝居をしている。
これが私の鮮烈な共感性羞恥デビューだった。
もう一つ、共感性羞恥を感じた店の話をする。
大学時代、友達5,6人で熱海の方へ行った。
そこで昼食に定番の海鮮丼を食べることになった。
お店につき、人数を伝えると店員さんが一瞬困った表情を見せたが、快く2階席に通してくれた。
私たちは団体の大学生。おそらく疎ましがられている。
店員さんの予想が的中するように私たちはかなり騒がしい声で話した。
本当に申し訳ないことをしたのだが、当時血気盛んな大学生の声量は一般人のそれとはくらべものにならないほど大きいのだ。おまけに分別がついていない。ちなみに海鮮丼は本当においしかった。片付けも大変だろうに申し訳ないと思いながら私たちは、階段を下りて、店の外に出ようとした。
その時
「素敵なお客様がお帰りで~す。」
「素敵なお客様がお帰りで~す。」
また、にょろにょろがお腹の中を走った。
どうやら私の共感性羞恥センサーは一人の店員さんに全員の店員さんが繰り返し言うことに敏感らしい。
「素敵なお客様」
私たち団体は客として絶対に素敵ではなかったはずだ。
その証拠に最初に店に入った際、店員さんは一瞬困った顔をしていた。
あの時の困った感情はどこへ行ったのだ。
そして今回も店員さんが少し恥ずかしそうな感じに見える。
ラーメン屋さんや居酒屋さんのように大きい声で叫ぶ感じは、気合が入っていて羞恥心は感じない。
このコンセプトに納得していない感じがにじみ出てしまっていることにこっちが恥ずかしくなってくるのだ。