FIRE後の挑戦:マーケティングで新たな価値創造を
53歳、ついにここまで来た
ボクがこの年齢に達するまでの道のりは、決して平坦ではなかった。早稲田大学に入学するも、バブル崩壊の余波を受けて希望のマスコミ業界への就職は叶わず、大手IT企業へ就職した。まだITが人気業界でなかった時代だ。これからこの業界は伸びるだろうという期待だけしかなかった。しかし、初めての給料明細を見たときの驚きは今でも忘れられない。大学同期たちと比べ、給料が最も低かったのだ。さらに、希望しない技術職に異動となり、会社同期120人の中ではかなりの落ちこぼれとなってしまった。
それでも、3年目にインターネット事業部への異動が決まったことがボクの人生を大きく変えた。1995年、当時、インターネットという言葉さえ知る人が少ない中、未知のテクノロジーを売るという仕事に夢中になった。企画を立て、それを自ら売り込み、次々と契約を獲得していった。あれよあれよという間に同期で一番にマネージャーに昇進した。しかし、良い時代は長くは続かない。かわいがってくれていた上司が異動となり、後任の上司によってマネージャー職から降格させられてしまったのだ。
「辞め時かな」
そう思ったボクは、転職を決意した。1990年代のIT業界では転職がすでに一般化しつつあった。次の仕事を探すことにした。幾度かのトライアルを経て、給料を100万円アップさせての転職に成功した。それを皮切りに、1社、もう1社と転職をし、30代前半には年収1000万円の大台に乗せることができた。その後も転職を繰り返し、最高年収は1600万円となった。結局、ボクは8社もの会社を渡り歩くことになった。
こう書くと順風満帆のサラリーマン人生だったと思われるかもしれない。確かに給料はよかった。しかし、転職回数が多いのは“ツラさ”の表れでしかない。クビ、給料遅配、2.5ヶ月で転職、またクビ宣告。不遇の30代を過ごした。
二度目のクビ宣告はなんとか回避できたが、またいつクビ宣告されるかわからない。そのために不動産投資を開始した。“誰かに依存しない”収入源が必要だと感じた。その後、不本意な異動はあったが10年間、その会社で最高年収まで給料を伸ばしつつ、4棟44室の不動産を保有するまでになった。不動産のキャッシュフローとの合計年収は3000万円に達していた。
「やっとここまで来れた!」
53歳、ボクはこれまでの苦労を振り返り、ついに掴んだ成功を実感していた。
さよなら、外資エリート。こんにちは、FIRE生活
「ついに来たか…」
上司から1on1ミーティングリクエストを受け取った瞬間、ボクはそう呟いていた。米国本社の経営悪化が原因で、外資系IT企業に勤めるボクのポジションも削減されることは容易に想像がついた。
「会社都合により、君のポジションは…」
上司の言葉がどこか他人事のように聞こえた。これまで責任を持って行ってきたプロジェクトや、築き上げたキャリアが一瞬で崩れ去るような感覚だった。
だが、ボクには既に不動産投資からの収入があった。生活に困ることはない。むしろ、この機会に自分の人生についてじっくり考える時間を持てることがプラスだと捉えた。
転職活動はハローワークのために形だけで行った。本気にはなれなかった。“あわよくば”との期待もあったが、2社連続で最終面接まで進みながら、結局敗退。熱意がないので当然の結果だ。モチベーションがゼロに等しいことは自分でもわかっていた。
「もういいや、会社勤めは辞めよう!」
資産状況を見直すと、超富裕層には及ばないが、それなりの額が積み上げられている。不動産売却で家賃収入は減少していたが、なんとか生活はできる。ボクは完全にFIREすることを決意した。
「よし、これで好きなことをする!」
不安がなかったわけではない。しかし、長年、数字とノルマに追われていた日々から解放されることに、ボクは心からの喜びを感じていた。
優雅なFIRE生活
「これからの人生、何をしようか?」
FIREを達成した瞬間、ボクは自由と同時に次のテーマを考え出した。毎日会社のために費やしていた時間がすっぽりと空き、その時間をどう活かすかが新たな挑戦となる。
まずは、新築一棟を建てることに注力した。高給な外資系企業の肩書きはもう使えないが、不動産投資家としての実績と金融資産を頼りに、融資を引き出せる金融機関を開拓した。同時に、土地探しも進め、自宅近くに格安の土地を見つけた。大きな自己資金を投入したが、無事に融資を受け、新築プロジェクトがスタートした。
「常に学ぶこと、それがボクの人生」
その生き方を表すように、新しいスキルの習得に没頭することになった。特にChatGPTを使ったプログラミングには魅了され、時間を忘れるほど夢中になった。
YouTubeや書籍でPythonの基礎を学び、試行錯誤の結果、ChatGPTにコードを書かせることができた。自分がイメージした処理をプログラムコードで自動化できたときの達成感は、会社員時代には感じたことのないものだった。楽しい!楽しすぎる!
ある日、ふとアイデアが浮かんだ。
「新築用の土地情報を自動で集めて、メールで送信してくれたら便利だよね」
そう思い立ち、Pythonの知識をフル活用して、スクレイピングからフィルタリング、さらには付加価値をつけた情報を自動でメール送信するプログラムを完成させた。
しばらくすると、毎回プログラムを手動で起動するのが面倒になり、Google Cloud Platform (GCP) での自動化に取り組むことにした。GCPの知識もゼロから学びながら、ついに自動化に成功した。これで毎朝夕に自動で最新の土地情報のメールが届くようになった。
「これは…ラクだ!」
毎日、目を凝らしてPCに張り付き、30分から1時間かけて土地情報をチェックしていた作業が、ソファーに座りながら10分で完了するようになった。友人に話してみたところ、「有料でも使いたい」との声が上がり、徐々に利用者が増えていった。サブスクリプション型のビジネスモデルを構築し、気づけば20名程度がこのサービスを利用するまでに成長した。
「好きなことをして生きていく」その言葉を、ボクは今、現実のものにしている。
セミナー開催と得られた気づき
「新築物件の引き渡しも終わり、これからどうしようか…」
FIREを達成し、自由な時間を手に入れたものの、意外なことにボクは手持ち無沙汰になってしまった。そんな時、友人からの何気ない一言がボクの背中を押した。
「乃内さん、どうやって年間給与75万円で生活してるのか教えてよ!」
その言葉をきっかけに、ボクはセミナーを開くことを決意した。Facebookで軽く呼びかけてみると、意外にも50名が参加を希望した。テーマが節税であったことが、多くの人の関心を引いたのかもしれない。
セミナーは3回開催され、最終的には75名が参加した。アンケート結果でも高い満足度を得られ、資料作成やプレゼンも楽しく行えた。ボクは自分がこのような活動、“調べて調べて調べまくって、それを体系化して、プレゼンする”が本当に好きだったのを思い出した。
そして、セミナー後、友人が言った一言がボクの心に響いた。
「乃内さんにとって当たり前のことは、実は他の人にとってはとても参考になることが多いんですよ!」。
その言葉が、ボクのこれからの生き方を大きく変えるきっかけとなった。
好きなことをしているだけで、それが他の人に価値を提供できる。ちょっと大げさかもしれないが、社会貢献にもつながる。これこそが、ボクが求めていた新しい生き方なのだと感じた。
「もっとこの活動を広げていきたい!」
そう強く思った瞬間、ボクの中で新たな意欲が湧き上がった。これからは、ただ自由を享受するだけでなく、自分の経験や知識を通じて、他の人々に価値を提供していこうと決意したのだった。
マーケティングの本質と既存スクールへの違和感
友人からのフィードバックとセミナーでの成功は、ボクに新たな視点を与えてくれた。今までのキャリアを振り返りながら、「ボクができる価値提供とは何か?」という問いを自分に投げかけるようになった。
しばらくの間、マインドマップを使って自分のプロフィールや得意なことを整理してみた。いくつかの強みは見つかったものの、それが特別なものかと問われると、そうでもない。しかし、その中で最も価値を提供できる分野、それはやはりマーケティングだと気づいた。
外資系IT企業でのプロダクトマネージャーとしての経験、B2B視点での差別化戦略、それらの知識を体系化し、他者に伝えることで、より多くの人に価値を提供できるのではないかと考え始めた。
ボクがサポートした新築塾の立ち上げは、その好例だった。競合優位ポジショニングを確立し、それに基づくカリキュラムの策定、そしてそれらをルーティン化することで、塾は3年弱、口コミだけで100名弱の生徒を集めるまでに成長した。この経験は、ボクに大きな自信を与えた。
では、主戦場となるスクール市場はどうなっているのか?“マーケティング”や“起業”スクールなどが競合になるだろうと考え、少し調べてみた。
すぐに違和感を覚えた。既存の塾やスクールが採用している手法は、“悩み”や“儲け”を感情的に刺激する「扇動的マーケティング」ばかりだった。Web広告やランディングページで「扇動的マーケティング」を展開し、その方法を教えるスクールの多さには驚かされた。
ボクは考えた。なぜ既存のスクールはこうした手法に固執するのか?その理由は単純だ。効率的で利益を上げやすいからだ。しかし、それは受講者に“再現性のあるマーケティング”を提供しているのだろうか? “戦術”のひとつであるプロモーションに特化した内容であり、その前段階の“戦略立案をどのように行うか”がないのではないか? ボクが目指すのは、単なる“戦術”の伝達ではなく、“戦略から戦術までの首尾一貫したビジネス計画立案”ができるスキルを身につけさせることだ。
そのために、ボクは競合優位性を客観的かつ体系的に評価できる手法を取り入れることを考えた。「Competitive Customized ValueChain」や「Competitive Scoring」といった独自の手法を活用し、自社の強みを見つけ出し、それを基に競合優位ポジショニングを確立する。この手法は、従来の方法論では主観的にしか判断できなかった自社の強みを、客観的に測定できるものだ。
また、このアプローチにおいては、ChatGPTを活用できると考えた。ChatGPTの分析、アイデア出しの機能を使えば、より精度の高いマーケティング戦略を、視点の網羅性を高め、効率化に立案、評価できる。FIREしてから学び、実践してきた最新テクノロジーを取り込んだ形だ。
ここでボクが悩んだのは、スクールの費用だ。既存のスクールでは、100万円以上の授業料が相場となっている。しかし、その価格が本当に受講者にとって妥当なのか、ボクは疑問に思った。「実績を出しているスクール卒業生がたくさんいるので高い」という傲慢さを感じた。高額なスクールのカリキュラムを調べたが、特に特別なことは教えていない。マーケティング経験者であれば誰もが知っている知識のみだ。そのベーシックな知識を成果に結びつかせる“何か”に価値があるのかもしれないが、それにしても高すぎる。
「最初に値段を見せずに感情的に煽ったり、期限の利益を利用してクロージングする手法には、どうしても違和感を覚えてしまう。」
ボクはそう考え、既存スクールの手法に一線を画すアプローチを取ることを決意した。妥当な金額で、本質的な技術を身につけてもらうこと、それこそが競合優位を確立するための真のポジショニングになると考えた。これからのボクの目標は、利益の追求だけではなく、社会に貢献し、他者に本当の意味での価値を届けることだと強く確信した。
新たなマーケティングスクールの立ち上げ構想
ボクは、これまでの経験を活かして、新たなマーケティングスクールの立ち上げを検討し始めた。このスクールのコンセプトは明確だ。「受講者が真に役立つスキルを身につけ、実際の成果を上げるための方法を提供すること」である。
ボクが目指すのは、単なる知識の伝達ではなく、受講者が自ら考え、行動し、結果を出せるようになるための教育と仕組みだ。そのために、まずはプロダクトやサービスの強みを見つけ出し、そこから競合優位性を確立するための一連の戦略立案プロセスを、体系的に提供することを核としたカリキュラムを考えた。
このカリキュラムには、「ChatGPTの活用」も特徴のひとつとする。ChatGPTを使った戦略の自動化や効率化、そして網羅的な分析を行う手法を取り入れることで、従来のマーケティング手法では得られない斬新な視点も提供できると考えている。
例えば、「Competitive Customized ValueChain」では、受講者自身が自社のバリューチェーン全体を評価し、競合優位性を見つけ出すプロセスを身につけ、それをChatGPTで評価し、改善点を提案してもらう。
「Competitive Scoring」では、競合優位性を数値で把握し、客観的に評価できるようにする。このプロセスでもChatGPTは使えるだろう。数値化をChatGPTにさせ、さらに改善提案も提案させることができると思う。受講者は自社の強みを理解し、それを活かしたマーケティング戦略を確実に立案できるようになる。
このスクールを運営するにあたり、ボクは自分一人ではなく、信頼できる友人たちのサポートを得ることにした。「自分の頭の体系化」に対して、客観的な意見やフィードバックをくれるメンバーが必要だ。ひとりで考えて進めるとどうしても独善的になってしまう。また、集客やマーケティングの分野では、営業や最新のSNS手法に強いメンバーも必要だ。ボクはそこまで“戦術”のプロフェッショナルではない。
この2名のメンバーのおかげで、ボクが得意とするコンテンツ作成や説明に集中することができる。客観的な視点でブラッシュアップしたコンテンツを、適切な集客アプローチを行いながら、スクールが運営する。このバランスが、スクールの成功に繋がると確信している。
このスクールの特徴は、従来のマーケティングスクールとは一線を画す点にある。高額な授業料を設定するのではなく、受講者にとって妥当な価格で、本質的なマーケティングを学んでもらうことを目指している。これにより、受講者は無理なく学びを深めることができ、実際の成果を上げるための力を身につけられるはずだ。
ボクは、このスクールを通じて、受講者が真の価値を提供できる人材になることを願っている。そして、社会に貢献し、他者に本当の意味での価値を届けることができるようになるためのサポートをしたいと考えている。
乞うご期待!