note文芸部の歩みを最初の最初から今まで、そしてこれから。ぜんぶ振り返りました(サークル開設までのつなぎとしての想い)
こんにちは。文芸部部長 兼 代表の神谷京介です。
(最近からこの仰々しい名乗り、使い始めてみました。十分に周知されたら恥ずかしいのでもう名乗らなくなりますたぶん)
いつもこの note文芸部:note非公式部活動 を覗きにきてくれる皆さま、応援してくれる皆さま、そして部員の皆さま、ありがとうございます。
さて最近文芸部ではしきりにサークル化しますと発信していまして、その内容は先日告知した通りです。
現在、部員用slackの構築や掲示板に投稿する記事だとか、その他諸々準備中で、しかしもう間もなく、もうあと数日というところまでできています。
ということで、待ってもらっているあいだのつなぎとして、サークル化の前説として、つらつらと、今まで書けていなかったことを書いてみようかなと思います。
昨年11月より開設したこの活動の振り返りや、開設に至るまでのお話、そもそもなぜ文芸部を作ろうと思ったのか、なぜ続けているのか、とか。
自己紹介みたいなの
かれこれ10年ほど小説を書いていますが、芽が出る気配を感じたことはありません。周りに優れた人たちがいればいるほど、自分は、影、それも淡く、消えてしまいそうな影のような存在だと思います。
「え、いたの?」って言われたこともきっとあります。その程度の人間であり、その程度の作家です。
しかしなぜだか自分の作品は、どうしてもどうしても嫌いになれず、ほとんどだれの目にもふれないのに、だれに灯りをともすでもないのに、なぜか、書き続けてきました。
noteは昨年の春から始めました。
ここにはたくさんの書き手がいました。
たくさんいるということはつまり、その中で芽が出ることの難しさもはらんんでいました。
文芸部を作ろうと思ったきっかけ
昨年9月のことです。
そのころの僕は精神的に結構すさんでました。
「自分のnoteが全然読まれない」と、落ち込んでいたんです。
命がけで書き切った長編小説が、全然読まれなかったからです。
実は明確に「スキの数が〇〇以下だったらもうnoteをやめる」というラインを自分の中で作っていました。きっと大きく超えるはずだと、過信していました。
結果、あえなくデッドラインを踏んでしまいました。
そのときの長く重たい絶望感はなかなかのものでした。けっこういい景色を見ました。もう一生、人に作品など見せない、見せたことが間違いだった、と、一人落ち込み続けました。
それでも、急にやめることはしませんでした。
なぜ踏みとどまったのか。それはこのnoteを書くためでした。
ただただ「なんだよ! 全然報われないじゃん!」と喚き散らす。それを最後にやって、惨めな姿でnoteから去ろうと思っていました。
あ、ちなみに読まなくていいです。ろくなこと書いてないので。「なんで読まれないんだよー!」って喚いてるだけなので、本当に。
もはや自分で読み返したくないほど恥ずかしいのですが、あえて文芸部の未来のために置いておきます。本当にどうしようもないなこの人。
がしかし、ここで不思議なことが起こります。
起死回生と言えばおおげさだけど、実は、自分の中でこのnoteがある種の転機になったのです。
こんなにも喚き散らして、泣き喚いて、きっと大ひんしゅくを買うか黙殺されるだろうと高を括っていました。
だけど、だけどです。
少なからぬ方から、Twitterやコメント欄で言葉をかけられたのです。
みんな優しかったです、本当に。自ら断とうとした糸を、なぜだか、彼らが紡ごうとしてくれているようにさえ感じたんです。
本当に嬉しくて、読んでいただいた人たち、言葉をかけてくれた人たちを折にふれては思い浮かべる日々をしばらく送っていました。
ただ、転機という言い方をしたものの、そこからなにか上昇に転じることはありませんでした。
むしろ身動きが取れなかった。
noteに作品を上げることがそもそも怖くなっていたのです。作品でこころをへし折られた作家は、いくら言葉をかけられようとも、いくら優しい声を聴こうとも、立ち上がることはできません。きっとそういう人種なのです。
noteで小説を書くことに、まぎれもなく限界を感じていました。
◇◇◇
そんなときに出会ったあるひとつのnoteが、ずっと忘れられずにいました。こっそりと、何度も読み返していました。
noteで才能の塊がもがいていたり、漂っていたりする姿を見るたびに心が痛む。「おかしいだろう」という叫びが蘇る。これは、その人の才能と現実の処遇の差への叫びであり、私の中にずっと潜んでいる叫びでもあるようだ。
僕にとって小説とは、自分のこころの深奥を解き明かすことに近いです。
たとえば心臓を針でつつくような、それくらいの覚悟で書いています。
だけども、その深奥をなじられてしまった、と感じた。感じていたんです、たしかに。
それはまぎれもなく、「おかしいだろう」でした。
怒りでも悲しみでもない、深い絶望感。
これがたとえば技術を競う競技であれば、こうまではならないのかもしれません。
でも、創作って、文芸って違うじゃないですか。
勝ち負けとか、そういうのじゃないですよね。
こころの深奥。それがなじられるのは、もう人間としてどこにも行き場がないと宣告されるのに等しくて。
ジョージ・オーウェルの『1984年』という小説を、なぜか今思い出しました。
僕はこうまで言っておきながら、こころとかそういう抽象的なものは実際のところ存在しないんだろうと考えています。
所詮人間のこころなど、徹底的に切り裂いて、めくって、暴いてしまえば、血まみれの目に見えるなにかが取り出せる程度のものだと思っていて(端的に言うとそういうことが書かれている小説なんです)。
しかしそれゆえに人として守らなければならない「深奥」が、そこにはあるのかもしれません。
最大限、なじられた、を味わっていたそのときに、光室あゆみさんの前述のnoteが僕の前に現れたのです。正確に言えば、これが最大の転機でしょうか。
「noteを去る前に、ひとつだけでもなにかやれるかもしれない。そんな気がする」
なぜだか、今までできもしなかったのに、そんな想いが影のようにはりつき始めたのです。
僕の妄想を聞いてくれた人たち
こっからちょっと身内自慢みたいな話に突入します。
ひとつの企画書を書き上げました。
それは自分なりに翻した反旗だったのかもしれません。
おかしいと思ったこと、これ以上、踏みにじられたくなかったこと、ふたたび書けるようになりたいこと、いろんな想いがごちゃまぜになった、ぐちゃぐちゃというよりも雑然とした、企画書と呼べるかどうかも怪しい文章。
僕はそれを、信頼できる方たちに読んでもらうことにしました。
心当たりのある場所が、僕にはありました。
また少しだけ時間軸をさかのぼります。
企画書を作った昨年9月から、およそ2か月ほど前のことでしょうか。
その夏、noハン会というnote非公式オフ会が開催されました。
そのnoハン会の企画の一つとして『ハンドメイド小冊子』がありました。
「ハンドメイド」テーマで一人2000文字までの創作文芸作品を募集して、それをホチキス留めのシンプルな冊子にして会場で配布しよう、というもの。
企画の舵取りをされていたのは、もはや文芸部準レギュラーの風格が出てきた、作家兼手作りブックカバーのお店『心象風景』店主のKojiさん。そのKojiさんが、ある日「小冊子作品の下読みを手伝っていただける方を募集します」と呼びかけていたのです。
僕は迷わず手を挙げました。
まず僕はKojiさんを作家として尊敬していましたし(ほらね身内自慢みたいになってきたでしょ)、なにより企画の斬新さもありました。
「同じテーマで書いた作品を集める」という未知数の挑戦がとても興味深かったのです。
更に言えば「校正とかそういう裏方仕事……率先してやりたい人なんていないだろ」という心配があって。
下手したら誰からも存在を知られないし対価もない裏方仕事を率先してやる人はいないんじゃないかと。
実際ね、予想通り、いませんでした(笑)
しかしここで予想外のことが起こります。
校正専属ではないにしろ、noハン会全体のサポートスタッフとして既に手を挙げられていたお二人として、はるさんとおまゆさんも校正に名乗りを挙げられていたのです。
そうして、Kojiさん、はるさん、おまゆさんの三人に僕が加わり四人で小冊子編集チームが立ち上がりました。
ちなみにその時点で、はるさんおまゆさんのお二人と僕は交流がほとんどなく、ほぼはじめまして状態でした。
そんな中でこの方たちの信頼を得るにはきちんと仕事をすることしかありませんでした。
僕はだれにも読まれない連載小説(最初に言及した長編小説のこと)を仕上げていくのと並行して、淡々と、しかし全力で、小冊子作品の下読みと校正に取り組んだのでした。
裏方などと言いつつ、ある部分で最も僕はこの企画、そしてnoハン会というイベントを楽しんだ人の一人かもしれません。
企画参加者の皆さまが書かれた珠玉の作品を、だれよりも先んじて読むことができる幸福。
「ハンドメイド」一見すると限定的なこのテーマですが、20作以上の参加作品に一つとして同じものはなく、まさに百花繚乱、それぞれの個性が活き活きと脈打っていました。
そして、その作品たちを最良の状態で冊子にしてお届けするのが編集チームの仕事でした。僕たちは日夜読み込みと誤植のチェックに勤しんでいました。
ただ、単なる作業としてやっていたわけではなくて、編集チームの4人とも、なによりすべての作品を、こころから楽しみながら読んでいました。
原稿が上がってくるたびにテンションが異様に上がり、校正という仕事を抜きにして、熱心に読み込んでいました。
いつのまにか、はじめましてだった僕たちは、作品を「読むこと」そして寄稿者として互いに「書くこと」を通して、ともに仕事をしたこと以上に、わかり合えていました(と、しておきます。書くのはタダなので)。
◇◇◇
で、ここでまた時間が元に戻ります(わかりづらいな)。昨年9月の終わりごろ。企画書を作って読んでもらおうとしたって話。
というわけでnoハン会終了後、小冊子編集チームのグループDMに僕が企画書を持ってもどってきたのは必然でした。
きっと、ちゃんと読み込んでくれる。そして僕の話をきっと聞いてくれる。その信頼がありました。
「思いついたことがあるので聞いてほしいです」と僕はそこに書き込みました。
そしたらすぐに反応してくれた(!)三人。
まだなにもまとまってないながら、これから自分がやってみたいこととして、何点か書きつけました。
・noteで文芸作品を書いている人たちと共同体を作りたい
・noteで文芸作品を書いている人たちの本を作りたい
・どんな形が正解かはわからないけれど、書いている人が報われてほしい
・そしてこれを僕一人で実現するのは不可能なので、複数人と共同運営でやりたい
・題して『note文芸部(仮)』
これは要旨を取り出したわけではありません。本当にこれくらいのことしか言ってなかったんです。次に僕は、いよいよ例の企画書を彼女たちに読んでもらいました。
実はその初版企画書には、こんなことを書いていました。
街灯になりたい
それはつまり、書いている人たちにとって、という意味ですね。
僕がnoteで経験したわずかな光。そしてその光がまやかしで、結局は道もなにもない暗闇であったと再確認できたこと。
そのすべて、隣で書き続けているだれかにも当てはまるのではないか。
「おかしいだろう」を、言えるだれかがいるのではないか。
あれば、そのわずかな経験から、自分たちなりの光を見つけられるのではないか。
企画書を読んでもらったとき「きっとだれもが思っていながら、手を出せなかった部分だと思う」と言ってくれたのが、僕にとってなにより救いの言葉でした。
自分と「隣で書き続けるだれか」の意思がリンクしているかどうか、僕にはわかりません。頭が良くないし視野も狭いので。
だからこそ「間違っていない」と示してくれる人がいることは、なにより救いでした。
心底から、企画書をこの人たちに読んでもらってよかったと思いました。
それが、文芸部開設の大体2か月弱前(笑)
いいかげん巻きで書けよって話ですよね。でもまだサークルの準備中なんです。前説は長いほどいいはずです。
◇◇◇
ところでnoteってものすごく話題の回転が早いですよね。あのnote良かったよね、あの企画良かったよね、ってちょっと古い話題を振り返っているつもりがたった3日前とかざらだったような。
文芸部が動き出すのに、結構時間をかけたのではないかと思います。無論、僕の構想がしっかりできていなかったのもありますが。
そもそもなにをやりたいんだろう? ということを本当に一つ一つ整理しながら進めていきました。
本当のところ、機先を制そうと焦る気持ちも、実際そうしかけたこともあったんですが、その試行錯誤含めて徐々に徐々に前に進めていった……ような記憶です。
ここでとてつもなく声を大にして言いたいのは、この過程から前述のはるさん、おまゆさん、そしてまもなく混ざってくれたよもぎさんがいたこと。
まだ開設もしていないのに、しっかり『文芸部スタッフチーム』のグループDMが作られ、僕が企画書の改訂版を作っては投げ、みんなに意見を求めて、結果コンセプトが徐々に徐々に洗練されていったことです。
だれのために作るのか?
なんのために作るのか?
なぜ専用のnoteアカウントが必要なのか?
部員の定義は?
どんな企画をやっていく?
自分ですら詰め切れていなかった部分を、みんなに投げて各々が受けて返して、信頼する人同士だからこそ言える言葉で、この未知のプロジェクトに向き合ってくれました。
今振り返ってみれば、僕以外のみんなの立場に立ったとき、これほどまで困難な仕事はそうないと思います。
僕の頭の中にしかない構想とも呼べない思考の断片を拾って、良いとか悪いとかを言葉にして打ち返す。しかもだれにも知られず、水面下で。
彼らに実利的なメリットはなにもないはずです。それでも一緒にいてくれました。僕の言葉を打ち返し続け、そしてともに作り上げてくれました。
その三人の他にも、実は僕、けっこう色んな人に接触してました。
企画書をお見せして、いろんなアドバイスをいただきました。
ちなみに普段こういう行動力があるかといえば、もう大体わかるかもしれませんがないに決まってます。それでも、僕が抱えている「文芸部構想」を振り落とすわけにはいかなくて、必死でした。
もちろんだれにでも話しかけていったわけではなく、信頼できるほんの数人です。それでも僕からしたらかなりの行動力です。
話しかけた方々から、とてつもなく参考になるお言葉をたくさんいただきました。
その中でも特に印象に残っている言葉があります。
まずはちいさくはじめて、段々おおきくなればいい
活動の指針として確信が持てたのはこの言葉かもしれません。
やっぱり数字って気になるじゃないですか。
それが全てではないけれど、そもそもが人に集まってもらわないと機能しないプロジェクトだし、そのためになにをどうする……みたいな。
でもなにより大事なのは、自分たちが納得して楽しめること。
おおきくなることを前提で進めるわけでもなく「まずはちいさくはじめる」。
焦りや不安も、その言葉をきっかけに、段々とほぐれてきたのが自分でもわかりました。
他にもいろんな「こうした方がいい」の意見をぶつけてくださる方もいましたが、根っこの部分をお前は思い違いしている、と言う人はいませんでした。
だからこそきちんと受け入れて、軌道修正していくことができました(と言いつつ、頑なに譲らないことがこんな自分でもあったりして、ときにはぶつかったりもしましたね。しかしそれもまた糧になったことは事実で、その節は本当に感謝しています)
そうして、徐々に、ゆっくりと、確信を深めていったのです。
おそらく、文芸部を受け入れてくれる人はいる、と。
ミーティングもした
2019年10月18日、文芸部スタッフチームを秘密裏に発足してから約1か月後、お互いの忙しい生活の合間を縫って都内某所でキックオフミーティングを行いました。
こんな感じ。
ちなみにこのタイミングから、今までアドバイザーとしてちょこちょこと連絡を取り合っていたあゆみさんが正式に(?)文芸部スタッフとして参加することになりました。
ちなみにこういうマガジンも作っちゃった。
あゆみさん、はるさん、おまゆさんの三人がそれぞれ書いてくださったレポです。個人的な想いを言えば宝物です。
ミーティングの内容とか雰囲気は、ぜひこのマガジンを読んでくださいとしか言えません。しかしあえてひとつ言うなら、喧々諤々の議論の末、ようやく様々な議題がまとまった瞬間、とんでもなくほっとしたのを今でも覚えています。これでやっと始まる、と。
だってみんな全力で意見をぶつけてくれる、でもって全力で聞いてくれる。
人生でこんなに人に想いを伝えようとしたことなど、なかったかもしれないです。
最初、僕は独演会ばりにずっと一人で話してました。でも四人とも静かにうなずきながら聞いてくれていて。その景色が今でも浮かぶんです。
真剣な眼差しって、本当にこの世にあるんだなって、四人を見て思いました。
でもって僕たちはそのまま打ち上げへGoしました。noハン会以来の再会を喜び、ここでしか伝えられない想いを伝え合い、とてつもなく美味しいお酒を飲んだのでした。
始動記事について
ミーティングで出た最大の課題は「始動記事書いて、いよいよnote文芸部を開設しよう」ということ。
ここから、始動記事つまり最初の記事が完成するまで更にもう少し時間を要しました。1か月弱ほどでしょうか。
noteのトップページに未だに固定しているこちらです。
筆をとっていただいたのは、今や文芸部マネージャーになってしまったおまゆさん。
このnote、ものすごく自分の中で思い入れがあります。
構想期間2か月の集大成でありながら、始まりの号令をかけるとても大事な記事。
実際にはおまゆさんと何度も打ち合わせを重ねながら二人で作ったようなもので、更にそれをスタッフチームの三人にも読んでもらい、意見交換し修正・調整を重ね……といった末にできあがりました。
ようやく、note文芸部が始動できる。
正直言うと不安の方が圧倒的に大きかったです。なんの実績もないゼロからの活動にだれが乗っかってきてくれるのか。どこまで想いは伝わるのか。
そうして11月10日、遂に記事は公開されました。
note文芸部、始まりました
「おお……おお……! おお!!」
そんな気持ちで、ずっとスマホを握りしめて、noteとTwitterを行ったり来たりしていました。
結論から言うと、予想を超えて受け入れてくださったのです。
入部表明もその日だけで30名近く。おまゆさんとまるぶんくんは嬉し涙を浮かべながら皆さまの入部表明にひたすら返信していました。
僕はこころの底からほっとしていました。
不安が徐々に晴れていく、なんていうのは僕の狭くて浅い人生ではそうそう訪れたことのない気持ちでした。
知っている人、はじめましての人、あっというまに、たくさんの部員が、作家が集まりました。
皿の上から望む夢
どうしても書きたかったnoteがありました。
こちらは開設から3日後に投稿しました。
楽しく賑やかに始まったnote文芸部に、こういったある意味個人的なことをあれこれ書くのはどうなんだろうって、自分でも思います。
しかし先に書いたように「自分の中の『仮説』を立証する」という極めて個人的な想いから始まった活動なので、いずれはどこかにぶつけなければなりませんでした。
僕にとって文学とは自己完結できるもの。そうでなければ意味のないものです。
みんなで作っていく、と標榜しながら、僕自身はその対極にいるような、協調性のかけらもない人間です。
しかしだからこそ、こんな僕が文芸部を作る意味があるのではないか、という仮説。
自分でさえ手に余るものを書いて、しかもそれを人に伝えようと、理解してもらおうと願う。それは果たして誠実と呼べる態度なのか。
いえ、別に自分がどう思われようが構わないんです。
人に伝える言葉遣いじゃなかったかもしれない。でもこれを書いているあいだ、ずっと見えていたのは自分ではなくただ一人のあなたでした。
この『皿の上から望む夢』について、嬉しい言葉を少なからずいただきました。
文芸部を作っていくつか自分の言葉でも発信をして、なにより感じているのは「言葉を人に伝えようとして」「伝わる」という、もしかすると皆さまはとっくに知っているかもしれない循環でした。
それでも、表裏一体、伝わることだけがすべてじゃない。それどころか、伝わらない言葉、どこにも届かない言葉こそ大事にしたい。
この世で一番優れた文芸作品があるとすれば、それはだれにも読まれない物語なのだと僕は思います。
なぜそれを一人ではなく、みんなで、と僕は言い続けたいんだろう?
仮説が、ひとつの言葉になって現れたのはごく最近のことでした。
わたしはわたしの筆をとる
こんな僕でさえ、まだ、言葉はここにある。
生きているかぎり、いえ、その先もなお、時代がどう動いていこうとも、たしかに僕の言葉は存在していたし、その上、ここにある。
自分自身の筆で書いていくことは、書き続けていくことは、本当にできるのだろうか。
あなたの筆を見つけました
『皿の上~』では、調子に乗ってこんなことも書きました。
最近は「出会い」が少なくなってきたように思います(また口を軽くしちゃった)。
それはもちろん僕のnoteとの付き合い方が変わったからというだけだし、既にたくさんの人に出会ってしまったからかもしれない。
皮肉にも今、noteの中の「あの人が書くから読んで」いる自分がいるし、そんな読まれ方をしたいと願う自分もいる。
あのころのシンプルな気持ちにもどりたい。
わがままだけど、たしかにそう考えたりもして。
まだこの場所で、あなたとあなたの作品に会いたい。
夢を語るつもりで書いた文章でしたが、これに限っては、実は叶ってしまったのです。
僕がnote文芸部を続けていて、最も幸福だと思えたのは、なによりこの「あなたとあなたの作品に会いたい」を、思いがけず実現できてしまったからなのです。
僕はたしかに、新しいあなたにも出会えたし、前から知っているあなたの、まだ知らぬ作品にも出会えました。
「わたしの筆」をとり、「わたしの筆」を守ろうとしている、やさしく気高い作家たちに、僕はこの場所でたくさん出会いました。
生の喜びと悲しみに満ちた、珠玉の1000文字小説を書くあなたに。
人が人であることの醜さと美しさを描き、その上で愛する人たちの「世界」を守ろうとしているあなたに。
「火を噴くようにものを書く」。とどまることのない言葉たちを紡ぎ続け、生き続け、書き続けるあなたに。
ひときわ強いまなざしで社会を見つめ、人と人が繋がり合い、支え合う未来を望むあなたに。
「……もしかしてこいつ、右のスクロールバーが異様に長いのはこれか? まじで50人全員これでいくのか?」とか思いました? そうなんです。だから異様に長いんです。
なんだか今日は、想いを伝えたい日なんです。
読むと10才くらい軽く若返りそうになる、オンリーワンの恋物語を書き続けるあなたに。
「書くことは私にとって薬」。自分自身に溢れる感情と向き合いながら、それでも愛の筆をとり続けるあなたに。
だれよりも人の痛みを知り、命の宿る言葉、感性に導かれた文章を書き続けるあなたに。
その目で見えるより向こう、その耳で聴こえるより向こう。人と未知の間の「あわい」の世界に手を伸ばし続けるあなたに。
新たな家族との日々を過ごしながら、実はその合間に極上のエンタメ小説を構想しているはずのあなたに。
現実という氷壁を描写し続ける。その誠実な言葉は、まもなく明日へ向かう人々への希望に変わるであろうあなたに。
#文芸部地獄の四天王 の一角だけどTwitterのプロフィール文からその文面をさくっと消しちゃったあなたに。
#文芸部地獄の四天王 の一角で、4番手というのがどっち(最強か最弱か)なのかいまだにはっきりしないあなたに。
#文芸部地獄の四天王 の一角で、書き方座談会の途中、司会進行を放棄してがっつり寝落ちしたあなたに。
おお……? こんにちは。
唯一無二の味わいを持つ筆をポケットにしのばせ、未来の街に浮かぶあなたに。
5000兆人面白くするための知識とスキルを磨き続ける、プレゼン部部長のあなたに。
ひとつひとつの作品に向き合う誠実なレビューと、自分自身でも創作を続けること。その両輪でこころの健康を保つあなたに。
この街で出会う人たちのあたたかさをだれよりも知り、真摯に言葉で、時には手書き文字で伝えようとするあなたに。
ひりひりと痛むこころ、やさしさにふれて涙の流れるこころ。移りゆくこころの中に潜む愛を紡ぎ続けるあなたに。
もっと書き、もっと読みたい。誰かのココロに残る文章はきっと既に紡いでいるけれど、その先の景色も見据えながら、noteを大切な場所にしていきたいあなたに。
名前のない感情で溢れるnoteという街の扉を、そっと開けてくれたあなたに。
世界から遊離する自分、世界につながる自分。透明な境界線を見つめ続けるあなたに。
日々のあれこれに疲れてしまうときはあるけど、ここに書き残したたくさんの物語はどこにも行かない。いつか願い叶ってパンダになっても、きっと徒然なるままに文章を綴っているだろうあなたに。
頭上に小さくともる光を見上げながら、たくさんの葛藤を価値ある言葉に変えてゆくあなたに。
季節は過ぎ、いつのまにか本当の大人の手前へと。そのスピードに流されないよう、のんびりと書いていたいあなたに。
時のゆくさきが現れるその夜、揺れ動く心象をそっとささやくあなたに。
そのSF小説にあるのは、彼にしか表現できない、おもちのようにやわらかなやさしさ。今日も生きて、きっと明日も生きて、そしていつでも何度でも、この場所にもどってきてほしいあなたに。
低体温に輝く凛とした言葉を紡ぐ、意外にもドラゴンとは友達になりたい派のあなたに。
ガチめな食べ物の恨み、少し影を帯びたような憂いのある文章。そして、その文章で叶えたいたくさんの夢が溢れるあなたに。
うそのある生活を綴りながら、実はだれよりも真実の日々と向き合っているあなたに。
noteの街のやさしいお姉さんが紡ぐ微炭酸エッセイ。たまには命がひりつくような、出会いと別れの物語。PCの前にいるただ一人に向けた文章で、日常の隙間を埋めてくれるあなたに。
時の交差を美しく描く、古典の好みが(Twitterなど拝見していると)非常に興味深い自家発電物書きのあなたに。
不条理で奇怪で魅惑。そんな異界の小説を相方さんと作り続けるあなたに。
卓越したインスピレーションで、泣かす、笑かす、ビックリさせるのNWBが詰まった小説を書くあなたに。
文章の奥にある真反対の意味や、人の営み。やわらかな含みを抱いた筆で、だれのこころにも眠る「そういうこと」を書き続けるあなたに。
あたたかく穏やかな季節のリズムの中で、言葉を編み続けるあなたに。
持ち前の好奇心と行動力でnoteの街を歩き続け、その上、誤植を見逃さない光る瞳まで持っているあなたに。
漂流していた記憶と再会できる珠玉の小説たち。そのインスピレーションの秘密はチヒラーであることだったあなたに。
日常の中に流れていく季節もあなたとの記憶も、美しい五行歌に閉じ込めてしまうあなたに。
東南アジアの風薫る魅惑の作品たち。旅する小説家のあなたに。
とりあえず「ネガティブ」ってタイピングしちゃったけど、その飾らない人柄と言葉が、実は少なからぬ人の癒しと拠り所になっているあなたに。
猫たちとの出会いと別れを、いつか永遠の記憶として小説にするあなたに。
まだなんの告知もしてないサークルに一番で入会した絶好調の妖精さんnoteサークル管理人・永遠の57歳クリエーターコロッケ白黒パンダになりたい白くまのあなたに。
創作者としての孤独、すっごくわかるなぁ。小説、詩、イラスト、ハンドメイド。幻想的で美しい作品たちを作り続けたいあなたに。
やさしくたおやかに、語りかけるように。今、生きているこの場所を文章でうつしとろうとしているあなたに。
アヴァンギャルドな国語の教科書を抱え、日々の中でこぼれ落ちる悲しみや空虚を言葉にするあなたに。
まだnoteに書けてはいないけれど、文芸部のことを知ってもらって入部してくださった方もいます。
まつもとあきこさん、ありがとうございます。
noteのアカウントがなくなってしまった方もいます。あの人の作品、もっとたくさん読みたいな。きっとどこかで書いてるんだろうな。いつかもどってきてほしいです。
◇◇◇
いつかと同じようで新しい、出会い
とても正直な話をします。
サークル化(有料化)するにあたって、もちろん個々のご事情もあるだろうし、文芸部に対する熱量も差があるだろうし、全員が全員、サークルに入っていただけるなんてことはないはずです。
だからこそ、これまでの出会いに僕は感謝をこめたかったのでした。
だってこんな機会、二度と訪れないかもしれないから。
他の部員さんたちとの交流が得意な方ではないと思います。実は読んでいました、とここで告白するのが僕には精一杯で、たぶんこれ以上もありません。
そういえば、僕がnoteを始めて間もないころ、自作の執筆の合間にこんなのをまとめていました。
(あの、めっちゃめちゃに恥ずかしいんですからね。こういう昔のnote。ぐっとこらえて、文芸部の未来のために置いておきます)
偶然出会った素敵だと思った作品を、ただ紹介しているだけのnoteです。こんなのでも、「読んでくれたんですね」と言ってくださる方もいました。
ただただ、素敵な作品と、それを書くあなたがいて。
そして、序列も損得もなく、ただただ隣で書いている作家の一人として、そのしなやかな筆を観測し合える。
だからnoteが好きだったんです。
あのころの「『作品』としてあなたと出会った」感覚を思い出させてくれたのは、部員の皆さまでした。
最後は一人で筆をとる、だけど
書き続ける、という言葉をnoteではよく聞きます。
おそらく僕はその範疇からすると「書き続けている」人間ではないのかもしれません。
毎日どころか、noteの更新が下手すると1か月に1回のときもあります。
新作の小説はこのあいだやっと数か月ぶりに書き上げました。もっと遅いペースの人ももちろんいるはずです。
それでも僕は書き続けています。
だれと比べるでもなく、僕がそう思っています。
きっと10年に一度新作を書くようなペースになったとしても、そう言うはずです。
僕はやはり、自分の筆が嫌いになれません。
そしてそれは、あなたも同じだと仮定します。
note文芸部のコンセプトもまた同じです。
「わたしの筆をとる」が最大の価値になる場所でありたいです。
集まってなにかをやるのはやはり楽しいですし、その中での学びや新たな交流もきっとあることでしょう。
書き方座談会企画などを始め、部員の皆さまの発信や内に秘めた想いを大切にしながら、一人一人の声を聞きながら作っていきたい。なによりそのためのサークル化です。
だけどやはり一番は書くこと。「わたしの筆」のままに、想いのままに。
そしてそれは、矛盾しているようだけど、一人でしかできない。
最後は一人で筆をとる。
しかしだからこそ、べつのだれかがあなたの筆を見つめていることにも意味がある。つまり一人ではない。
最後は一人で筆をとる。だけど僕たちは、一人じゃない。
◇◇◇
もうそろそろ終わります、ほんとに。
開設から今までのnote文芸部、どうでしたか?
楽しかったですか、そうでもなかったですか。
まさに白紙のようなまっさらの画面に、こうして文字を打ち、あなたに呼びかける。いまだに慣れませんし、届いている保証はどこにもないです。
しかしどうしてもサークルが始まる前に伝えなければならないと感じたから、こうして書いています。
僕たちは一人でありながら一人じゃない。
こう考えれば、なんか安心じゃないですか? そうでもない?
最後の最後に、もう一度書きます。
わたしはわたしの筆をとる。
最後は一人で筆をとる。だけど僕たちは、一人じゃない。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
いつでも待っているけど、いつかまた。
2020.2.7 神谷 京介