「1000文字に込められた想い」作家紹介④ 文豪りんごさん
皆さま、こんにちは。note文芸部:note非公式部活動 のはるです。
本日は作家紹介記事第4弾をお送りします。今回紹介させて頂く作家さんは、文豪りんごさんです。
1000文字小説でお馴染みの文豪りんごさん。短い文章のなかに込められたメッセージの深さには、毎回驚かされっぱなしです。今回この記事を書くにあたり、過去の作品にも目を通しました。どれ一つとして同じ色のものはありませんでした。全て紹介したいという気持ちを抑え、悩みに悩んで決めた7作品に絞ってご紹介させて頂きます。
ぎゅっと濃密に圧縮された1000文字の独特の世界観を、どうぞご堪能ください。
「きれい」
「わたし、きれい?」
そう聞いた少女の瞳は、どんな色だったのだろうか。濁っていただろうか。それとも澄んでいただろうか。そんなことを思いながら、読後しばしの間、物語の世界から抜け出すことが出来ませんでした。
「きれい」という言葉が持つ響きは、美しさだけではありません。畏怖、恐れ、羨望、執着。ゾッとするような”こわさ”をも併せ持つその言葉。それに囚われた人々は、痛みを顧みることもなくひたすらにそれを追い求めます。流れ出るものの尊さに、気付くこともなく。
この質問にどう答えるのが正解なのか、私には分かりません。「きれいだよ」と答えてあげたい一方で、そう答えたらおしまいな気もするのです。
もしもこの少女に同じ質問をされたなら、あなたは何と答えますか?
「おかあさん」
すべての窓の外に夕陽が咲いているような、ほんとうに、うつくしい夕方だった。
この一文が表す色のまま、とても優しく温かい作品です。母が子を想う気持ち。子が母を想う気持ち。不器用でも、こうして互いの心が折り重なるように存在しているのなら、きっとその想いはいつまでも親子を温め続けるのでしょう。
伝えることは、ときにとても難しいと感じます。でもそれは余計なことを考え過ぎなのかもしれません。もっとシンプルに、もっと素直に。想いは伝え合ってこそ育めるもの。
こんなふうに手渡すことが出来たなら、そこから世界はほんの少し優しくなるのでしょう。そうして生まれた幸せは、必ず連鎖していく。その光景を、この作品の先に感じることが出来ました。
「モンスター」
嫌なことがあったら、自分のなかに入れてはいけないんだ。勇気を持って、世界に、突き返さなきゃいけない。
この一文を読んだとき、私はとある分岐点にいました、決意したことが自分のなかでグラグラと揺れていて、真っ二つになってしまいそうな感覚に襲われていました。そんなとき、たまたま巡り会えたのがこの作品でした。
私のなかにも、モンスターがいました。もう随分と長いこと、そのモンスターは私のなかでゲップをし続けました。そのたびに私もこの主人公と同じような感覚に陥っていました。
取り入れる必要のないものを無理矢理飲み下しては消化不良を起こす。そんな人は、案外多いように思います。勇気を持って突き返す。それが出来るまでには、たくさんの勇気と覚悟が必要です。でも諦めなければきっと出来る。そのとき、あなたはあなたのなかのモンスターと知らぬ間にお別れをしているでしょう。
私のなかに、もうモンスターはいません。モンスターの最後の台詞が、優しい響きを持って私のなかでいつまでも息づいています。
「こじき」
からん、と乾いた音がするのだ。人の恵みとは。
乾いた音は、更に人を乾かせる。恵まれるほど乾いていくのは、人の性なのだろうか。からん、という音が聞こえてきそうな、心がひりっとする物語です。
こじきの目の美しさに気付ける人間で在りたいと思う一方で、そっと置かれた一文が胸に刺さって抜けません。気付かれたいものは、気付かれる努力をするべきなのでしょう。その為には、いかなる乾きとも向き合っていくしかないのでしょう。
私たちはいつも何かに飢えています。それは目に見えぬものかもしれないし、目に見えるもので代用された”からん”という音のせいかもしれません。
「わたり鳥」
わたり鳥は、この最後の瞬間を、どうしても生きなければならないと思った。
生きるとは何か。命を燃やすとはどういうことなのか。それはきっと、人によって様々だと思います。
わたり鳥が最後に響かせたものは、確実に読み手の心のなかでも確かな重量を持って響き渡るでしょう。その音色はあまりにも儚い。そして、それ以上に美しい。
生きる喜びを感じられるのは、果たしてどういうときなのか。今一度、自分に問いかけてみるのもいいかもしれません。もしそれが見えているのなら、見ないふりをせずに声を震わせてみたら何かが変わるかもしれません。
自然の一部であること。生きていること。生かされていること。その美しい連なりのなかで、どのように命を扱うのか。わたり鳥の声に耳を澄ませてみてください。きっと、自身の声が聞こえてくるでしょう。その声は、あなたの行く先を照らす道しるべとなるでしょう。
「くらげ」
そうして、くらげは孤独になりました。
ただ、くらげと星々だけが、くらげにとっての海となりました。
美しいと思うものがこの世には溢れています。その世界は、すぐ隣にあるかもしれない。自分が生きるには届かない世界かもしれない。どちらにしろ、それに奪われた心は全てを捨て去ってしまうこともあるでしょう。でもそれは本当に「捨てた」ことになるのでしょうか。
何かを得るとき、何かを失う。それは一種宇宙の法則のようなところがあります。もちろん両方を手に入れられるときもあるでしょう。ただ、相半するものをいっぺんに手に入れるのはきっと難しいのでしょう。
きらきらと光るものに心を奪われるのは、無理からぬことです。自分が持っていないものほど眩しく見えてしまう。それに手を伸ばすのか、背を向けて諦めるのか。
作者であるりんごさんも言及しているように、正解も不正解もないのです。答えを決められるのは本人だけ。それだけが、きっと真実なのです。
「月夜の池」
運命、そして出会いとは、お互いを必要とすること……。
人は誰かに必要とされることで生きる力が湧いてきます。生かされているときよりも、誰かを支えていることを感じられるときの方が”生きている”と思えるものです。
孤独を感じながら生きていた鯉と、ひとりの男。互いにぎりぎりの分岐点にいた二つの命。その不思議な出会いを、人は”運命”と呼ぶのでしょう。
心の奥にそっとしのばせておきたい、そんな素敵な物語。
***
とても厳しく、とても優しい。相半する二つのものが共存している不思議な世界観。そんなりんごさんの掌編小説は、読んだ人の心に深い余韻を残します。
刺さる一文がありながらも、激しく波立つ荒々しいものは感じられません。言うなれば湖のような、凪いでいる水辺。そこに集まってくる様々な渇きに飢えた人たちの心に、都度必要なものをさし伸べる。
”選び取るのは、あなた達だ”
そんなメッセージが聞こえてきます。
毎晩眠る前に一作品。静かに落ち着ける場所で、その世界に心を浸してみてはいかがでしょうか。
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