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二人きりの時間で、「上の子可愛くない症候群」が一発解消した話。

巷で話題の厄介な病「上の子かわいくない症候群」

二人目以上の出産後、これまで溺愛していた上の子がかわいいと思えないことに悩む母親は意外と多いんだとか。
わたし自身次男出産を機に、ひとりっ子時代には分身のように感じ、少しの陰りもなくぞっこんだった長男との関係に悩んだ一人。
「悩んだ」と過去形で書いたけど、今日の朝10時までは現在進行形だった。

世間では「上の子かわいくない症候群」と呼ばれているらしいけど、「かわいくない」とは全然思っていない。めちゃかわいい。
けど、理屈ではない生理的違和感のようなものが突然湧いてきて、特に次男の授乳中には症状が悪化した。
かわいいのに体が拒絶する感じで、愛する息子にこんな感情を抱いしまうことに罪悪感が募り、ますます自然に接することができなかった。
多分、動物的な反応だったんだろうな・・・。
時が経つにつれて慣れたのか、薄れたのか、それほど苦労しなくなったけれど、それでもひとりっ子時代のような「手放しに愛してるぞ!」っていう感覚は無くしたままだった。


長男と丸一日デートしてみたら、
開始5分で蘇ってきたあの頃

次男が生まれてから、長男とみっちり一緒に過ごした時間はどれだけあっただろう。
丸一日・・・となると、お兄ちゃんになってからははじめてのはずだ。
育休も残すところ1週間を切って、「これまで次男とはずっと一緒に過ごしたから、長男とデートでもしてみるか」という単なる思いつきだった。
次男を慣らし保育に預けて、二人でお台場に出かけることにした。

駅の駐輪場に自転車を置いて、手を繋いで「楽しみだね〜」と話しながら駅まで歩くほんの数百メートルで、今まで喉につかえていたようの違和感がほぐれて水に溶けていくようになくなった。

晴れ渡ってあたたかなお天気のせいかもしれない。
いつの間にこんなに歩けるようになったんだろう。
いつの間にこんなに大きくなったんだろう。
毎日一緒にいたはずなのに見えていなかった長男の姿。

ただ手を繋いで歩いていただけなのに、横断歩道を渡りきるまでに涙目になっていた。
有り余る愛情をどうしたら良いのか持て余したあの頃の感覚が蘇ってきた。

長男が1歳になる直前、同じように育休最後の日に上野動物園に行った。
別に今生の別れって訳でもないのに、明日から彼の全てを目に焼き付けられないことが身を切られるようで、全て投げ出して出勤するのをやめようかと本気で迷いながら飲んだコーヒーの味まで思い出した。
そして、大きくなってもやっぱり小さい我が子に、心臓の裏側から愛おしさが溢れ出してきた。

その子ひとりと向き合うと心に決めることが処方箋

まだまだひとりで歩くこともできない次男の登場により、私は動物的に、長男に守られる側から一緒に守る側に立ち位置の変化を求めていた。
そして、肌身離さず次男が付着している私が、長男だけにコミットする機会は隙間時間レベルだったと思う。
それが、家事からも仕事からも次男からも離れて、彼だけに身も心も時間も注ぐと決めたら、いとも簡単に病みは癒えた。
そういえば、彼だけに全てを注ぐということは、次男が生まれる前当たり前に毎日していたことと同じだった。

もちろんこの処方は万能ではないと思う。
一時的な効果かもしれない。
でも、こうやって子ども一人一人と向き合う時間は、私自身もまた子供からの愛情を余すことなくよそ見せず受け取ることができるとても贅沢なもの。
お互いが満たし合う時間を過ごすことで、あの頃とは少し違っていたとしても、大切な存在であることは確認しあえるはず。


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