鷹の舞の秘密
※この文は、演劇「破門フェデリコ」についての下記アンケートに基づき、記しているものです
https://x.com/noanswerbutq/status/1830964630845637088
なので、「前情報ゼロで観たい方」(ちなみに僕は映画の場合はそうです。予告すらも観たくない)は、ご観劇前には読まないことをオススメします。noteはいつも、零細化を極め、去る人ばかりのテレビ業界へのせめてもの「抵抗」として有料で書いておりまして、これもそうしますが、大事なところは無料にしました。もしいいね!と思ったら、課金頂いて全文読んで頂けるとうれしいです。
では、「鷹の舞の秘密」。開陳します。
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本作で最大のモチーフとなる数「8」にちなんで、鷹の舞の8つの秘密を解き明かそうと思います。
まずは第1の秘密から。
第1の秘密「なぜ舞の場所はあそこか」
「破門フェデリコ」という戯曲を執筆するにあたって決めていたことはいくつかありました。いちばん最初に決めたのは、「戦を、戦ではない方法で止める」こと。史実のフェデリコ2世がまさにその方法で100年以上続いた十字軍の戦を停戦=止めているからですが、もう1つ、史実のフェデリコ2世の生涯において、印象的な「停戦」があります。
それは、バチカンの包囲。
1241年、宿敵たる教皇グレゴリウス9世がいるバチカンを、フェデリコ2世は包囲しています。その直前、ヨーロッパ中の高位聖職者を集めてフェデリコ2世の皇帝廃位を強制的に決めようとしたグレゴリウスに対し、フェデリコは、各国から集まってくる聖職者が乗った船を海上で捕縛するという手段に出てまでそれを阻止しました。破門は3度受けても構わず政治を続けていたフェデリコですが、戴冠式で戴冠させられたのは聖職者によるものであり、その時神に従うという誓いまでしてしまっているものですから、「皇帝廃位」だけはもしかすると本当にやれてしまうかもしれない。それを絶対に阻止しなくてはならないという思いから海上捕縛まで行ったフェデリコ。その後、一気にバチカンに進軍し、包囲したのです。イタリアの研究者は、「この時、聖職者たちは誰もが死を覚悟した」といいます。
―――しかし、フェデリコは。バチカンを包囲したにも関わらず、弓引くことも、バチカンの内部に進軍することも一切なく、「撤退」しました。
これはなぜか?フェデリコといえば一抹の信心もあった、とか、老いた教皇への憐れみであった、とか、単なる脅しでもとから攻め込む必要は感じていなかった、とか、さまざまな推測はなされていますが、フェデリコ自身がそれを語った文章などは残されていないので、結論は出ていません。
しかし、「止まった」のは事実。バチカンを包囲するという行いはそもそもキリスト教徒であればやることはできてもやってはならない行為なので、相当の覚悟と憤りがあったはずのこと。そんな覚悟を翻し、憤りを収めさせた「何か」があったのではないか―――あとは、戯曲であれば想像して描ける世界。そんな思いから、舞台はあそこにすると決めました。
第2の秘密「なぜ"父と子"か」
では、あそこ=バチカンで、「何」があったとして描くか。執筆の前に年表を書いたのですが、「あ!」と興奮して気づいたのを覚えています。
フェデリコの人生を辿るなかで、バチカン包囲のすぐ後(死去と葬儀が離れている可能性もあるので2ヶ月後〜1年半後まで諸説ありますが、「後」であることは変わらず)に、息子ハインリヒが、没している。
ハインリヒの死については、その愚かさと悲劇性が亡き後から強調されてきました。偉大なる父に反旗を翻し、結局王位を捨てることとなり、幽閉されて、失明させられて、嘆いた末に「自死」したと。ただこうした「愚かな皇子」のイメージは、多く、フランスで記されたものであることに注意が必要だと思ってきました。フランスは当時は聖王ルイの治世。ルイは、聖王というその通り名で知られるように、カソリックの信心が「異常なまでに」深い人物です。そんな彼の治めるフランスでは、フェデリコは鼻つまみもの(ルイ自身はフェデリコがエルサレムを奪還したことにシンパシーとジェラシーを感じていたきらいがありますが)。その息子を「こきおろす」ことで、父子もろとも地獄に落とすことができる・・・そんな狙いすらフランス側の記述には透けて見えます。
しかし私の書いた物語では、息子はそんなただの「愚かな皇子」にはしたくありませんでした。フェデリコは、自身の懐で最も愛した詩人を息子につけていましたが、その詩人はこんな詩を残しています。
この詩が、父から子へ向けられた後悔の思いとして読めて仕方ありませんでした。そもそも大事なドイツの王を任せていた息子ハインリヒ。あの頭脳明晰なるフェデリコが、「愚かな皇子」にそんな大任を任せるだろうか・・・
皇子のイメージをガラリと変えて描きたい。そう思った時から、あのバチカンのあの時、「何」があったか。その「何」を担うのは息子にしよう。そう思って記しました。
第3の秘密「なぜ詩か」
なぜ詩か。それはシンプルにこの一言につきます。
上田竜也さんだから。
本作の出演者のなかで、主演の佐々木蔵之介さんに続いて「この人!」となったのが上田さん。
本作は何せ14年越しの思いで書いているので、読んできた資料も、資料だけでは語れぬ想像の部分も相当山のようになり、エスプレッソのように煮詰められていて「さてどう語るか」と悩むことも多かったのですが、皇子を上田さんが演じる、となった途端に一気に執筆のスピードが加速したのを覚えています。
そして、バチカンの「あのとき」。本作では1幕のハイライトがエルサレムの無血開城となるなら、2幕はあのバチカンのあのときがハイライト。ここを上田さんに担ってもらう・・・となったら、それは「韻律」だろう!と決めました。ラップ、というと随分現代的な響きとして捉えられますが、中世にも吟遊詩人はおり、その言葉のリズムとフロウで聞く人々を時には魅了し、時には癒し、時には煽り、時には挑発し、時には未知なる次元に導き、そして時には怒りを収めさせてきました。
私は上田さんがご出演と決まってその楽曲をかなり聴き込み、ライブ映像を見まましたが、ご自身でラップ詞を書き、あれだけの大きな会場を湧かせる方。これは、吟遊詩人になって頂くしかない。そう思って、「詩」の筆を取りました。
第4の秘密「なぜ舞か」
もう1つ、なぜ、その「詩」を、舞として伝えるか。
これは、「コドモたちを参加させたかったから」ということにつきます。
フェデリコという人は、人類史上でも稀有なほどの大きな才能と実績と実行力を持った人物です。しかも皇帝。RPGのラスボスとして登場してもおかしくない破格の人物。そんな人物が物語上のバチカンでは「暴走」しているのですから、ありふれた言葉、ありふれた力では止めることはできません。
ハインリヒ1人でも。
ハインリヒ1人だけの力では、結局親子の「情」の物語として回収されてしまう。もちろん親子の情はあの場を駆動する大きなエネルギーではあるのですが、それだけではなく、何か得体の知れない力、言葉にはならない力をもってせねば、フェデリコは止まらない。そのとき、コドモたちを共に参加させることを決めました。そして、参加の方法とすれば、彼らの言葉=音も含めた身体言語で参加させたい。
幸いにして本作には、天下一のダンサーにしてムービングディレクターの平原慎太郎さんが参加いただきました。東さんの演出と、平原さんのお力をいただければ、これはとてつもない「歌う舞」にできる・・・そんな思いで書きました。
ここまででほぼ、語りたいことは終えました。
ここからかなりマニアックな思いになりますので、お好みでお読みくださいませ。
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