
私と離人症
初めまして。
かれこれ21年間離人症と付き合ってきたのらと申します。
こうして書き起すのは初めてなので、拙い文章になる事をお許しください。
この3ヶ月間で長年連れ添った離人症と別れる事が出来ました。
この体験が、今も離人症で苦しんでいる方や離人症かもしれないとお悩みの方、興味のある方に少しでも希望となれば幸いです。
離人症との出会い
それは突然でした。
今思えば機能不全家族というのが相応しい家庭で育ち、親友というものも居ない、そんな中学1年生に上がって間もない12歳の夏頃。
夜、自宅の湯船に浸かり、ぼんやりと自分のその当時の状況について考え事をしていました。
家族の喧嘩の様子、音、恐怖、そして学校で受け始めていたいじめの場面、そんな事を思い返しながら浸かっている湯をじっと見つめて。
何故自分はこんな環境に居るのだろう、何が駄目だったんだろう、自分が悪いのだろうか、そんな考えがとめどなく頭の中で溢れて居ました。
そうして、はっと顔を上げたら、もうそこは知らない世界でした。
知らない世界というと大袈裟かも知れませんが、見えているもの全てが知っている筈なのにわからない、聞こえる音も確かでは無い、触れているものも実感が無い、何もかもわからない。
これが離人症の始まりでした。
離人症で生きて
発症してから一度も、私は現実感が戻った事がありませんでした。
当時あったいじめも、所謂優等生や一般生徒といった教師たちにとって問題の無い子達からの無視だった為、離人症になった私にはダメージが大きく『自分は本当にここに居るのか』と問い続ける日々。
家に帰っても空気のようにしていないと痛い目を見る為何も無いように過ごし、感情を押し殺していく。
そうしているうちにうつ病も併発しました。
内面の辛さより先に身体がSOSを出したようで、その頃から頭痛、吐き気、めまいに襲われるようになりました。
身体症状が現れてからようやく内科を受診、しかし身体は健康そのものだった為心療内科を勧められしぶしぶ受診。
言葉にするのが難しい離人症の感覚をどうにか訴えようとしましたが、中学生と云う事もあり”厨二病”扱いで、適当な診断書を書かれて終わりました。
体調を崩してからは不登校気味になり、保健室登校を経て部活だけ登校に。
私は吹奏楽部でコントラバスを担当して居た為、身体に直接音の響きが伝わるコントラバスとは相性が良く、練習の時だけは離人症を少し忘れる事が出来ました。
顧問もその様子を見て特別に部活だけ登校を許してくれました。
そんなこんなで学生時代はほとんど不登校ではありつつも、楽器の練習だけが心の支えとなり、その練習の一環で発声練習等に参加するようになり声が褒められる事が増え、芝居を齧り、その芝居を活かして仕事を転々とし生きて来ました。
それぞれの時代の体験も後に記事にしたいと思いますが、一先ず離人症で生きている間ずっと心を蝕んで居たのが”寂しさ”でした。
離人症の寂しさ
現実感を失い、見えているもの全てが曖昧で、夢との境目も判らず、直接的な感情が湧かない。
人と居ても「本当にこの人は実在して居るのか」と不安になり、同じ空間で同じ景色を見ていても共感出来ない。
見えているもの触れているもの聞こえているもの、全ての物事を一度考えて受け止めないと、目の前にある景色を認識出来ない。
それがとにかく寂しかったです。
見えない膜で覆われて居るような、隔てられて居るような、そんな状態で、どれだけ楽しい筈のことをしても悲しい場面でも嫌な事をされても喜怒哀楽が自然に湧いて来ない、とても虚しく辛い、寂しさだけが募っていきました。
勿論、離人症の感覚も個人差があるので私のこの感覚もあくまで一例です。
しかし、当事者活動をしていく上で他の当事者の方々からもこういった寂しさによる”孤独感”のお話は聞きました。
離人症の孤独は一人でも、友達がどれだけ居ても、愛する人が居ても、大切な人が居ても、簡単に拭えるものではありません。
手を握ろうが抱きしめようが、その実感を得る事が難しい。
得たとしても直後にその感覚が消えていく為、本当にあった事なのかわからなくなる。
しかし、そういった現実感の無さで自然に楽しんだり喜んだりする事が難しくても、離人症は感情を失う訳では無く、寧ろ在る筈のものを感じ取ろうと一生懸命になって、思うように感じ取れない虚しさで寂しくなるんです。
私は離人症の一番の辛さはこの”寂しさ”だと思っています。
21年振りの現実感
冒頭でお伝えした通り、私はついに離人症の状態から脱する事が出来ました。
その詳しい経緯は次の記事で書こうと思いますが、一言で言うと『あらゆるトラウマを断絶する』という感じです。
これはまた後日。
およそ小学生ぶりの現実感、それを実感した時は全てが眩しく鮮明で、少し怖かったです。
映像で観ていただけの世界が急に現実になる、そんな感覚だと思います。
現実感戻りたての時は、小学生の頃の感覚に依存して生きてきたせいか子供向けのデザインの物などに物凄く惹かれました。
元々子供向けの商品の色使いが好きなのもありますが。
全てが新鮮で、眩しく、わくわくして。
『童心に帰る』とはよく言いますが、まさにそんな状態でしばらく過ごしました。
しかしそうして居るうちに、周囲の人達との関わりを再開するに連れて実年齢の感覚と欲求の間に乖離が生じてきます。
遊びたいこと、表現したい事、成し遂げたい事、あらゆる事が12歳の自分と実年齢の自分の欲求で揺らいでいてとにかく不安定。
その為暫く日常生活の刺激を減らし、自分が今本当に必要としているものは何か、問い続けながら生活し、やっと今穏やかと言える状態になりました。
そんなこんなで今やっと人生で初めて自分の感情がわかる、些細な事すら幸せだと感じる心持ちに成れました。
だからこそこれからも離人症の事をより多くの方に知って頂くため、活動を続けて参ります。
認知が広まる程医療の分野でももっと離人症についての研究が進むかもしれないし、伝えるのが難しい感覚に離人症という名が付く事で安心する人も増えるかもしれない。
自分が欲していた支援が増えるかもしれない。
やっと元気になった自分だからこそ、これからも動きます。
そんな私の離人症戦歴をまた書き綴っていきますので、気が向いたら読んであげてください。
イベント等でお会いしたらお気軽にお声がけくださいね。
それではまた次回。