喜ばしい日と鬱転。
息子から突然、電話があった。
重いPMS強い眠気からベッドに溶け込むかの様に項垂れていてけど飛び起きた。
第一志望の企業に入社が決まったから、せっかくだから電話で伝えたかったとの事。
一次面接後、彼はとても自信を無くしていて心臓が痛いと言っていたし
同じ大学から誰も行って無い、会社。
みんなが憧れる安定した会社。
報告をしてくれる息子は声からも伝わるほどキラキラしていて希望に満ち溢れていた。
私も自分の事の様に嬉しくって。
電話を切った後、急に鬱転した。
元々鬱転気味だったんだけど、更に。
嬉しい、とても嬉しい。
でも、私の手からまた一歩離れるね。
親としての勤めが終わりに近づく。
『そうだね、これでまた存在している理由がまた一つ減ったね』
私の中の鬱が私が要らない理由を探して突き付けてくる。
『私の社会人人生の最後はどうだった?』
思い出したくも無い記憶を引きずりだしてくる。
「あの人、暇になると人を攻撃してくるから気を付けてね」
上司から最初に告げられた忠告がお局様の取り扱い。
何故、そんなひとをのさばらせてくのか。
“できる女”だと思い込んでいるだけで何もしない。
自分より目立つ女性に攻撃をし、上司の立場を利用して人の努力、売り上げをあたかも自分の手柄の様に振る舞う。
長く勤めてると言うだけの厄介な人。
挙句私は心を病み、休職し双極性障害という事実を突きつけられ
会社の産業医の勧めで申請した障害者手帳は二級。
10年勤めたって障害者を正規雇用のままにしておきたくなかったのだろう、退職を勧めてくる人事。
息子にはこんな人生になってほしく無い
人に恵まれて生き生きと仕事をしてほしい。
私は、私は、私は、私は…
嬉しいはずの日なのにボロボロと溢れる涙。
嬉し泣きのやつじゃない、いつも駅のホームに立ってる時に出てくるのと同じ涙。
『惨めだね、情けないね』
私の中の負の部分は容赦なく私の傷に塩を塗る。
生きてて良い理由が一個減ってしまったわけでは無い、今死んだら子供達に迷惑がかかる。
応戦するけど負の感情はとても強い。
『肩の荷が降りるね、これから1人だね』
頓服を書き込んで涙を流して虚なまま横たわって効果を待つ。
お祝い、何が良いかな。
彼にはどんな未来が待ってるだろう。
親の都合で離婚して散々迷惑掛けたから、これからは自由に好きなように生きて欲しいな。
あ、でもたまには前みたいに海行ったり山行ったり付き合って欲しいな…
頓服が効いたのか、気付いたら負の感情はどこかへ行ってた。
夕飯時になって他のことをしだして忘れたのか、何なのか。
私の心ってなんだろう、薬一つで変わってしまうフワフワした形のない物。
あの負の感情も私の考えなんだろう。
私って誰なんだろう。
繰り返し…
“障害”が何だか分かっていない
または分かっているけど受け入れられていない。
あの黒い負の感情こそが障害の症状なのか。
よくわからない。
明るい未来ばかりを描けないのは
暗い経験がまた起きるかもしれないと言う恐怖感からなのか。
障害なのか。
よくわからない。