小ホラ 第13話
舞斧
「大みそかやのにぃ、こないな辺鄙な村へよう来んさった。せやけど取材いうんは嬉しいもんやのぉ、何十年ぶりやろぉ」
そう言って村の古老が笑う。一本しかない黄色い歯が見えた。
「お忙しい中、取材を承諾してくださりありがとうございます。これは些少ですが――」
玄関先で菓子折と一緒に謝礼を入れた薄っぺらい封筒を差し出すと老人は目を見開きシミだらけの骨ばった手を横に振った。
「いやいやぁ、こんなもんもらえやんでぇ」
「気持ち程度ですので、どうぞお受け取りください」
「えー、そうかぁ、ほなら、遠慮のう、貰とこうかのぉ」
山村の風習を取材している私は、これでやっと一冊の本にまとめられると心躍った。
私が追い求めているのは、ごく普通の田舎によくある風習などではなかった。秘境の村に残る、今でも世間に知られていないようなものを取材していた。
どこもかしこも近代化され、秘境の探索は困難を極めていたが、これでいったん一区切りがつく。
とはいえ、消えていきつつある村々、忘れ去られていく風習はまだまだある。それらを求めて探索は続けるつもりだ。
新たな決意を前に、まずこの取材をやり遂げなければならない。
この村で取材するのは『舞斧』という祭事だった。
「見るの楽しみです」
「なんも珍しもんやないでぇ。餅つきの代わりに薪割するだけやかいのぉ」
「いや充分珍しいですよ。餅の代わりに薪だなんて。しかも舞いながらですよね」
「そうやぁ。大昔、不作の年にのぉ、正月につく餅米無《の》うて――まぁ、餅米だけやのうて、なぁんもなかったんやろけどなぁ。ふぁふぁふぁ」
空気の抜けるような笑い声を上げ、古老は続ける。
「せやけどなぁ、そりゃあんまりやでぇ、餅つきの真似事やいうて薪割しょうかてなったらしんや。動き似とうしな――それが祭りごとになったんやろなぁ」
「舞は、せめて陽気に、ということなんでしょうか」
「あー、あの舞はなぁ――」
「おとう、準備できたで」
古老によく似た雰囲気の男が開け放したままの玄関戸から顔を覗かせたので会話が途切れる。
「お邪魔してすみません」
私が頭を下げると向こうも軽く頭を下げ、「おれは戻っとるで、早よきてや。みな楽しみしとるで」とすぐその場から立ち去っていった。
上がり框に座り込んでいた古老がのっそり立ち上がると「ほな行こ――こっちやでぇ」と長靴を履いて外に出た。
その場に荷物を置かせてもらい、カメラだけ持って後をついていく。
家の裏手にある小高い山の石段を古老が上っていく。意外と健脚でついていくのが大変だ。
下からはまだ祭りの様子は窺えないが、練習しているのか楽器の音色が途切れ途切れに聞こえ、揺らぐ炎の明かりが周囲の木々を照らしているのが見えた。
大きな古い木製の鳥居をくぐり、神社の境内へ入っていくと老若男女問わず村人たちが賑わっていた。
護摩焚きのような大きな焚火の前に注連縄を巻いた大きな切り株があった。そこに斧が突き立てられ『舞斧』の準備は万端だ。
ひときわ賑やかな一角では餅つきが始まっていた。子供たちがきゃっきゃっと周りを走り回っている。
「餅つきはちゃんとあるんですね」
「そりゃそうだぁ。正月はみな餅食うきまっとるで。ふぁふぁふぁ。時代の流れにゃ逆らえんかったで、もうここ何十年、ふつうの餅つきしかやっとらんかったなぁ。
せやけど、あんたが見たい言うてきたんでぇ、久しぶりにしよかぁなったんや」
それを聞き、あの薄い謝礼では申し訳ないと私は恐縮して頭を下げた。
「かめへんでぇ、若いもんもいっぺん『舞斧』見たかった言うとったし、みな喜んどるでぇ」
人良さげな笑顔がさらに広がった。
どんどんどんと太鼓が鳴り始めると、ばらばらに鳴っていた楽器がいっせいに止んだ。
「そろそろですね。見学はどこでやれば――」
「どこでもええで、写真撮るんやろ? よう見えるとこへどんぞ」
「邪魔になりませんか?」
「なれへんなれへん。そこは舞手がうまいことやるよって」
「あ――さっきその舞について何か説明が――」
「おっ、始まるで」
太鼓の音に陽気な笛と摺り鉦の音が加わり、本格的に祭囃子が始まった。
また会話が途切れたが、古老が指さすほうに私の目は釘付けになった。
斧を取った舞手――菅笠と蓑を着た屈強な男、顔には白い布が巻かれている――が、切り株の周囲を回っている。
手に持った斧を軽々と振り上げ、スキップするような足取りで、身体を曲げたり伸ばしたりしながらテンポよく舞っていた。だが、音頭に合わせているものの型は決まっていないらしく動きが次々に変化した。いわゆるトランス状態ということなのだろう、古老が教えてくれようとしていた舞の意味が見て取れた。
村人たちも、見物しているその場で音頭を取り、手を上げ足を上げ、舞手に合わせて踊り始めた。
私は夢中でシャッターを切った。楽しそうな笑顔の村人たち、激しさを増す舞手の動きなど、どんどんカメラに収めていった。
しゃがみ込んで写真を撮っていると、踊る白布の顔がよく見えた。目の位置に穴が開いて黄色く濁った眼球が私を睨んでいる。
邪魔な位置にいることに気付き、慌てて後退ったが、見物の輪から走り出てきた数人の村人たちに切り株の横まで誘導された。中に古老の息子がいて、ここで撮ればいいと勧めてくれた。
申しわけないと恐縮する私に息子が「かめへん、かめへん」と笑う。
フレームを覗くと、確かにさっきよりも臨場感のある写真が撮れそうだ。餅つきの動作で踊りながら近づく舞手の目に映る炎の揺らぎまで見えた。
一区切りに相応しい秘境の風習だと私の心は弾んだ。
カメラを持っていなかったら一緒に踊りたいほどの祭囃子を足先でリズムを刻みながら、陽気に楽しむ村人たちと鬼気迫る舞手を交互に撮る。
いつの間にか古老が切り株の脇に立っていた。合いの手役なのか、よく乾いた薪を切り株の上に置く。
私はカメラを構えた。
切り株の前に立った舞手が杵に見立てた斧を振り下ろす。
見事なまで真っ二つに薪が割れ、ひときわ大きな歓声が上がった。
合いの手が次々と薪を置いて舞手がどんどん割っていき、見物人たちの歓声が続く。
それはもう餅つきにしか見えなかった。
昔の人がこれで艱難辛苦を乗り越えたのだと思うと、涙が浮かんだ。
その時、大きなどよめきが起こり、さらなる歓声が沸き起こった。
だが、その理由が私にはわからなかった。
目の前に構えていたカメラを下草の上に落としたからだ。
しっかり持っていたはずなのになぜだ? いい場面を取り損ねたじゃないか。
拾おうとうつむいた視線の先には、カメラをしっかり持った自分の腕が落ちていた。
? これは何だ? どういうことだ?
理由がわからないまま目を上げると、古老が満面の笑みを浮かべていた。
「舞うのはのぉ、薪の気ぃそらすためや」
「え? それはど――」
訊き終わらないうちに視界が飛んでくるくる回った。
さらに大きな歓声が聞こえたが、いきなり目の前が真っ暗になって何が起こったのかまったく見えない。
耳元で古老の声がした。
「楽しい間ぁに割られるいうことやぁ、なぁんもわからん間になぁ――痛ないやろ? 怖ないやろ? ふぁふぁ――」
声がだんだん小さくなり、意識が薄れていく。
「あんたのおかげでぇ、久しぶりに薪喰えるでぇ、おおきにおおきにぃ――――」