小ホラ 第8話
ミスリード
「――ということでみなさん、きょうもたいへんですが、頑張って乗り越えましょう」
「はいっ」
店長が朝のミーティングを締めくくり、一同が返事をする。
どちら側も連日の気苦労で覇気が感じられない。
依美は心の内でため息を吐いた。
レジ袋廃止でマイバッグなどの持参が決まってから、それを利用した万引きが横行するようになった。
防犯カメラの設置や店内放送での注意喚起、従業員の目視などで被害防止に努めるものの万引きがなくなることはなく、日々神経をすり減らされ疲労が溜まっていた。
ただでさえそんな状況なのに、きょうは諸事情でさらに従業員数が少ないという。規模の小さなドラッグストアだし、休日ではないので客足は少ないだろうが、神経をすり減らされるのは辛かった。
それでもやるしかない。
依美は重い足を引きずって自分の持ち場へと向かった。
「いらっしゃいませー」
入口に視線を向けると女性客がカートを押しながら入店してきた。大きなトートバッグを肩に掛けている。
従業員たちの緊張が依美にも伝わってきた。
だが、バッグはレジ用に持参したものではなく普段使いのようで、中身で大きく膨らんでいる。
だから万引きしないとは言い切れず安心はできないが。
こんなご時世とはいえ、大きなマスクに隠れた顔もなんだか怪しく見える。
きっと店長は事務室の防犯カメラで目を光らせているだろう。
その証拠に「マイバッグはレジで使用するまで折りたたんでおいてください」という店内放送が流れ始めた。
あれマイバックじゃないけどね。でも、どっちにしても注意喚起にはなるか――
依美は心の内で独り言ちた。
メモを見ながらカートを押す件の女性が依美の横を通り過ぎる。
「いらっしゃいませ」
依美の挨拶に会釈が返ってきた。近くで見ると人の良さそうな眼差しがマスクの上にあった。
怪しいそぶりもなく、普通に商品を選んでカートに入れている女性客に依美は、この人はだいじょうぶだと安心した。
反対に、いつもより執拗に万引き防止の放送が流れ続けていることに気づいた依美は店長のほうが危ないんじゃないかと思った。
隣の通路にいた同僚が陳列棚の切れ間から顔を出す。
「ね、店内放送ヤバくない? お客様たちが不快に感じちゃうかも」
言葉通り、通路にいる客たちに不穏な空気が流れ始めた。
「わたし止めてくるわ」
バックヤードに向かって走る同僚の背中を依美は見守った。
突然ドアの奥から飛び出してきた店長にぶつかりそうになり同僚が悲鳴を上げた。
それを気にも留めず店長は血相を変えてレジに向かう。
そこではあの女性客が精算している最中だった。
「あのお客様。バッグの中を見せていただけますか?」
店長は大声を出して女性客の肩のバッグをつかんだ。
「なにするんですかっ」
驚きと怒りの表情で女性がバッグを引っ張り戻す。
依美を含め従業員が駆けつけ、客も何事かと騒ぎに注目した。
「店長、やめてください」
レジ担当が止めようとするも店長は一歩も引き下がらず、
「マイバッグはたたんでおけっつーてんのに、この女はっ」
と顔を紅潮させ目を剥いて女性を罵った。
「店長、それマイバッグじゃありませんよ。それにそのお客様はなにもしてません。わたしたちが確認しています。ねっ」
同僚に同意を求められて依美もうなずいた。
店長はそれでも女性のバッグを離さない。
「わかったわ。じゃ、気の済むまで見なさいよっ」
女性がバッグを離し「何もなかったら許さないわよ。こんな恥かかせて」と頬を流れる涙を拭った。
果たして開けたバッグの中身は仕事関係の書類の束、手帳や筆記具、化粧ポーチなどが詰まっていて商品を盗み入れるスペースなどなかった。
事実、彼女の持ち物以外、店の商品は何も入っておらず、レジ袋用のマイバッグは財布の横にきちんと折りたたまれて入れられていた。
店長は憑き物が落ちたように青ざめ平謝りしたが、すでに手遅れだった。
女性は絶対許さないと店長を怒鳴りつけ、レジを通した商品のかごを突き返し、こんなところ二度と来るかと吐き捨てて店を出て行った。
他の客も非難の声を上げ、店内は大騒ぎになった。
買い物を中断して出て行く客が続き、依美や他の従業員たちはただおろおろするばかりだった。
結局、悪評の立ったドラッグストアは閉店を余儀なくされ、依美は現在求職中だ。
閉店の理由はそれだけではない。騒ぎに紛れ、棚が空になるくらい大量の商品も万引きされていたのだ。
店員はみなレジの周囲に集まり、誰も店内を注意していなかった。
頼りの防犯カメラには怪しい動きをする大勢の人が映ってはいたものの、うまく死角を利用したのか、偶然なのか、顔や手元など映っておらず、決定的な犯行証拠は何一つ残っていなかった。
騒ぎに便乗した個々の犯行か、万引きグループの計画的犯行なのかもわからない。
もし後者だとしたなら、あの女性客がグルだったのかどうかも今となっては知る術もない。