北海道遺産シリーズ(13)〜空知の炭鉱関連施設と生活文化
北海道にだって歴史がある。そんな歴史をたどり、未来へ紡いでいく北海道民の宝物。そんな北海道遺産を自身の足(車)で巡り紹介しようとおもう。なお、記事作成にあたって、『北海道遺産 完全ガイド』北海道新聞社 を参考にさせてもらった。
14個目の紹介
北海道の石炭生産の歴史について、chatGPTに聞いてみると、以下のように回答を頂いた。
流行りのchatGPTは、もっともらしく教えてくれるけれど、たまにシレッとウソを付くので要注意。「朝鮮半島からの移民が増加した」は本当なんだろうか。現在、北海道に石炭鉱がないというのも本当なんだろうか(釧路にあるのは海底だから含まれない?)。しっかり事実を調査しないといけない。
chatGPTで楽をしようと思ったが、補足がありそうだ。
北海道における石炭の歴史は、開拓使のいわゆる「お雇い外国人」である、B・S・ライマンさんというアメリカ人の方が、空知地方に鉱脈を発見したのに始まる。三笠市幌内において、官営幌内炭鉱がその始まりで、三笠の山奥から石炭を運び出すのに、幌内鉄道が小樽の手宮に開通され、明治太正にかけて、石炭生産はおおいに隆盛を誇った。
しかしながら、大きな炭鉱事故がつづいたり、石炭から石油天然ガスにエネルギー資源がシフトしていき、昭和50年代にはほとんど閉山されることになっった。
隆盛を誇っていた時代(とくに昭和30年代)、炭鉱の周りには、多くの人々の暮らしがあり、小中学校や娯楽施設などがあったという、それらの施設がいまだに残されている場所もあるが、老朽化が進んでおり、いつ取り壊されるかはわからない。いまのうちに、見ておきたいものだ。
なお、道民には馴染みの深い「北海盆踊り」も炭鉱に暮らす人々が作った文化で、いまでも残っているとのこと。
炭鉱跡地は全道(空知地方が多い)に多く残っているが、全部を訪問できたわけではないが、一部を紹介する。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。