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北海道遺産シリーズ(6)〜大友亀太郎の事績と大友堀遺構
北海道にだって歴史がある。そんな歴史をたどり、未来へ紡いでいく北海道民の宝物。そんな北海道遺産を自身の足(車)で巡り紹介しようとおもう。なお、記事作成にあたって、『北海道遺産 完全ガイド』北海道新聞社 を参考にさせてもらった。
7/67個目の紹介。今回はとても地味である。おそらく北海道(札幌)以外の人は名前も聞いたことがないかもしれない。札幌に住んでいたとしても、よっぽど歴史に興味がある人じゃないと知らないかもしれない。「大友亀太郎」さん
札幌のまちづくりの礎を築いたひと。銅像の説明によると、「札幌開拓の先駆者」という扱いとなっている。幕末(1858年)に、二宮尊徳さんの代わりに、北海道にやってきて、道南中心に、蝦夷地開拓で活躍した。
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なかでも有名なのが、大友堀。
亀太郎さんは、1866年に、元村(いまの札幌市東区元町)へやってきて、そこを開拓するために、用水路を作った。
その用水路は、豊平川から取水(いまのすすきのあたり)し、北へ進み、いまの札幌駅を過ぎたあたりから北東へ掘り進み、元町へとつながり、「大友堀」と呼ばれた。
今残っているのは南北を直線で流れる創成川。これをわずか半年で完成させたとか。土地勘がなければ、なかなかイメージがわかないかもしれないが、地下鉄豊水すすきの駅から元町駅までの用水路をたったの半年で作ったと考えると、その偉業ぶりがわかるだろうか。
創成川は、明治維新後に始まった札幌の本格的な街づくり(いわゆる碁盤の目)の東西の起点になっていて、創成川を挟んで東西に1丁目2丁目・・・となっている。そのため、創成川にもテレビ塔バックに銅像が建てられている。
なお、亀太郎さんは1870年に、北海道開拓事業のゴタゴタに嫌気がさして、北海道を去っている。この開拓時代は、中央政府の方針がコロコロ変わったりして、開拓事業のトップも短期間で変わっている。もっと、腰を据えて取り組んでいたら、北海道はどうなっていただろうか。
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