その背中を追い続けて〜僕のヒーロー布袋寅泰さんについて綴る〜
1994年のとある日曜日。
僕はいつものようにラジオを聞きながら部屋でぼんやりと机に向かって勉強するフリをしていた。
中学校に入って僕はなんとも言えないモヤモヤを抱えていて半年で部活は幽霊状態になるし楽しいことがどうにも見つからなくて音楽を聞いているときだけが落ち着く時間だった。
そしてこの日、僕は雷に打たれて眠っていたものが目を覚ます。
時代は小室哲哉の楽曲がチャートを席巻しつつ小沢健二やスチャダラパーなどの渋谷系が静かに反抗していたりスピッツやウルフルズ、Mr.Childrenなどのゴリゴリではないバンドが次々とデビューした時期だった。
B'zが確固たるポジションを確立した時期でもある。
この頃はミリオンセラーが当たり前のような時代で音楽の立ち位置が今とはだいぶ違ったと思う。
僕はエレクトーンを習っていたこともあってCDを買うお金はそれなりに親が融通してくれたので気になる曲はよく買いに行ったし小遣い自体もCDに使っていた。
ただ僕には何か物足りないというかもっと刺激のある音楽が聞きたかった。
それが果たして何なのか分からなくて音楽でも少しずつモヤモヤを感じ始めていた。
そんなときラジオから流れてきたのが布袋寅泰さんの「POISON」だった。
軽快なベースイントロと歪んだギターリフを聞いた瞬間、僕はボリュームを上げたことを覚えている。
未体験の衝撃とともに僕が求めていた刺激的な音楽はこれだ!と宝物と出会ったような気持ちになっていた。
そして曲が終わるとすぐにCDショップに行ってシングルを手に入れた。
実はその前の年に布袋さんの「さらば青春の光」を買ってよく聞いていたのだけれどミディアムテンポで爽やかな曲調だったので雷に打たれたような衝撃はなかった。
だから僕にとってRockの洗礼は布袋さんの「POISON」だった。
この日から今に至るまで布袋さんは僕の中でずっと頂点に立ち続けている。
1981年生まれの僕はBO∅WYもCOMPLEXも知らないしソロワークのGUITARHYTHMもちょうど終結していたので知る由もない…というよりそういう情報すら当時は手に入らないから謎めいているところも多かった。
最初は名前も「ぬのぶくろとらたい」と読んだくらいだし(その後ほていとらやすと引き続き誤読)テレビに出てる姿から察するにとても背が高そう、いやどう見てもデカい。
そして他のギタリストと違って踊るようにギターを弾いている。
そのくらいしか分からなかった。
けどそれだけで良かった。
僕の本能に火をつけたのは現在の布袋さん。
「こんなカッコいい大人になりたい」
自然とそう思い始めた。
ただ僕にとっては魔法でも若干、教育ママだったオカンとジャズとクラシックを愛でる親父にとっては悪夢の始まりだっかもしれない…
世間的にRockは不良という時代はとっくに過ぎ去っていたけど我が家はまだ夜明け前。
そもそも思春期&反抗期だから親がうっとうしいだけなのに音楽の影響で僕がグレ始めたのでは…と考えだした両親(特にオカン)は余計に口うるさくなりしょっちゅう衝突するようになっていった。
1994年。
僕にとっては夢の始まり。
親にとっては悪夢の始まりだったのかもしれない。
続く
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