見出し画像

わしがノロケ話をする理由

幸せだから。ただそれだけです。
ではまた近いうちに…アディ…
っと終わってどうする、わし。
というかこんな使い古されたマクラ使ってすいません。
はい、ちゃんと書きます。

飲み会でわしがよく耳にするの話題の1つにパートナーの愚痴がある。
特に忘年会シーズンは隣のテーブルやらカウンターやらあっちこっちから聞こえてくる。
「いやウチもよぅ…」とか「いやそれくらいまだマシだぜ?ウチなんかよぅ…」とかそんな感じのお酒がマズくなりそうなアレ。
しかもそこに若い子や独身者がいると「結婚は人生の墓場」的な話を滔々と語りだしたりする人までいる。
聞かされてる方からすれば「それってあなたにも原因があるよね?」とか「ならさっさと離婚しちまえよ!」とか言いたくなるのをグググッと堪えて時間が過ぎるのをただ待つしかない。
誰一人として楽しくない時間だな…と半ば同情しつつ、
愚痴ってる人も結婚した直後はこんなこと思ってなかっただろうなぁ…とか考え始めてしまう。
もちろん結婚生活はキラキラしたフィクションの世界じゃないから現実を伝えることは大事だと思う。
だからといって人生の墓場とか耐え難きを耐えるみたいな負の部分を強調するのもちょっと違うんじゃないかな。
聞かされてる側からすれば「なぜもっと早く解決しようとしなかったのか?対話することから逃げてずっとほっといたからでしょ?自業自得じゃん。つーかパートナーさんがかわいそう」とか思うのも無理はない。
一応、遠回しにそんな感じのことを返しても
「いや、だからよ。相手はよく選んだ方がいいぞ」なんてお説教が返ってきたりする。
その場にいる全員が「お前に言われたくねぇよ」という表情になり、
かなり強引に話題を変えて楽しい時間を取り戻す。
そんな経験がわしにもある。
マジであれは地獄というか色々な理由はあれどパートナーは一方的に悪役を押し付けられてたまったもんじゃないなと思う。
というかパートナーをディスり続けてるのに「いい相手いないの?」とか聞いてきたりするから人間性を疑われる気がしてならないのだけど…。

社会に出てそういうことに辟易したのもあってわしはカミさんのノロケ話を堂々とするようになった。
長いこと付き合ってるのでエピソードは尽きないし、
そのひとつひとつが今に繋がってるから自分の価値観や生き方そのものに与えている影響も大きい。とんでもなくデカい。
わしは生きるうえで「最優先事項カミさん」を原動力の一つにしているから仕事だったりピアサポートについて話したりする上でもカミさんの存在抜きで話すことはない。
どれだけカミさんが支えてくれているのか、応援してくれているのかを脚色せずに伝えると自然と世間で言うところのノロケになってるというだけなので
世間一般でいうノロケとは少し違うかもしれない。
とりあえず「結婚はいいぞぉ〜毎日ウキウキだぞぉ〜」ってなことは言わないしもっと小さな世界というか、
2人の生活で起こるささやかな日々のできごとを伝えてるだけ。

例えば我が家はわしが働いていようがいまいがカミさんの方が帰りが遅いので晩ご飯を作ってカミさんの帰宅に合わせて仕上げるようにしている。
と、玄関を開けた時に「ただいま!」と同時に「外まで美味しそうな匂いがしてるよ!」とか言いながらニコニコしてくれる。
その笑顔にわしはとても癒される。
で、それを美味しそうに食べてくれるのでまた癒される。
癒されるからまた美味しいご飯を作るためにレシピを探したりするのがこれまた楽しい…みたいなことです。
その料理だって別にやたらと手が込んでるわけじゃない。
たま〜にそういうのも作るけど食費との兼ね合いもあるので基本的にごくありふれた料理だと思う。
一応、1ヶ月間は違うメニューを作ることができるし
オカン譲りで味には定評があるぜぃ…ふっふっふ…
美味しいご飯を作ることはカミさんの体調管理も兼ねているから(自分もだね)決して特殊なことをしてる認識はないんだけど
日本は社会的ジェンダーとかジェンダー的役割(いわゆる男性は外で働く、女性は家事をする)に対してまだ固執しているので疲れて帰ってきたら旦那がご飯を作って食べずにカミさんの帰りを待っているだけで良き夫、
ラブラブ夫婦扱いになることがある。
わしからすると当たり前のことなんだけどね。
夫婦は支え合いだから。

あと仕事帰りに時おりシュークリームとか甘いものを買って帰ることがある。
たまに花を買って帰ることもある。
これもカミさんのためというわけじゃなくて、
わしもシュークリームが食べたいから買うだけだし、
花もわしが好きだから買うついでにカミさんの好きな花を一緒に選んでるだけだったりする。
わしがカミさんのためだけに花を買うのは桃の節句に飾る桃と誕生日くらい。
普段は最近ちょっとお互い疲れてるから明るい色のお花でも買おうかなとかそんな感じなんだけど、
まぁ周りからは花を買うという行為がキザったらしく見えたり
何なら後ろめたいことでもあるんじゃないの?とか点数稼ぎに見えることもあるらしい。
そもそもウチらは点数なんてありません。

そう、我が家には点数とかパワーバランスがない。
常に対等だしお互いに対する敬意も持ちながらずーっと一緒に歳を重ねてきた。
だからわしが双極症で乱高下しているときもカミさんは極端に寄り添ったりあれこれすることもなかった。
同時に見捨てることもなく「そのうち落ち着く」と信じてくれていた。
言いたいことはあれど言ったところでどうにもならないからまぁしょうがない…みたいな感じで捉えていた。
(バリバラのインタビューで言ってから間違いないです)
『精神障害者が語る恋愛と結婚とセックス』の中でもカミさんは双極症というよりも「夫はこういう人」として捉えていたので自分がどうにかしなきゃなんてことは思ってなかったと回顧している。
(読んでないのに神田橋語録的な発想だな)
要はとても大らかな人。
その辺はカミさんが育ってきた背景も影響してると思うけど、どこか楽観的だけど現実主義なカミさんの考え方に接しているとわしも段々と楽観的になってきたし、
わしは理想主義というか夢想家なのであまりに現実離れするとカミさんはビシッと現実の厳しさを突きつけてくれる。
(たま〜に身も蓋もないこと言わないで…とは思う)

というエピソードを話すとノロケとして認識されて
なんとなーくみんながほっこりしてくれたりする。
たまーにやっかまれたりもするけど気にしない。

でもね、ただカミさん自慢をしたいわけじゃないんですよ(自慢のカミさんだけどね)
SNSなどで精神障害者が結婚したら不幸になるだけ…みたいな意見を目にするたびにモヤモヤする。
確かに所得が低いことも多いしQOLが乱高下したりとハードルはちょっと高いと思う。
けどそこにだけ囚われてないかな?と思う。
精神障害があろうとなかろうと人としての魅力を持っているかどうかが恋愛や結婚に限らず大事じゃないだろうか?
そして人としての魅力は努力次第でどうにでもなると思っている。
SNSは不幸な話やネガティブな話題のほうが反響を得やすいので精神障害者の結婚は否定的な意見が多い…というより誰かの幸せをぶっ叩く傾向が強いからあまり気にしないほうがいいと思っている。
わしは「あんたは運が良かっただけだ」なんて言われたこともある。
まぁ…運もあるけどカミさんとの人生は努力の連続で好きよ愛してるだけで一緒にいられるほど簡単なことじゃない。
だって赤の他人だから。
価値観に限らずありとあらゆることが異なるから衝突もする。
けどカミさんはそれが苦にならない。
でもカミさんじゃなかったら分からない。
いや、無理だな。うん。苦痛です。一緒にいなくていいや。面倒くさいもん。ひとりでいいや。
わしは精神障害者でも結婚して幸せな家庭を築いている人をたくさん知っている。
たぶんみんな運だけでどうにかなった訳じゃないと思うよ。
パートナーを見つけるのは運かもしれないけど、
そこから先は運だけじゃどうにもならない。
そういうことを伝えたいだけなのでわしはノロケ話をしている。
精神障害者が恋愛や結婚をすると幸せにはなれないという決めつけに対してマイルドかつ穏やかに異を唱えているってこと。
できれば立場とか関係なく色んな人たちと話し合って道を模索できたら良いのだけど…。

こういうことを考えるようになったのは「あいりき」に長く携わっているからだと思う。
「愛すること」を学ぶピアプログラムに最初から関わって様々な価値観や考え方に触れていくうちに堂々とカミさんとの幸せな日々を伝えていく必要性を感じたのでしんどかったことも含めノロケ話をするわけです。
もし興味があったら受けてみてほしいな。
精神障害者のプログラムとして開発しているけど対面での開催は誰でも受講できるようになってます。
仲間と運営しているハマッチャでは簡易版の「あいりきトライアル」も開催できるので愛することについて考えるのも良いですよ。

誰にでも色んな障壁が人生にはあるけど、それを少しでも減らしたいし最初から諦めずにいてほしい。
そんな思いでわしはいつも通りノロケていきますのでどうぞよろしくお願いしまーす。

それではまた近いうちに。
大きな地震やインフルエンザと落ち着かない状況ですがご自愛くださいませ。
では…アディオ〜ス!