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桜と音楽のつれづれ
ぼんやりと天気予報を見ていたら明日の札幌は11℃まで気温が上がるらしい。
季節外れにも程があるねぇとカミさんに呟いてからふと思い出した。
前にも綴った通り僕は高校生のときに横浜と札幌で遠距離恋愛をしていた。
そして僕が初めて札幌に降り立ったのがまさに3月の頭だった。
昼間の気温が5℃くらいで夜になるとマイナス3℃くらいで中心部から離れると30cmくらい雪が積もっていたし横断歩道で何度も滑って転びそうになった。
横浜にいると気温が氷点下になることは稀だし雪もそこまで積もらないから「これぞ雪国」という感じだった。
東京や横浜では桜の蕾が膨らんでいて開花予想をしているけれど札幌ではまだまだ先のことで、
改めて日本の広さを感じていた。
いつか北海道で桜を見る日が来るんだろうな…なんて思っていたけど永久に来なかった。
ま…この先、旅行に行くことがあるかもしれないから永久は大げさかな。
要するに2度目の春はなかった。
だから僕は幸か不幸か当時の彼女と桜を見ることがなかった。
そして幸いなことに翌年の桜前線とともにカミさんがやってきたので僕にとって桜は幸運の証みたいなものだ。
日本で暮らしていると多かれ少なかれ桜の思い出というのがあると思っている。
この時期になると音楽番組やラジオなんかで
「桜ソング特集」みたいなことをやるのは他の季節にはない物語があるからだろう。
というのはさっき晩ごはんを作っているときにSpotifyで自作のプレイリストをシャッフルで流していたら
ケツメイシの「さくら」が流れてきた。
いつ聴いてもなにか込み上げてくるというか、どこか切ない気持ちになる。
桜の儚さと美しさを別れてしまった2人の姿に重ねることでよりエモーショナルになっている名曲だと思う。
が、しかし。
久しぶりに聞くとどこかモヤッとしたものを感じたので料理の手を止めて頭から歌詞を見ながら聞いてみた。
平たく言うと共感できないというか何の感慨も湧かなかった。
ケツメイシのセンスが悪いとかそういうことではなくて、さっき書いた通り僕は桜にまつわる悲しい記憶も経験もないので「さくら」で描かれている感覚が分からない。
じゃあ何で込み上げてくるのか、そもそも何が込み上がって来るのだろう…何が切ないのだろう…
気になったらしっかり考えるのが良くも悪くも僕のクセなので野菜を刻みつつリピートで聞きながら考えているうちにすこーし分かってきたのは、
そもそも僕は「さくら」をメロディでしか聞いていなかったということ。
しっかり日本語で歌っているにも関わらず…である。
(この曲に横文字は一切ない)
洋楽を聞いているならともかく日本語の曲なのに歌詞を無視していたことに我ながら驚いてしまった。
自分にない感覚だから完璧に他人事で何の感慨もわかないのは当たり前といえば当たり前なのかなと思う。
(言葉選びなど日本語の持つ美しさを巧みに使っていることは感じてます)
ということは「さくら」はメロディ(コード展開)だけで僕の心に何かをもたらしたということになる。
デモトラックのようにラララ…だけでも僕は同じような気持ちになったのかもしれない。
日本語の曲だから歌詞を聴き込むという楽しみ方は義務じゃなくて自由でいい。
心が何かを感じることができればそれでいい。
僕はプロでも何でもないから理屈とか理論とか抜きでいいものはいい。
僕はそれでいいかなと。
もしかしたら桜によって悲喜こもごもなのは日本人だけなのかもしれない。
だとしたらその感覚を大切にしたいと思う。
さて、最後に僕の春ソングを紹介して終えることにします。
エレファントカシマシの「4月の風」です。
まだ3月だけど。
…たまにはリンク貼っておこうかな。
ではでは、今日はこの辺で。
アディオース🌸