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懊悩タイムトラベル

2001年の桜前線と共に君はやってきた。

試しに綴ってみたら実に古臭い、バタ臭い響きだ。

でも現実というのはカッチョいい言葉よりもありきたりの言葉で溢れている。

なぜかと言うと僕がカミさんと出逢ったときのことを文字に起こすとこうなるから。

いや、もちろん淡々と綴れば「2001年4月、妻と交際開始」なんだけど最低限のメイクはしたいじゃないか。うん。


自分の隣に20年同じ人がいる。実に僕の人生の50%。

僕とカミさんが順調に平均寿命を迎えることができて、お互いの気持が離れなければまだまだ長い年月を共に過ごすんだろう。

…僕次第な気がします。

そんな僕は18になるまで交際歴ゼロだった。

言うまでもなく当時はモテたい!と思っていたし

「足が速い男性はカッコいい」というエビデンス不明の噂を信じてモテ期到来を信じていた僕だったけど物事に必ずある「例外」に僕は選抜されていたようで中学3年のときにやっていた陸上で区大会1位になっても何も変わらなかった。

バレンタインも義理で配る手作りチョコの味見なら可愛いもので代わりに作ってくれと言われたときはさすがにふざけるなーと思った…けど引き受けた。

あとで渡されたクラスメートが浮かれてヘラヘラ自慢しているのをぼんやり眺めながら

「いや、お前が食って浮かれてるケーキは俺が作ったやつだから…」とほくそ笑むくらいしかできなかったわりと…かなり暗めの中学生だった。

それでも高校に入ってバンドやったりすればモテるんじゃね?などと思って中の下、もしくは下の上くらいの高校を選ぶつもりだったんだけど親が選んだ高校に行く羽目になり男子ばかり2千人の高校に通う日々。

当たり前だけどモテなくてもクラスに女子がいるのといないのでは世界が違う。

何よりも張り合いがなかった。

当時はまだ校風も古いので諭すではなく殴るという素晴らしい学び舎でもあり僕は何もかも嫌になって1年で卒業することにした。

それから1年間は半分引きこもりみたいな状態で過ごしていたけど大学で民俗学を選考したかった僕は定時制高校に編入した。

ミッション系私立ということで上品な家庭に生まれたけどヤンキーみたいな奴か僕みたいな訳アリの2極という環境で僕はバンドを始めた。

これがきっかけで僕は一気にモテ期に突入…

しませんでした…アジャパー!

何しろ生徒数がまず少ない。

まゆげがサインペンくらい細くて足元が便所サンダルの女子も多かった。

バンド=ヤンキーというのは過去の遺物で僕らの頃はむしろ決別していたから当然、僕らに興味を持つことすらない。

バンドマンがモテるというのにも「例外」はあったようで僕はまたしても選抜されていた。

それでも僕は自分で名刺を作ってまだ珍しかったメールアドレスと携帯電話の番号を載せて女の子に渡していた。

そしてようやくクラスメートとデートすることができた。

クラスメートと言っても年上のお姉さんで不思議なことに干支が同じだった。

逆だったら世間は猛バッシングをしそうな年齢差だよね。

もっとも僕は気にしてなかった。

ただ、ちょっと陰のある人だった。

年齢を考えたら何かあったからこそ今、高校に来ているでしょうからね。

でも別に気にならなかった。

どうでも良かった。

ただ反吐が出そうなくらい嫌いだった学校が僕にとっては好きな場所に変わった。

一応、周りに伏せていたから2時間くらい早めに学校へ行って授業が始まる前におしゃべりしたりして他の奴が来たときは勉強してるフリしてみたり。

いつも僕のしょーもないギャグで笑ってくれていたけど目の奥は常に悲しそうで時々、目線を外すと遠い景色を見つめているような眼差しをしている人だった。

それでも僕は彼女と人生で初めてキスをした。

帰り道、モテることと彼女ができることは別なんだなぁなんて思っていた。

ただ次のデートを約束したとき3時間待っても彼女は来なかった。

なぜかいつも非通知でかかってくるので折電ができず握りしめたまま横浜駅にいた。我ながら健気でハチ公みたいだと思う。

最終的にこの日、彼女の部屋まで迎えに行った。

おっと、皆さんが想像する展開は起きてませんよ。

なんせ彼女の実家ですから…

ご両親に「わざわざ遠方からすいません」なんて迎えられたもんだから僕は混乱した。

と、同時に彼女の陰が思っていた以上に深刻なのかもしれないことに少し戸惑った。

少し日が傾いた彼女の部屋でしばらく話をした。

窓辺にマルメンライトと灰皿が置いてあって喫煙者なんだと初めて知った。

というより彼女について知らないことのほうが多いことを僕は知った。

向かい合ったままずっと話をしていた。

そして僕は少しだけ遅刻しまくったことを咎めた。次の瞬間にマルメンライトが僕の顔にすっ飛んできた。

本も何冊が飛んできた気がする。

なんだか避けちゃいけない気がしたから顔で受け止めた。

わりとコントロールが良かったので投げ慣れているな…とか思った記憶がある。

すると「なんで避けないの!?」と叱られたから頭の中がえらく混乱した。

ど真ん中に投げたの貴女です…。

その日は結局、日が暮れるまで話をして弟さんの車で最寄り駅まで送ってもらった。

家族全員と会うってもっと先じゃないの?なんて思いながら見慣れぬ街を車窓から見つめていた。

しばらくはそういう変な関係が続いた。

とにかく僕は遅れてくる彼女を必ず待つ。

一方通行の携帯電話を握りしめて。

横浜駅で3時間、彼女の地元で2時間の計5時間、待っていたこともあった。


あの頃、僕はただ彼女が抱えている陰を消せないもんかなと思っていた。

話し合ってみたりすることで解決すると勝手に思っていた。

年齢的にはどう考えても逆だよなあって今は思う。

それでも見た目とは裏腹にピュアな青年に自分のことを打ち明けるのはかなり勇気がいったと思う。

今ならばっちこーいだけどね。

彼女は心に何か抱えていた。

何かは分からずじまいだったけど彼女との記憶を辿ると何かしらのパーソナリティ障害だったんじゃないかと思う。

なんというか…心が空っぽなのを隠すように感情があるようなフリをしているのかなと思うことが時々あった。

たぶん彼女も逢いたいから連絡してくるんだけどデートはなかなか実現しなかった。

お店に入るのを嫌がるので行く場所が限られるし時間通りに来ない。

さすがに僕は彼女と過ごすことが辛くなってきた。

ある日、学校で話しているとき机の中に押し込まれたゴミを片っ端から投げつけられたことが決定打になって僕は彼女との関係をクラスメートに戻した。

単位制高校だったので顔を合わせる機会も減っていって僕は新しい恋人が見つかった。

18歳にはずいぶんと難しい恋愛だったように思う。

僕が想像していた年上のお姉さんとはだいぶズレがあったし「付き合うこと」の難しさを教えてもらった感謝もあるけれど心が通じ会えない悲しみだけが頭の片隅にしばらく住み着いた。


僕が最後に彼女と会ったのは高校の卒業式だった。

その時の彼女はいつも以上に思い詰めた表情で母親と一緒に最寄り駅まで来ていたようだけど僕を見るなり母親は彼女を僕に押し付けて帰ってしまった。

仕方ないから学校まで連れて行って無理やり謝恩会のレストランに向かうタクシーに放り込んだ。

なんというか…あまりにも表情がこわばっていたので放っといたらヤバいことになるんじゃないかと思って取った行動だったけど、

彼女はレストランでほとんど食事に手を付けることなく下を向いていたから悪いことをしたような気もして僕はけっこう混乱しながら過ごしていた。

その帰り道、僕はやっぱりこの人を放っておけないと思って腹を括った。

フリーだったのもあってもう一度、付き合ってほしいと伝えたくて適当な店に入ろうとした。

けれど彼女は子どもみたいにしゃがみ込んでどこにも入ろうとしなかった。

その姿を見ていたら彼女は恋人じゃなくて保護者を求めているような気がして

さっきの決意がすーっと消えていった。

そして僕は初めて彼女をその場に置いて帰ることにした。

けれどしばらく歩いてやっぱり話をしようと思い急いで店の前に戻った。

言うまでもなくそこに彼女はいなかった。

それが最後の思い出。

頭に殻のついたひよっ子には早すぎたんだろう。

けれど人の心に寄り添う難しさを教えてもらったおかげで僕は今の生き方を選んでいると思う。

だから彼女に言葉が届くなら

「ありがとう」を伝えたい。


ってなところで僕の過去にお付き合いいただきありがとうございました。

もうひとりのお話はまたいずれ…

ではではアディオース!










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